シーン7-2:

「何をそんなでたらめを?」
トライデントコーポレーション副社長室。他のメンバーに先駆けてみんなが得た情報を手にした秋桜が単身乗り込んだ時だった。
「でたらめな事なんかではないよ、わが娘」
「そんな話ではぐらかそうっていうの?」
「はぐらかしなんかでもないさ、真実を言ったまでだ」
「証拠はない」
「証明は簡単だよ」
御陵は机から銃を取り出した。
秋桜が身構える。
「撃つ気はない、ただのエアガンさ。まぁ当たればちょっとは痛いがね」
御陵は銃を秋桜に向かって投げつけた。
「撃って見ろ」
「……?」
「試しだ、私にむけて撃って見ろ」
「なにを?」
「条件付けがしてある、私に一切の危害を加えられないように。それが玩具であっても、だ。今日ここにお前が来たのも、その情報を元に私が傷つけられないように無意識に来たにすぎん」
秋桜はエアガンを握り狙いを御陵に付ける。
エアガンのトリガーを握力一杯に握りしめているはずなのに指は言うことをきかない。
肩の筋肉、上腕の筋肉が一生懸命に収縮するが指が、前腕の筋肉が言うことをきかない。
秋桜は真横の壁に向けてトリガーを引いた。
バスバスバスバス!
連続したガス抜け音、そして壁にめり込むボールベアリング。
その勢いのまま、御陵にエアガンを向けてトリガーを引こうとするがやはり動かなかった。
「何度やっても同じさ、お前は私のクローンだ。私のための予備臓器、そして過1/α波の適正能力を人工的に付与されたが、それは失敗に終わった」
「私が失敗……?」
「その代わりに面白い能力を身につけた、実験の副作用でもあるがね。それがお前のもつ先導能力者としての力さ」
「そ、そんな」
「当たり前だ。人間がそう簡単にその能力を持ったまま産まれてくることなんて出来るわけがないだろう、そして条件付けには私への無償の奉仕っていうのも植え付けてある。まぁ、自分の分身を抱く趣味はないがな」
御陵が笑っている、秋桜の表情は硬い。
「だからこれから先、私の手足となって働け。お前の能力を私のために使え、お前が得た人脈も能力も全て私に捧げるのだ」
秋桜は必死に抵抗していた、春海のことをみんなのことを考えながら遙か昔に植え付けられた、条件付けを浮かび上がらせないように。しかし抵抗は5分と持たなかった。
「……はい……お父様」

シーン7-3:

「だから私、今日から学校辞めようと思う」
「秋桜さんが決めたなら」
少し間がある、涙声も判る。
「……なんでよ」
「?」
「何で止めてくれないの、辞めるなとかオレの側に居ろとか。なんであなたはいつもそうやって、私の言葉をなんでも受け入れるの?」
「ここにいる秋桜さんは、だれ?」
「ここにいる、私?」
「うん、何があったって、何が真実だからって。目の前にいる秋桜さんがボクにとっての秋桜さんなんだよ。もし秋桜さんが60億の人間の中に紛れても、ボクはきっと秋桜さんを見つけだせるよ。どんな形になっても、どんな姿になっても」
髪を切り終えた春海は、後ろから秋桜を抱きしめる。
「ボクが好きなのは世界で一人だけの秋桜さんだからさ」
「……ありがとう、はるちゃん」

シーン8-1:A Blade of the Olympos.

「うん?」
まず異変に気づいたのはトライデントUNに残っていた技術者達だった。
彼らがいなくなってはトライデントUNの全てが止まってしまうため、日本政府は何よりも先に彼らの身分を保障した。
「おい、だれかネプチューンの保安プログラムを起動させたヤツはいるか?」
ネプチューンというのは、トライデントUNの全てを司るホストコンピューターのことである。
この中の保安プログラムは、島内全ての電気、ガス、水道の他、交通整理やあらゆる災害に対して自律した働きをする物であるが、2年前に重積したバグが見つかり凍結させられていた。保安部警備部が当時からあり、また信号やガス、水道、電気の管理なら普通のホストに任せても問題は無かったためである。完全拡張工事完了後に再構築される予定の物であったし、拡張工事完了はまだまだ先の話だ。もしこの機能が完全に働けば、トライデントUNは人間の力を一切借りること無く運営できる。
しかしバグが発生して、それを直し、直した結果もバグと認識されさらに直すという構造的な矛盾が生じたため不活性化して切り離していた物だ。
「なんでそんな物を起動する必要があるんだ?」
「さぁ、自己診断させておこうか」
これが最初のミスだった。

