シーン1-1:

「これが多分だが関連している組織の図だ」
蓼島が寒梅の船上で酒瓶を端によけながら、図面を広げた。
「トラコには二つの派がある、これが社長派と副社長派」
「副社長派が目下の敵というわけだな」
「ああ、副社長派はMVやジェレミー先生を始めとしての人体実験、過去に存在した保安部も連中の部下だったらしい。そして第四研究室という研究組織を持ってMVの人体 実験を繰り返している。そして社長派の奴らは、はっきりとその目的が見えてこないが、人類のほぼ全員を殺そうとしているらしい。それに反対しているのが副社長派なんだけどな、両方の話を聞くとどっちが正しいのか正直判りかねる部分がある」
蓼島はコップに入った酒を飲み干した。
酒は彼にとって今、楽しむべき物ではなく潤滑油だった。
「社長派に与しているのがオカチー率いる警備部、そしてまだ定かじゃないがオカチーの元上司、島津事務長、おれたちのことをやたらとバックアップしてきている」
でだ、と蓼島は図面の右に手を移す。
「大学側は今二つに分かれた、教授会の連中と反教授会。教授会は副社長の息がかかってると思っていいとおもう、それは海凰の出来事を考えれば一目だ」
その言葉に海凰に乗り合わせていた者達が頷く。
「反教授会は菱垣、ミスワキ、菱、大須賀、真鍋の五研究室が確定であとどのくらいの研究室がくっついてくるのかは判らないし」
「と、いっても教授会は副社長の配下で、個人じゃ目立った動きをしてこないから単独で動くよりは副社長の手先で、学校関連の事があったら動くくらいだ。それに反教授会といっても社長派じゃない」
夏川が食べ終わった串焼きの串で指し示す。
「で、それ以外の勢力としたら」
「俺から説明させてくれ」
ダイソンが箸置きを図面に置いた。
「まず自治警だ、これはまず副社長の手先であることは疑いがない。そしてガイアの声、これはどっちにも属していないグループだがどっちに行こうとしているのか判らない。最後に俺達ってことになるな」
「要するに、副社長の一派はトラコでも学校でも島でも勢力を持っている。それに敵対しているはっきりとしたグループはトラコ内では社長派、大学内では反教授会、島内部では俺達だけ。ガイアの声はまだ判らないと、あと音沙汰のないところで」
蒼威は割り箸袋を折り畳みながら、三つ箸置きの置かれた後ろに袋を置いた。
「ドルフィン便」
ドルフィン便は事務所を失ってから活動がほぼ休止していた、元バイトの夏川がいるだけで他のメンバーとは連絡が取れない。心配した早瀬流風がみんなを探しにいったがそのまま連絡が途絶えた。
「あいつらの事務所の破壊だの、写真とかを総合すれば副社長派に潰されたと考えるのが妥当だ、そうだとしたら協力して貰えることも考えたのだがな、あいつらの機動力は海でも陸でも役に立ったはずなんだが」
徳重が猪口で酒を口に注ぐ。
「じゃあ、次ぎに目的を考えるか。副社長派のやろうとしていることは簡単だ、MVを人間に安全に寄生させて人類を進化させようとしている。多分だが資源の枯渇した陸より海中で生きていけるように人類を改造しようとしていると思われる。その鍵を握るのが人魚でありMVで、その実験材料としてコリーン・フォン・ノードフォッフェン博士が拉致された。副社長があの地下で言ったことが本当ならば、実験はほぼ完成まで来ている。そして社長派の目的はまだ見えていないが、人類の殆どを死滅させようとしていると副社長は言っていた。副社長にたてつくという意味では俺達と同じ目標があるが、自浄作用を無くしたトラコがどこまで出来るのか判らない、あの御徒町が社長派でくっついているならとっととかたを付けれられるはずなのにな……」
クリスが呟く。
そこは皆が納得できない所でもあった。

シーン2:

