シーン1:

『コンクリートジャングル』
20世紀、高度成長の時代にそうつぶやいた人がいるという。
『檻をのぞき込む方が、本当は檻の中に入っているのかも知れない』
そう呟いた人がいるという。
雅人は校舎の、普段は禁止されている屋上に入り島を見渡す。
しっかりと全景が見えるわけではないが。
ヒトは檻の中にいるのと、外にいるのとどっちが好きなんだろうか。
ロスジャルディン島を囲む様に作られたトライデントUN、自然を閉じこめようと人間が作った稚拙な檻。この檻は何を閉じこめておく物なのか。
海底遺跡。
人魚。
MV。
色々な単語がこの一年にも満たない間に彼の中を通り過ぎていった。
この屋上に来たのは彼なりに意味がある。
誰の目にも留まらず考え事をするには便利な場所だったのだ。
最初に紹介してくれたのは藤原皐月という女の子だった。
雅人は鞄の中から紙の束を取り出してページをめくる。
コリーン・V・Nという著者の名前が見える。
タイトルは海棲細菌の研究についての経過論文だった、海底熱泉近くにしか生息しない特殊な細菌についての研究だった。生命の海底起源説というのがある、熱泉によって水中に巻き上げられたアミノ酸を近くにいた細菌が取り込み、単純蛋白質を合成始めたのではないかという物だ。
どうやらその研究をしていたらしいが、その細菌その物の研究ではなく、どうやったらこの細菌を増殖させられるかの研究であった。
この海棲細菌というのは非常に気むずかしい性格をしている。
増殖に成功した者はまだいない。
増殖に成功すれば、その細菌の研究が進み、人類の起源をさぐる大きな第一歩となるだろう。
(MVの研究と近いんだか遠いんだかなぁ)
特殊な環境下でしか生きていけないというのは同じだ。
しかし、その研究がそのままMVに活かせると思うと疑問に感じる。
海棲細菌にはミトコンドリアに似た器官がある、これとMVを掛け合わせて蛋白質を合成させる。
その結果が人魚と雅人は考えたが、それを可能にするには今の科学力では到底無理な話しだ。
言えることは、この日本とアメリカの頭脳が集まったトライデントUNでさえ実現不可能であること。ここ以上の知識と技術を持ったところが世界に何ヶ所あるのだろう。
教授会に反旗を翻したという噂のある研究室を数ヶ所尋ねてみたが、芳しい情報は無かった。
というより、彼らがまだオープンにしてない以上、彼らも慎重になっている気がする。
ネット上の情報では、研究費をトライデントから受けていない研究室というのが有力な情報だった。
あと回っていないのは。
手持ちのデーターを見ながら雅人は考えた。
教授会に離反したという研究室の名前と見比べる、このデーターを持っていって一緒に考えてくれそうなのは。
(大須賀か菱か……)
とは言え、大須賀研究室は養殖、菱研究室は何でも屋。専門的な知識をもってこれを見てくれる人間なんかなさそうに見えた。
ピピッ♪
雅人のビジフォンが呼び出し音を奏でる。
「あ、はい静佳ですが」
『小金丸というモンじゃが、静佳くんか。ミスワキ君からの紹介で君に手を貸してやってくれと』
小金丸……。
雅人はホロノートに手を伸ばして検索をした。
小金丸研究室(序列74位):海底微生物学。
専門:海底微生物
主な研究物:超深海下でのクマムシゲノムの研究
所属研究者:小金丸湯次(室長)コリーン・V・N(臨時職員)
序列は最下位に近い、だけどこの所属研究者!
「コリーン博士がいるんですか?」
『あの子なら、最近姿を見ないがウチはこの通り暇な研究室で、データーをおいとくのに便利だからと、いつもウチのバンクにデーターをほおりこんでおった、何かの役に立つかもしれんから来てみるかい』
「喜んで」
『いつ来るんじゃ?』
「今すぐです」
雅人は鞄の中に資料を投げ込むと、ホロノートに出た研究室の地図と照らし合わせて、最短の道を走る。
老研究者は快く迎えてくれた。
雅人はさっそくモニターに向かってコリーンが入れたデーターを片っ端からのぞき込んだ。
膨大なデーターを前に検索をする。
キーワードは『過1/α』。
出てきたのは2つだけだった。
『過1/α過敏性を持つ人間の特徴』
『仮題:過1/α受容体の遺伝子構造とその利用』
ファイルは暗号化もされていないテキストファイルだった。
被験者:H・M(age:15)性別:女
13歳時、トライデントUN菱垣研究室にて過1/α過敏症と見られる反応があった(潮美月レポート)、さらに研究をすすめるためその女性と同居を開始。
レベル1:通常の100%の過1/αを室内にセットする。
実験開始3時間経過後多少多弁傾向みられるも著変なし。
その後、1週間その様子を観察したが、カメラなどにも変化のあったと思われる様子無し。
状況への適応考えられるため、2週間のインターバルを挟む。
レベル2:通常の200%の過1/αを室内にセットする。
実験開始4時間後に頭痛の訴えあり、その後も消滅せず。被験者の身体に月経等の考えられるストレスは無い。10時間後実験を終了すると頭痛は軽快する。
2週間後のインターバルの後、最後の実験を行う。
レベル3:通常の300%の過1/αを室内にセット。
5分後に『空耳かなぁ』(記録ディスク104-1)の発言あり。
その後も悩んでいる表情を浮かべている、頭痛の訴えは聞かれず。
『これから聞こえてくる』(記録ディスク104-7)の発言あり。
過1/αを発生させていた壁埋め込み式ビジフォンを発見する。
被験者は入学時の脳波検査では過1/αは見られず、以上のことから先天的な過1/α受容体の保持者であることが考察される。
過1/α受容体を持つ者の遺伝子には通常の遺伝子と大きく異なった部位は見られないが、被験者の遺伝子情報の中にモンゴロイドでは見られない遺伝子が一部見つかる、しかしパフ検ではそこはデッドエリアとなっており、正常に機能していないことが判る。このモンゴロイドに見られない遺伝子の一部が受容体となる蛋白を構成しているのか、研究が今後の課題である。
利用方法:今後、この受容体が人為的に制作可能であり、免疫上の問題が無ければこれは通信の世界での利用が考えられる。受容者と過1/αによってほぼタイムラグの無い海中内での意思の伝達が可能であることから実用性は高いと考える。
雅人は自分のホロノートにこのデーターを転送した。

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