シーン2-2:

『トライデントUN発、ホノルル経由シアトル国際港行きの搭乗手続きを行っております』
クリスはチケットを受付のスロットに入れて窓際の席を確保した。
最後までこのトライデントを見ることの出来る席を。
そして、時折だが辺りを見渡す。
あんな別れ方をしたのにまだ蓼島の姿を探している自分に少し苦笑した。
誰にもこの時間のことは言ってない。
だから来るはずもないのに。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
「ああ」
キルシュシュタイン家の筆頭執事である初老の紳士が頭を下げた。
「どうなされました、お嬢様」
「いや、なんでもない。お前は先に船に行ってろ」
「かしこまりました」
『トライデントUN発、ホノルル経由シアトル国際港行きのご乗船の案内を致します。まもなく出港時間です。御乗船のお客様はお早めに搭乗口35番へお越し下さい』
観光客は先の事件以降受け入れてないため、広大なロビーはクリスを除いて十人もいない。見渡しが良すぎるために少し見ただけで結果が分かってしまうのが寂しい。
クリスは搭乗口に向かい、客室乗務員にチケットを渡すと水中翼船の中へと消えていった。
席に座りシートベルトを着けると、窓の外を片肘を付きながら見つめる。思い出すことは多い。
『お客様にご連絡申し上げます、現在トライデントUN国際港より出船許可を申請中でございます。あと10分程度で出港できる予定です』
出航のための低い電動モーター音が聞こえてくる。
しかし予定の出港時刻になっても船は動き出さず、そしてその10分後には電動モーター音さえ消えてしまった。
『お客様に申し上げます、現在航路が大変込み合っており、出航の時間が延びる予定です。到着予定時刻には影響はございませんのでご安心下さい』
イライラしていた何人かの客は、仕方ないといった風情で新聞やら雑誌やらを読んでいた。
ヘンだと感じたのはクリスだけだったのかもしれない。
先にも述べたが現在あの事故以降、観光客用の船は訪れていない。そしてどんなに船が来ようともトライデントUNの港湾能力ならば航路が込み合うなんてことはない、なのに。
その時、聞き慣れたスクリュー音が耳に届く。
「寒梅?」
逆側の窓からだった。
その大きな双胴型に屋形船の様なフォルム。
クリスは急いでシートベルトを外した。
「お、お嬢様」
後ろに席に座っていた執事が引き留めようとする。
「すまん、私にはまだやり残していることが沢山ある。また後日キルシュシュタイン家には連絡するが、私は……家督の相続を拒否すると親族に伝えて置いてくれ。もし駄目なら私はキルシュシュタイン家の名前は捨てるとな」
「お、お嬢様、それではわたくしの役目が」
クリスはその声を聞かず、客室から一旦外に出て、操縦室に向かう途中の甲板に出た。
「クリス!」
「蓼島」
「緊急事態だ、クリスの力が借りたい!」
「ああ、判った」
船の距離は3m。
おもいっきり手すりに足をかけて飛び上がる。
寒梅の上で蓼島がクリスの身体を受け止めた。
「ガイアの声の連中が、何か事件を起こしたらしい。High-GPSが効かないで立ち往生している実習船の中に病人がいる。それを誘導してトライデントまで案内するための操船をクリスに頼みたい」
「判った、任せておけ」
「御免、もっと話しあうべきだった」
「気にするな、たったいまだが私はキルシュシュタイン家の名前を捨てた」
「え?」
「新しい家を造ろう、蓼島。今日から私は……」
「あ、いやまてクリスそれを言ったら」
「蓼島クリスだな」
「クリス、すまん自制が効かなくなりそうだ……」
「それは帰ってきてからにしよう、いまはコレで勘弁してくれ」
クリスが目を閉じると、蓼島もクリスにそっと顔を近づけた。
「お、お嬢様。なんと破廉恥な……」
泣いているのは船内に取り残され、慎重すぎてきつく締めすぎたベルトが外せない初老の執事だけだった。