トラコのテラス、遠く海に浮かぶ近遠海実験船『越ノ寒梅』を眺めている女性の姿があった。
「ここにいたか」
入ってきたのは大学事務長の島津、片手には新聞が握られていた。
同じ新聞をその女性、御徒町も持っていた。
「ケリが付いたんだってな」
「ええ、これで鹿目(かなめ)も浮かばれるわ」
「バカかたくや、何でこんな事をやったんだ!」
テラスに響く島津の大声、しかし島風に流されていく。
「上手くやったつもりだったんですけど、部長にはお見通しですか」
「お前の通帳、年棒四千六百万のはずが残金はたった十一万、しかも月分割形式でもなく四月に一度に貰っている、そしてその金はどこかに消えた」
島津が投げ捨てた新聞には、小さい見出しで一つの民事裁判の最高裁での原告逆転完全勝訴の文字があった。
「今までずっとこの日がくるのを待ってたのよ、あの雨の日から……」
「買収までして勝ったとしても、あの世で鹿目が喜ぶとおもったのか?」
「この日の為に一生懸命仕事をしてきたの、手を血で染めようが人の命を奪おうが。あたしは地獄に堕ちるだけど鹿目は付いてきてくれる、絶対にね」
「こんな事をさせるためにお前をこの島に呼んだんじゃない」
「知ってますよ、部長も部長の理想を求めてここに来たんですよね」
「……」
「あたしは社長のやり方にも副社長のやり方も、どっちでもいいんです。その頃には自分はもういませんから。あたしの生きている意味はもう今日で無くなりましたし」
「その屍を俺に譲る気はないか?」
「……だめです、この身体も心もすべて彼女の物だから」
「残念だな」
「すみません、ワガママ通したついでです。島津さんの事は鹿目を除けば一番に愛してましたよ」
「今までご苦労だった……」
島津はそれ以上、何も言わずテラスを出た。

シーン1-2:

「そう言えば、秋桜さんはどうしたの?」
そうだ、思えば菱垣研究室で出会ってから遠野秋桜は情報集めの為にあちこちに行っていた。しかし、ある日を境にその姿は見えなくなっていた。
時折、一人で何事か考え事をしてはふらっと出かけてしまうこともあるので、だれも気にも留めていなかった。
「一応、生きてるわよ」
いつの間にか越ノ寒梅に横付けされたボートからやってきたのは、まごうことなき遠野秋桜本人だった。しかし、その表情はとても硬い。
「秋桜さん」
「……」
秋桜は全員の顔を眺めた。
「選ばれた人はのんきなものね」
その言葉を理解できる者はここにはいなかった。
「秋桜さん、いままでどこにいたんですか?」
神原の言葉に秋桜は何も言おうとしない。
その代わりにホロノートを一枚テーブルの上に投げた。
ビールの瓶とぶつかり、酒のアテの入った小鉢と衝突しながらそれは止まる。
「短的にいわせてもらう、あたしと一緒に副社長の元へ行く人はいない?」
ホロノートの電源が入る。
浮かび上がったデータ、色々と混雑はしているが一番最初に理解したのは夏姫だった。
「ノアの箱船なのね、この島自体が」
「そうよ、この島自体が古代に作られた防災シェルターってところかしら」
世良が全員分を転送し始める。
「遙か昔、文字もまだ確立してないほどの昔に一つの突出した種族がいた。彼らは誰よりも早く海に目を向けた、そして最初の危機を乗り越えるためにシェルターを作った。でも、そのシェルターも完全ではなかった。災害が彼らの予想を越えてしまったのね、彼らは海中に適応した身体が必要になった、だけど彼らはその適応するために作ったウィルスによって、自分たちが逆に加速度的に死滅していったのよ、あまりにも不完全なMVの為に。一人だけ適合者を残して」
秋桜の言っていることが真実なのか、見極める術はないが、だれもがただ黙ってその話を聞いていた。
「その適合者がエテルナさん?」
「……、副社長はそのMVを完全なモノにして全人類を救おうとしている、近いうちに起こる地球規模の災害、災害というより地球その物が自浄作用を発揮して、地表のゴミを流そうとしているのかも知れない。地球の過去の人間が付けた傷が癒えるまで人間は海の中に戻る、それが副社長の考え方。それに比べて社長のヤツは……、裏で遺跡を修復しながらシェルターに乗せる人間を選定して残された人間を全員見殺しにしようとしている。八十七ページをみてみなさい、見慣れた名前があるでしょう?」
そこにある候補者五十名の名前の中には、鈴から香津美の他、寒梅にいるメンバーの名前があった。
「オリュンポス計画、トライデントUN国際海洋大学構想、遺跡、人魚全てがたった五十名を人類として残すためだけの計画だったってことよ、あたしはこんなの認めない」
エルヴィンがリストの名前を見つめる。
もし、この中に秋桜の恋人である春海の名前があったら秋桜はこんなになるだろうか。
最後まで名簿をみたが、桝家春海の名前は見あたらなかった。社長のやり方が気にくわないというのも秋桜の言い口なのだろうが、春海がいないことも原因なのではと、エルヴィンは思う。
「あなた達はノアの箱船に乗れるけど、ここまでの話を聞いてあたしと一緒にくる人はいる?」
誰もが沈黙していた。
「……あのさ、ぶっちゃけなんだけど。これから未来とか、遠い話しなんだよね明日の話でも正直。私はいままで見てきたこと考えてやってきたこと、それが未来に繋がってるなんて考えもしない。今の地球の状態を産業革命時のイギリスで警鐘を鳴らす人がいたら変わっていた? きっと変わってないよ。人間てサ、今できる最上級で考えていって作ったのが今なんじゃないの。だったら私の答えは簡単なのよ、それで人類が滅ぶなら滅べばいい、私は私の人生をやり尽くすだけだから。未来の人間に何が残せるかなんて、大層なことも考えられないし考えても仕方ないし。でも、いまやんなきゃいけないことは判ってるよ」
香津美は立ち上がって握り拳を握る。
「副社長のバカを殴り倒すことよ」

シーン3:

秋桜が去った寒梅は静かだった。
でも、だれかが口火を切った。
静佳雅人から送られてきた最上級の素材に関しての事。
副社長の言葉、雅人がみたその光景が確かであるならば副社長の計画を頓挫、あるいは遅延させるためには救出が最も重要な課題だった。
それが正しい行動なのかは誰にも判らない。
でも今現在を見れば、非人道的な実験、殺人、拉致監禁という犯罪行為を行っているのは副社長である。
早速、情報収集から始まった。
菱垣教室には包帯で手を釣ったままの美月が戻ってきていた。
過1/α受信装置、最初の大きさよりダウンサイジングされたとはいえ大きな物には代わりがない、エルヴィンと夏姫が改良に取りかかり、データーをホロノートに転送できるようになったのが成果として大きいところだった。転送だけで解像度や精度はだれかがここに残って操作しなければならないが。
「?」
解析のデーターを見て首をひねったのは世良だった。
「どうしたの? 世良のお兄さん」
横から首を突っ込んだのは菱 雅美。
前回、この装置が完成したときにこの装置はこの部屋の中に過1/α波を持った人間を感知した。
「あ、いや。何でもないよ」
「コーヒー入ったけど、こっちでこぼすと危ないからあっちに置いておくね」
大学唯一の特待生、もちろん箱船の乗組員にも選ばれている。
「(じゃあ、あの時のは誰のだったんだ?)」
世良は当時の入室者名簿を出した。
「(立花世良、エルヴィン・オスト、ウルリッヒ・ブラウ、蓮見 鈴・矢川谷保・毛利秀樹・相良均・菱 雅美……スセリ・シンクレア?)」
世良はその名前が学生の名前であることは知っていた、でもまさかあの時後ろにいたとは考えても思い出せない。
「雅美ちゃん、スセリさんって知ってる?」
「スセリちゃんなら、鈴ちゃーん」
「蓮見さんは、スセリさんって知ってる?」
「よく、ここに来てる。海洋牧場の管理人の杉崎教授が推薦してくれたっていってたよ、鈴と雅美ちゃんと三人でよくおしゃべりしたりしてるし」
「あのさ、この装置が完成したときに、スセリさんってどこにいた?」
雅美と鈴が顔を見合わせる。
『入り口近くのコンソールパネル』
みごとなハモリで返答が来る。
「そうか、ありがとう」
雅美と鈴が休憩をしにテーブルへ戻ったところで世良は受信を開始した。
今、受信しているのがコリーン救出の為の物だからであり、その事実をまだ雅美は知らないからだ。
雅美とコリーンは同居している、親しい仲である。他の皆もそれを知っている為に、雅美一人が暴走しないように気を使っているのだ。
鍵を握る一人だと思っていたからだ。
それなら今出しているモニターにデーターが出てこなければならない、だが菱垣研究室からは何の反応も返ってこなかった。今いる人間に過1/αを持った人間はいない。持っているとしたらそれは雅美ではなくスセリ・シンクレアの方だ。
世良は時計を見つめた。
コリーン救出作戦まで時間が迫っている、スセリを見つけだして保護する時間も無い。
ひとまずコリーンを救出しなければMVが完成してしまうかも知れないとすると、優先順位を付けていく。
「……」
世良は受信機の倍率を上げて、島全体のサーチを開始した。
出てきたデータを立体地図に当てはめていく、強い反応は二ヶ所あったが一ヶ所が学校、もう一ヶ所はトラコの中から、しかも地下にあった。
「(これだな)」
精査地図を広げていくが、トラコ内部の設計図というのはネットにも流れていない。犯罪警戒のためにといったところだろう。
世良は手慣れた手つきで地図にピンを打つとその座標を割り出していく。この座標をホロノートに転送し、High-GPSとリンクさせれば目的地まで寄り道をせずにいくことが出来る。
学校内のもう一つは多分スセリ・シンクレアという事になるだろう。
実際に救出にいくのは別に今、準備しているはずだ。世良の役目はこのコリーンが当日別の所に移されないようにモニターしておくことである。
「(さてと、お茶でも飲みに行くか)」
その日の深夜。
「あれ、雅美ちゃん忘れ物?」
菱垣研究室。
「お昼来たときにちょっとやり残したことがありました」
訪れたのは雅美、夜勤の研究員に軽く挨拶をしてから座った先は過1/α受信装置の前だった。
素早くタッチキーボードを叩き、起動させる。
昼間、世良がピンを打った座標から目標が動いていないことを雅美は確認すると、座標を自分のホロノートに転送して受信機の電源を落とした。
「ちょっとまった」
ホロノートの電源を落として、席から雅美が立ち上がろうとした時に声を掛けたのは世良。
「あ、世良のお兄ちゃん。こんな時間にどうしたの?」
「どうしたの、って聞くのはこっちの方だと思うんだけどね」
雅美はいつもの笑顔、でも世良の顔は口調とは裏腹に厳しいものだった。
「……調べ物がね、ちょっと残ってて」
「助けに行くんだろ? コリーンを」
雅美は下を向いてしまう。
「助けたいというのはみんな同じなんだよね、これは判るよな?」
「……判ってるよ、でもね」
「でもね、じゃなくて。僕は十月から今日まで嫌ってほど奴らとやってきた、人死にも見てきたし奴らの汚いやり方も見てきた。今、君が一人で行ったところで助けるどころか捕まる、最悪死ぬこともある。それが良くわかってる僕がこのまま君を『どうぞ』って通せると思うかい?」
「お姉ちゃんは、私を待ってるから。私には家族がいるけど、お姉ちゃんの家族は私一人だけなんだよ、誰かが来てくれるって信じてるなら、私が来るって信じてるなら私がいかなきゃ……」
「やっぱりだ、頭がいい割にはコリーンの事になると感情的になって後のことを考えていない。冷静になれ、いま君が行って捕まったとすれば、明日コリーンを助けにいく連中のリスクが増大する。みんなが君に黙っていた事は全部判っていたんだろ? そんなリスクを避けるためだ、全員が無事で帰ってくるために今は歯を食いしばれ」
「……わかった」
下を向いて歯を食いしばり、握り拳をふるわせている雅美の頭にポンっと手を置く。
「上出来だ、これで僕も家に帰れる」
「ごめん、ちょっと胸かりていい?」
「どうぞ」
ドン!
怒りのやり場のない雅美の拳が世良の腹に入った。
「気、おさまったか?」
「うん、ありがとね」
雅美は笑顔で世良の顔をじっと見つめたあと、研究所を出ていった。
「立花くん、どうしたの?」
「いえね、気持ちと『体重の』良く乗ったパンチだったもので」
片膝を付いた世良に夜勤の研究員が声をかけた。
「それにしても、普通、胸をかせって言って腹殴るのは無しだよなぁ……」

シーン4:

翌日、夕刻。
香津美は世良から目標であるコリーンが監禁場所から動かされていないことを知った。
徳重克司は島津を捜しに事務局に行ったが、本人は不在。仕方なく早瀬研究所に行ったが、研究所の研究員の話では学生数名と共に海底遺跡に潜っているという。成果の上がらないまま新聞を開き情報収集をしながら後方支援、克司の出来る用品調達をしていた。
「なんか新しいニュースはありましたか?」
克司は日課であるホロノートに転送された夕刊を読んでいた、トライデントコーポレーションの人事の欄に注目していた。
「君たちの言う、オカチーって本名なんていうんだ?」
「御徒町、たくやだったような」
晴海は克司にコーヒーの入ったコップを渡した。
「ふむ……」
「御徒町さんがどうしました?」
「昨日付けで退職してる」
『ええっ!!』
声を上げたのはその場にいた全員だった、そして克司のホロノートに群がり少し克司がバランスを崩した。
「警備本部本部長 御徒町たくや、退職」
「本当だ」
「いかんな、あの御徒町は私たちと警備部をつなぐ重要なラインだっただけに。早急に蓼島に報告するべきだな」
「これも副社長派の計画でしょうか?」
「十分あり得ますけど、社長派の御徒町さんを直接役職から降ろしたらトラコ内部は大変な事になってそうですね」
「でもですよ、あたしは思うんですけど辞職じゃなくて退職ですから」
それぞれ個人が話し始める。
「まてまて」
克司が諫める。
「お客さんのようだ」
いつの間にドアを開けたのだろう、そこに立っていたのは間違いなく人だった。
「えー、昨日付けで退職した御徒町です。コリーン救出策戦本部はこちらですか」
一瞬誰もがその人物を人目で御徒町とは判らなかった。長かった髪の毛がバッサリと切って落とされ、銀糸の様なショートカットに赤い瞳の人物。
「オカチーだ」「そうだよ」
「何の罠だ?」「罠というのはどういう意味かな? 会社は辞めてきたが」
「いらっしゃいませ」「おじゃま」
「こんばんわ」「こんばんわ」
「ども」「元気?」
「どうして退職した?」「今日は彼氏の蓼島はいないのか?」
いっぺんに来る言葉にそれぞれ返答して御徒町は近くの椅子に座った。
「まず言って置かなきゃいけないことは、あんた達が考えていたように私は社長派だった。とはいえ元の上司が社長派だっただけで、私自身はどこの派閥に属しているつもりもない」
「上司というのは島津の事か?」
克司の言葉に御徒町が頷く。
「私は昨日で私の……ここにいる意味が無くなった、君たちには色々と借りがあるからなそれを今回返しにきた訳だ」
「スマンが少々、私の話につきあってもらっていいか?」
御徒町が頷く。
「島津事務長の事だ、彼は元警視庁で君の上司だった、それはいいか? そして四年前に死んだことになっている」
「そう、警視庁での私の上司で四年前に私のミスで重症を負ってそこで一回『死んだ』。当時のトラコでは日本の警察官を入れるとFBIやらCIAやらも自分の息のかかった人材を入れようとする輩がいたからだと聞いている、だから死体でなくてはならなかった。私もその後に電話を貰ったときに驚いた、天国から電話が来たのかとね。その後正式に警官のキャリアは警視庁からという事になった、私が来たのはその時って事だな」
「なるほどな」
「他に質問は?」
晴海が徳重の為にいれたコーヒーを御徒町が手に取りながら少し飲む。
「無いなら、行こうか。君たちの事だからコリーンの居場所はもう分かっているんだろう?」
「判ってますが、いまいちオカチーが味方だという確証がない」