シーン1-2:

海凰船内。
明後日にトライデントに戻るというところに来て問題が発生した。
High-GPSからの電波が突然途絶えたのだ。
「何があったんだ?」
船長が船員に尋ねるが不明だった。
「どうやらどこからか、強力な妨害電波が出ているようです」
「小型船舶が近づいてきます」
『こちらはガイアの声です、トライデントUN内の皆さんに警告します。我々は地球環境を破壊してきた科学の温床であるトライデントUNをこの世から抹殺すべく、これより12時間後にトライデントUNおよび関連施設を破壊します。一般市民の方々はこの猶予の間に島外へ脱出してください』
その放送はあらゆる波を使って流れた。
「ったく、一件終わったと思ったらまたバカな連中が出てきたもんだ」
「世良のお兄ちゃん?」
「あ、ああ雅美ちゃん」
「ねね、今の放送さ」
「聞いたよ、まぁ12時間もあれば犯人が逮捕されるか、駄目でも待避できるんじゃないかな」
「そうかな?」
「なんで?」
「海凰以上の船ってトライデントUNにあったっけ?」
「……!」
「うん、観光船が今来てないよね、実習船ったって何百人も乗せられるわけじゃない」
世良はその言葉の意味に気が付いた。
「12時間、じゃあUNにある船全部使っても……中ノ鳥島とピストン輸送しても」
「だから、あの放送は人道的を演じているようにしてみせて、本当はもう始まっているんじゃないかな」
「じゃあ海凰がトライデントに向かえば」
「それは無理」
声を掛けてきたのは蓮見 鈴。
「さっきまで艦橋にいたんだけど、High-GPSが消えちゃってるの」
「ってことは」
「うん、GPSに頼らずに海図と天測でトライデントまでいかなきゃいけないみたい」
「この時代にか?」
ゴン。
海凰に何かがぶつかる。
救難艇の様だが無人だった。
係員がマニュアルにのっとって、その小型艇を引き上げたのが5分後。
そしてその小型艇にメッセージがあった。
『この船にあるのは海凰を沈めるに十分な爆薬です、海底内の定位置ブイより2km離れた時点で爆発します。ガイアの声』
事実上、海凰の足止めだった。
「ガイアの声いったら、この首謀者は海藤か?」
「海藤さんが? 海藤さんにとってもトライデントUNは大切なところだと思うよ」

シーン4-2:

「だから、ウチは何もしらんというてるやろぉ!」
海藤瑠璃がいたのは日本防衛海軍が間借りしている大学の一室。
「とはいっても、君はガイアの声のトライデントUNでの班長ということじゃないか。君が知らないというのはおかしな話だと思うんだがね」
「確かにガイアの声には所属はしてる、だけど今回のことはウチはなんもきかされてないんやって」
「まぁ、シラを切るのは勝手ですが、前回の件もありますのでこちらでも監視を付けさせてもらいます」
そう言ってアッサリと家に帰された。
「よ、勝手にお邪魔してるよ」
「お邪魔してます」
「アンタら、まぁいいけどね」
部屋にいたのは滝 智己、藤原皐月、宵闇浮月という追いかけ回されたメンバーにくわえて。
「久しぶり瑠璃さん、みゃ〜こだよ〜」
と日向美也子。
そして瑠璃がドアをあけてすぐに声をかけたのが瀬名しぶきだった。
ただでさえも手狭な八畳一間の家具まで置かれた部屋に女だけで6人もいる。
「女くっさいなぁ」
荷物をその場に投げ捨てて、瑠璃はいや〜な顔をしたまま窓を開けた。
窓の外には監視と言っていた通り、何人かがこの部屋を見ている。
「で、あんたら。あの声明は聞いたんやろ。なのになんでここにおんねん?」
「だって、たった12時間しかないんでしょ?」
「そうですわね、それっぽっちの時間で島民全員が避難出来るわけではありませんし、だったら犯人を突き止めて捕まえてしまった方が早くありませんか?」
「ガイアの声って言ってたから、ここにいれば犯人のメドが立つと思ってね」
「私はただ皐月さんに連れてこられただけで」
「あ〜もう、みんないっぺんに話をするない」
「つまりね、ガイアの声って言っても瑠璃さんだけがガイアの声ってわけじゃないし」
瑠璃は頭を抱える。
「ガイアの声っていってもな、いろんな分派がある。ウチのいるのは穏健派の中の特に穏健な方。オリュンポス計画はまぁええ。その存在自体が環境を破壊してるわけやない、ウチらが反対してるのはその拡張工事でな、この島を中心にメタンハイドレードの基地を造ろうとしている計画に反対してる訳や。ただ反対してるだけでは意味ないからな、仲間集めるために色々とアジってたわけ。でもってここからが本題や」
瑠璃は窓を閉めて音楽を大きめの音で流し始めた、そして6人の無言で中心に集めて小声で話し始める。
「ガイアの声にはむっちゃ過激な連中もいる、トライデント自体の存在自体を嫌がってる連中もな」
「じゃあ、今回の事件はそいつらが?」
「まだ、なんともいえへん」
「でもガイアの声を名乗ってるぞ」
「ですが、それが罠かもしれませんわ」
「私は家に帰りたい……」
ギシッ。
「何の音?」
「家のきしむ音ですね」
「みんなの重みだったりして」
の、しぶきの発言に何人か苦笑いする。
「冗談じゃなくて」
「島が動いてるな」

シーン8-2:

「ネプチューンにアクセスできません!」
「B地区、C地区ジョイントパージ始まりました」
「モニターでは火災警報消えません、道路防火壁上がります。モノレール停止しました」
「こんな時に御徒町さんがいてくれたら」
「これが狙いだったのか」
トライデントUNは大規模な火災が発生したとき、延焼を免れるためその部分を切り離す機能がある。そして今、実際には起こっていない火災をネプチューンが感知し、延焼を防ぐためにその機能を働かせていた。
このホストコンピューターはトライデントUNの生命線なため、ネプチューンの判断は常に優先序列一位になっている。
これが2番目のミスだった
優先序列に介入するためには社長のパスコードが必要であり、今までは副社長が代行として行っていた。今、社長は引責辞任、副社長は行方不明、新たな後任人事が遅れているため、介入のためのパスコードを持っている人間が一人もいない。
これが3番目のミス。
「D地区、ジョイントパージ信号確認!」
「住宅街が……」

シーン5-2:

「……?」
ロビーにいた詩絵羅はようやくその異変に気づいた。
医師はじめ看護師達が慌ただしくしている、いや病院から逃げようとしているのか。
患者も病衣ではなく、洋服を着て病院から逃げ出している。
ヒロの手術時間中であるから、そんなことあまり気にしないでいたが。
『緊急事態のお知らせをいたします、ただいまこの地区で大規模な火災が発生いたしました。これよりこの区画は安全のために切り離されます。』
無機質なオリポの全島放送が流れる。
「!?」
詩絵羅が辺りを見渡すが火災の起こっている様子はない。
部屋に置かれた電話に駆け寄るとドルフィン便へ連絡を入れる。
「はい、こちらはニッコリ笑顔で最上級の最速配達サービス、ドルフィン便です。現在社員一同不在でございますが……」
留守番電話用のメッセージだった。
「ちっ」
詩絵羅が電話を置いたときだった。
「こんにちは、ヒロくんのお姉さまですね?」
と、知った顔の葛城だった。
その葛城を一回後ろから拳でちょこんと叩き、出てきたのはもう一人の看護師。
「初めまして、外科病棟専門看護師の御園生玲です。虎杖ヒロシ様のお姉さまでいらっしゃいますか?」
「あ、はい」
「本来ならご本人に意思の確認をしなければなりませんが、ヒロシ様は麻酔中のため、保護者であるお姉さまに決断してほしく……」
要点をまとめればこうだ。
現在、トライデントに対してガイアの声が破壊予告をしているということ。それがこの地区にもきているらしいこと、そしてこのまま手術を続けるか、手術の途中で術部を縫合しトライデントを逃げ出すかの判断を詩絵羅にして欲しいというのだ。
「もし、このまま辞めたらヒロはどうなるんですか?」
「主治医に替わって申し上げますが、正直再度の手術はできません。弱ってしまった神経の一本一本を人工神経に入れ替えるところです。このままですと可能性の問題ではありますが、不随が身体のどこかの部位に出てくることでしょう。かといってこのまま手術を続けてもこの揺れの中、微細な作業がどこまで続けられるかも判りません、主治医は判断をお姉さまに任せると言っています」
「……」
悩む詩絵羅、その詩絵羅の肩に手を置く御園生。
重大な決断だ。
「……お願いします、続けてください」
唸るように呟くように言葉を紡ぎ出す。
「判りました。トライデント中央病院を代表してお姉さまの決断に感謝します。操!藤巻先生にこの件を報告!!」
「あ、はい判りました」
御園生がテレビを点ける。
緊急特番としてトライデントに起こっている事件の速報が入っていた。
『以上の情報をまとめますと、トライデントUNに対して犯行声明を行っているのはガイアの声の分派であり、過激派と呼ばれているゼウスメンバーによるものと確認されました』
詩絵羅がその番組に目を向けた。
「ガイアの声」
『彼らは完全防備されているはずのトライデントUNのメインコンピューターに侵入し、仮想の災害が起きていると誤作動させています。その結果、自律機能のそなわったメインコンピューターが非常モードに入り、各地区が次々と切り離されている状態です。大畑さん、これはどのような問題が起きるんでしょうか?』
『えっとですね、切り離されるのは大火災が起きたときに他の地区へ燃え移らないようにするためなんです。燃えている地区なわけですから、切り離された後もそのままの形でいるわけでなく、ワザと倒壊するようになっています、それを逆手にとられた形ですね』
その時、一瞬テレビが消えた。テレビだけではない病院全体の電気もだ。
次の瞬間に再び点灯する。
電気が止まるのは大災害時の対応の一つだった。
詩絵羅が再びイスに座る。
「あ、あの」
大慌てで手術室から駆け出してきた操が、玲に何かを報告している。玲が渋い表情を浮かべて操に何かを伝えた。
「あ、あのすみません」
操が詩絵羅の前に立つ。
操がどうやって切り出したらよいか、判らないといった表情を浮かべていた。
「まだ何か問題があるんですか?」
詩絵羅の口調は少し緊張が混じっていた。
先ほどからの放送で流れていること、そして今感じてる震動。
「いえ、特に問題は無いと思いますが一点だけ」
モジモジした操を見かねて玲が口を出した。
「今日、置換手術をする予定の神経束がまだ届いてないの。もう港には着いたのは確かなんですが、島内がなんか混乱していてこちらになかなか届かない状況なんです」
「じゃあ、それなら」
詩絵羅は提案しようとしてその言葉を押しとどめた。
ドルフィン便の連中に連絡しようとしたとき、すでに不在だったことを思い出した。
きっと彼らのことだ、脱出を選択したに違いない。
「ですから民間の宅配業者を手配しました」
詩絵羅は頭の中でこの島内に存在する、同種同業の宅配業者の名前を思い出していた。テレビの報道からすると陸上での輸送はほぼ無理に近い。海上を使うにしてもこの切り離された区間の間を走りきるほどの機動性をもっている業者となれば、その数は少なくなる。
でも今はその業者に任せるしかない。
詩絵羅としては、自分が即刻行きたい気分であった。しかし今、一人で手術に耐えているヒロシを置いてここを離れることは出来なかった。

シーン5-3:

さて、この非常事態にドルフィン便のメンバーがどこにいったのだろうか。
答えは簡単だ。
彼らは仕事をしていた。
20分前――
「依頼はトライデントUN中央病院、港に到着した移植用の神経がこの混乱で立ち往生。もうその手術は始まっているらしい」
「って、まさか」
「多分、虎杖さんの弟さんの手術なのかな」
「この混乱で他の依頼はキャンセルだし、やろうよ」
「おっけ、叶野は前線にでてヘッドクォーター、夕香里、流風、夏川で運ぶよ」
5分後。
「お待たせしました、ドルフィン便です!」
流風はそう言いながら、白衣の男達の間を通り過ぎる。
ローラーブレードのエッジをめいっぱいに効かせ、それでも足りない分は両手のガードを使ってめいっぱいのブレーキをかけた後、再び反転して右足を蹴り出した。
「お荷物、確かにお預かりしました!」
スピードが乗ったまま、一人が持っていた保安ケースをつかみ奪っていく。
預かり書なんかにサインしている余裕なんかないのだ。
来たとき同様のスピードで流風は走り去った。
名前とは裏腹に風を切り裂きながら、切り離されたブロックとブロックの隙間を飛び越える。
『流風さん、あと300m先で夏川さんに受け渡し』
イヤホンから叶野の指示が入る。
「こちら流風、了解」
もうこれ以上の幅では飛び越せないという場所までくると流風は海に向けて箱を投げ捨てた。
海では、流風の到着に合わせてタイミングをはかり、後ろから加速をつけていた夏川が空中を落ちる箱をキャッチする。
「こちら流風、夏川くんあとよろしく」
『こちら夏川、了解』
フローティングブロックの間をかき分けながら、順調に飛ばしていく。
夏川は水上バイクのスロットを握りしめてロックした。
スピードをこれ以上落とさないのもそうであるが、細かい都市下を走るには運転だけに集中することと、一定の体勢が取れずスロットルを調節している余裕がないと言うのも理由だった。
「いよっと!」
浅い場所に見えていた一本のパイプを発射台にして思い切り水上バイクを蹴飛ばす。
天井ぎりぎりを頭がかすり、そのままフローティングブロックへ乗り上げる。
そこには魚偏が時折つかっていたオリポ温泉があり着水後、そこを再びジャンプして水上バイクは都市の下を滑走していった。
『夏川さん』
「こちら夏川、叶野くん誤差は?」
『順調です、1km先で夕香里さんに渡してください』
「了解」
そして受け渡し場所に到着した夏川は、切り離された間にできた隙間を見上げて、時計をみながら上に放り投げた。
「ナイスタイミング!」
その真上を夕香里が飛び越えながら箱を受け取った。
このあとは病院まで一直線、ローラーブレイドの(違法改造した)小型モーターが唸りを上げる。
夕香里は公園の階段の手すりの上を、丁度ローラーブレードのタイヤの間で挟み込み、滑るように降りていく。人がいないのを知っているから出来ることであったが、夕香里自身ははじめての試みだった。
ツツジの植えられた垣根を飛び越えていく、この先が病院のはずだ。
着地の時、すこし足首をひねるがそんな痛みなんかどうでもいい。モーターの音は好調だ。
夕香里が病院の玄関先に着いたとき、すでに玄関は静かになっていた。
夕香里は痛めた左脚をかがめ、右足でコンパスの円を描くようにターンをした。
そして車椅子用のスロープから病院の玄関に飛び込んだ。
「お待たせしましたドルフィン便です、外科病棟さんにお届け物です!」
「夕香里!?」
「ハイ社長♪」
「なにしてるの、こんなところで!?」
「なにって、仕事に決まってるじゃない」
10分後に残りのドルフィン便のメンバーが来た。
「事情は夕香里からきいたよ」
詩絵羅はそういうと深々と頭を下げた。
「みんな、ありがとう」
「自分たちは、自分たちの仕事をしただけです」
夏川が胸を張る。
「お給料はたんまり貰うわよ、成功報酬でいいわ」
流風が夏川の肩に肘を置きながら微笑む。
「そうですよね、倒壊するかも知れないビルの上からの指示にも、危険手当が欲しいところですし」
叶野は体中の通信機器を床に置いた。
再び詩絵羅がみんなにねぎらいの言葉をかけたあと、手術室のランプが消えた。
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