「当然だな、まずコレが一つ」
カードキーを机の上に放り投げる。
「監禁場所へ行くまでにある保安キーを解除できる、それと救出には私一人が行く。君たちはその倉庫で待ってればいい、それと来月付けでこの書類が東京地検に送られる」
カードキーの上に紙の束を置いた。
「自治警察の内部文書、それと副社長の膨大な研究費用の出所、現職大臣やら元大臣、ホワイトハウスの上級官僚、華僑も含まれている。少なくともこれで副社長の手先の自治警察程度は事実上壊滅できる、トラコ内部に副社長の一派はごく一部だ、元々の保安部が手先だったがつぶれたしな。これが世の中に出れば副社長はここにはいられなくなる、いや世界中に居場所が無くなるだろうな」
「やっぱり結局は社長派じゃないか」
クリスが椅子に腰掛けて膝を組む。
「副社長がヘマをやったら責任をとるのは誰だと思う? 上司の社長さ、社長は今、社長を辞めるわけには行かないんだ、それが何時までかは判らない。副社長の事を黙認しつつ陰で私たちを使って秘密裏に計画をとん挫させようとしている、これは私だけの力ではなく私たちが出られない場所では、蓼島達の力も借りているがな」
「この書類が出れば、社長も安泰じゃないってことか」
「それだけじゃなくて、トライデントもどうなるのか判らなくなってしまいますね」
愛が呟く。
そうだ、この島は第3セクターとはいえ実質トライデントコーポレーションで成り立っている。
「それは平気だよ、国連が押し進めたオリュンポス計画、これを中止させたりすると日本やアメリカが常任理事国で居続けるのが難しくなる。双方ともに必死になって継続させるさ」
御徒町は笑顔でコーヒーを飲み干した。
思えば、御徒町の本当の笑顔を見たのはこれが初めてかも知れない。
「僕は信用してもいいんじゃないかと思います」
晴海が手を挙げた、続いて夏姫、幹、そして香津美やクリス、愛。
最後にため息を付きながら克司が手を挙げた。
「感謝する」
たくやはそう言いながら、大きい鞄の中から防弾ジャケットをとりだした。
「一応、全員分はあると思う。倉庫で待ってるだけと言ってもどうなるか判らないからな、身につけて置いてくれ」
「御徒町の分は?」
クリスは受け取りながら尋ねた。
「私のはボディスーツ型だ、これじゃないと私の武器が使えないんでね」
そう言いながらたくやは自分の胸を軽く二回ほど叩いた。
二時間後。
倉庫に来たのは鈴木香津美、夏川幹、神原愛、そしてクリスと御徒町。
「なかなか便利な物つくったのねぇ」
ホロノートに転送されてきている過1/α受信装置とHigh-GPSのデーターを見つめながら御徒町がため息をつく。
とはいえ、これだけのデーターを送るために菱垣研究室では世良や夏姫、晴海、蒼威がひっきりなしにキーボードを叩いているはずだ。その隣ではまだ軽量化や高性能化、量産化しようとしている学生がいる。
「おっけ、場所は判ったわ。じゃあクリス、その保安キーでドアを開けてすぐ閉めて。二十分後にまた開けて、いい? 二十分きっかりよ、十秒でも遅れたら閉めてもかまわない」
「閉める? それは出来ない」
「何でよ?」
「御徒町を信じたからだ、一度信じたからには最後まで信じる。だから遅れることは絶対にない、絶対にないことを考える必要はない、それが私のやり方だ」
「蓼島も苦労する子を彼女にしたんだな」
「……今は蓼島は関係ないだろう」
クリスはふと胸にかかっている先祖代々続いた幸運のお守りのペンダントを握ろうとしたが、そこにはすでに無かった。クリスはここに来る前に蓼島に預けた事を思い出した。
危険だからと引き留める蓼島には、DNAレベルに刻まれている軍人の血があらゆる雄弁(あるいは詭弁)を紡ぎだして説き伏せた。
「こちらクリス、お出かけの準備は整った要石そっちの準備はどうだ?」
『こちら要石、お嬢様のご機嫌もいいし、いつでも飛び出していける、そちらの娘さんにもよろしく』
バックアップと実働隊をほぼ半分に分けたが、それでも人手は少ない。実際にまだ過1/α受信機は計算が複雑であることから、今回はバックアップに回った蒼威が通信に出ていた。
「じゃ、ちょっといってくるわね」
御徒町の口調は、サンダル履きで近くのスーパーに行く主婦のそれと似ていた。
「……drei、zwei、eins、null!」
クリスがカードスロットルにカードを通した瞬間にドアが開き、低い姿勢で御徒町が飛び込む。五秒ほどでドアが閉まった。
時計の針の進み方は常に一定、遅くもなく早くもなく誰にでも公平にやってくるはずなのに、こういうときだけは時間を司る神がイタズラしているのではないかというくらい遅い。
「夏川、ドアのそっち側で待機しててくれ。もし時間通りでも御徒町の後ろに追っ手がいるかもしれないからな」
「判った」
クリスのビジフォンが一度だけ鳴った。
蓼島との約束で、この倉庫の近くに越ノ寒梅が来ているという合図だった。
寒梅には雅美も乗っている。
突入から六分後に菱垣研究室が慌ただしくなった、コリーンを示すマークが移動を始めたからだ。
随時情報が来るわけではなく、その都度受け取っては座標を確定させなければならない。モニター前の四人はとにかく必死に作業して現場の全員のホロノートに転送していた。
「動いてるな、割と早い」
トラコ内部を詳細には知らず、GPS頼りに行こうとしたクリス達よりも内部を熟知している御徒町だからこそだろう。
十八分経過、ホロノートに浮かび上がる光点の動きが鈍くなった。転送されるまで世良・夏姫・晴海・蒼威が努力しているとはいっても十秒近いラグがある。実際にはもっと出口に近いはずだ。
あと三十秒というところだが、まだ光点は三十秒で届く範囲には無かった。
こういう時にかぎって時間が早く過ぎてしまう。
「クリスさん、もうちょっと待った方が」
幹の言葉を無視してクリスはカードスロットルにカードを構える。
「……!」
二十分丁度にカードがスリットを滑った。
「はい、これ荷物。走って逃げる!」
小さなコリーンの身体、とはいえ受け止めるのにはクリスと幹が二人がかりだった。そして御徒町の後ろには追っ手が見える。
「早く出ろ御徒町!」
「私はくい止めてから別の道から出る、お前たちは早く出てけ!」
コリーンは気絶していた、御徒町はどうやら担いでここまで来たらしい。
「死ぬなよ、御徒町!」
ドアが閉まる瞬間に香津美がコリーンの身体を担ぎ上げて放った言葉に、御徒町は口の端から血を出しながら背中越しに笑っていた。
「くそっ!」
クリスがカードを何度もスロットに入れて下に引く。
しかしドアはびくともしなかった。
暗唱番号が二回で変わってしまうのか、それとも何らかの保安システムの作動なのか理由は判らない。
「いきましょう、クリスさん」
「愛……」
「クリスさんが信じると最初に言ったのよ、だったら御徒町さんの最後の言葉も信じてあげなきゃ」
「……」
「早く行くわよ、この倉庫の出口を押さえられたら私たち程度では太刀打ち出来ないんだから」
香津美の言葉にクリスは一回ドアを殴った。
「……わかってる」
怒りではなく、ドアの向こうにいるであろう御徒町への応援のように幹には映った。

シーン5-1:

寒梅船内。
「お姉ちゃん!」
寒梅の宴会場、畳の上に横たわるコリーンに駆け寄る雅美。
「気絶はしてるが、別状はないようね」
ガールスカウトで救急を習っていた香津美がコリーンの脈を取りながらそう伝える。
「……ここは?」
コリーンが目を覚ました、服はトラコの研究員の服だがかなり汚れていた。
「いらっしゃい、初めまして寒梅にようこそ」
蓼島の声に返答することもなくコリーンが大声を上げた。
「本部長さん!」
「コリーンを私たちに預けた後、自力で脱出すると言って追っ手をくい止めてくれている。こっちはもう安全圏だが……、無事に脱出してくれてることを……」
「違うんです! 違うの、本部長さん」
「大丈夫だよ、あの鬼オカチーなんだから何度も助けて貰ったおれたちが言うのも何だけど、あれは人間じゃないしな」
「撃たれてるんです、私助け出すときに撃たれてるんです! 一緒に走って逃げてたのだけど私が遅いからすぐに追いつかれて、かばって本部長さん撃たれて『ごめんね』って言ったと思ったら、私、気を失って……」
「あの、鬼オカチーだぞ、何度だって……」
「蓼島、やめろ!」
蓼島の背中に額をあてながらクリスが呟く。
その時だった。
倉庫から過激な破裂音が響く。
倉庫は黒煙を吹き上げながら、瓦解していった。

シーン5-2:

「美月さん、私達にまだ隠し事してますか?」
「どうしてそう思うの、鈴ちゃん?」
「ジェレミー先生と同じ顔してるから、悩んでたときのジェレミー先生と」
「ふぅ、どうしてこうも感のいい子がいるのかしらね」
ジェレミーはモニターの前に座って一つのファイルを展開した。
「もう、この子に教えてあげてもいいよねジェレミー……」
「海底考古学ですか?」
「ええ、私と早瀬と海藤、で研究したオラレルの研究」
「海藤って瑠璃さんの?」
「そう、私たちは海中遺跡の研究を共同でしていたの。環太平洋地域の海底遺跡を全て、判ったことはあの遺跡は、ううん遺跡の内部ね。あそこに人魚は寝ていたのよ、そして遺跡丸ごとひっくるめて完全なる生命球になってた、地球を覆う酸素の殆どが海がまかなっているのは知ってるわよね、太陽光が無ければ体内で合成できないビタミンDでさえ、あの中では合成出来るの、まだその理屈は解明されてないけど、私たちはその秘密を三人の中だけに閉まった。鍵になっていたペンダントは海藤が常に持ってることになった、ペンダント自体にどんな効果があったのか判らないけど、彼に娘が産まれたとき蒼い目と髪の毛を持って産まれた、そう寝ていた人魚と同じ瞳と髪の毛を持って。私たちの研究が海藤の死によって露呈してしまった、社長も副社長もそれに目を付けた、だってその為のトライデントUNだったから。早瀬と私は瑠璃を守るために私は社長派、早瀬は副社長派、そしてガイアの声にも協力者何名かを得て瑠璃を守ってきたの。そしてあの木製の化け物は人魚を守る守り神だった、遺跡に近づく人間を人魚を起こす人間を殺すための、時代が過ぎすぎて海流で遠くまで流されちゃったのね、あなたたち海凰の研究結果、ジェレミーのファイルを見てそれは判った、過1/αを先天的に持った人間を守ろうとするのね、でも海底内には微弱な物を含めてたくさんの過1/α波があったから迷走を続けながらオリュンポスを目指してきた、人魚、そして瑠璃、副社長によって集められた過1/αを持った人間に吸い寄せられるように、海凰が襲われたのも、ジェレミーが副社長によって作られた人魚の一人だったせいなのね」
美月は一気に喋って足りなくなった酸素を肺に送り込むように、大きく息を吐いて吸い込んだ。
「それって、みんなに教えてもいいですか?」
「ええ、ジェレミー同様、鈴ちゃんを信じるから私も」
なんとまぁ無邪気な笑顔なんだろう、自分も通ってきた道とはいえこんな笑顔を自分がしてきただろうか。そのくらい鈴の笑顔は美月に強烈な影響を与えた。
「で、で、で」
「?」
「過1/αの言語化プログラムなんですけど、雅美ちゃんがこれ作ったのはいいんですけど」
鈴が美月に手渡したのは一枚の紙。
「受信者? 言語化するのに機械でなくて人間を使うの??」
「実際に組み立ててみないとアレなんですけど、きっとそうです」
「過1/α受信者……、雅美ちゃんって……」
美月がファイルを一個呼び出す。
そこには雅美が十三歳の時、菱垣研究室にやってきたときのファイルが映し出された。
過1/α波による一時的な離脱症状。交感神経過抑制の報告書。
「きっとあの子、これ見てるわね……」
「すごいですね雅美ちゃんって……」
「きっと、私たちが本人は知らないだろうって思ってることも全部知ってるのよ、それでもあの笑顔を作っていられるなんて、私には出来ないわ」
「きっとそれは、作ってるんじゃなくて、本当に笑顔なんだと鈴は思います」
「……困ったわ、あなた達の世代は特別製なのかもしれないわね」
「??」

シーン5-3:

「あーもう、困ったな血が止まらないや」
たくやはその場に腰を下ろした、克司にはボディスーツタイプの防弾チョッキなんて言っていたが、元々たくやは防弾チョッキは身につけない、重さと可動域の狭窄が持ち味の体術を殺してしまうからだ。
「止める気も無いんだけどね……、鹿目お待たせ、やっと一緒になれるよ」
銃を持った男達がたくやを囲んだ。
「でも、生涯最後のワガママ。あんた達なんかに私を殺させやしない。あたしは我が儘に自分で自分の死に場所を決める」
そう言ってたくやは手を挙げた。
そしてその両手からは二個の手榴弾が転げ落ちた。
「止めさせはしない、私の時間は私が止めるのだから……」

EOF
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