シーン1:

滝 智己(たき・ともみ)はすでに通いなれた道を歩いていた。
行き先は早瀬研究室。海洋文化学の分野では、トライデントUNのみならず世界的に知られた研究室である。
だがいつもは自分の売り込みに熱心な智己の表情は、今日に限って心なしか曇っているように見えた。
「こんにちは、お邪魔します」
「こんにちは」
研究室の扉を開けると、秘書の女性が智己を出迎えてくれた。
「教授は、いらっしゃいますか?」
「ええ、大丈夫。今日は一日いらっしゃる予定ですよ」
――よかったぁ。
心の中で安堵する智己。あらかじめ秘書の女性に確認を取っていたとはいえ、教授――早瀬恭平(はやせ・きょうへい)がいなければ話にならないからだ。
「少しお待ちくださいね」
秘書の女性は立ち上がると、奥の部屋に入っていく。
智己は応接セットに腰をおろし、彼女が帰ってくるのを待った。
(早瀬教授の真意を確かめないと……)
ロス・ジャルディン島にある古代文明の海底遺跡。それに関する早瀬の論文を読んだとき感じた小さな、でも重要な違和感。その原因を確かめるため、智己はここに来たのだ。
そしてまたもう一人、智己とは違った観点からここにやってきた者がいる。
「アレぇ、智己サンじゃないですカ」
「グエン!?あなた何をしにここに……」
ひょっこりと現れたのはグエン・ホー・ズアン(-・-・-)。
自称『オリュンポスのカッパ』は、海底遺跡に関する新旧の図面の差異に気づき、新しい図面を作った早瀬にそのことを問いただしに来たのだ。
「――という訳で、センセイは何かを隠しているのデース」
「それ、本当なの?」
「もちろんデース。ワタシ、実際に潜って確かめてきたデスヨー」
デジカメで撮った写真を見せる。
確かにそこには、グエンの言うようにL字型の部屋があるように見えた。
「やっぱり」
智己の違和感は確信に変わった。
――早瀬教授は、絶対に何かを隠している。

シーン2:

国際海洋大学専用港『フォローウィンド』。
その一角に泊められたボートの中で、八ヶ岳恵美(やつがだけ・えみ)は装備の最終点検を行っていた。
「酸素ボンベに、ヘッドランプと……」
あちこちからかき集めた装備品が、目の前に広げられている。
一つ一つ確認しながら、身に付けていく恵美。
ウエットスーツのジッパーを引き上げる。
レギュレーターを確認し、ゴーグルを装着した。
「このデータで間違いなければ、次の警備部の巡回は25分後だ――」
蓼島 稔(たでじま・みのる)より回してもらったデータを確認すると、恵美はボートを静かに出した。
行き先はロス=ジャルディン島。
そこにある海底遺跡の謎を探るのだ。

シーン3:

「全く、また君か……」
早瀬恭平(はやせ・きょうへい)教授は、智己の顔を見ると疲れた表情を浮かべた。
「ここの研究室に入りたいのは分かったから、後は次のゼミ選択のときに事務局に書類を出してくれないか?」
「あ、いや、今日は別のお話で」
「と言うと?」
「実は少しプライベートなことでご相談したいことがありまして……」
智己は部屋の中をきょろきょろ見回すと、小声で尋ねる。
「でも、この学校ってハッカーとか多いし、盗聴器もあるようなんで心配なんですけど」
「盗聴器だ?そんなもんここにはないぞ」
不機嫌そうな声で早瀬は答えた。――んなもん気にしてたら、キリがないぜ。
「分かりました」智己は本題に入ることにした。「あのですね、ここ最近、UNを騒がせている人魚の話はご存知ですよね?」
「大体の話は聞いているが」
「私の知人にも、その人魚を見たという人がいるんです」
「それで?」
興味なさげに答える早瀬。
「先生が管理されているあの海底――」
「早瀬先生、人魚のコトを自分だけ隠スナんてズルイネ。グエンにも教えるヨ!」
「――グエン!?」
いきなり核心に飛び込んだグエンに、思わず頭を抱える智己。
「おいおい。何かと思えば、俺がそんなことを知っている訳ないだろうよ」
「イイヤ、先生は絶対にシッテイルネ」
グエンはデジカメで撮った海底遺跡の写真を取り出し、
「コレは先月、グエンが潜ってきたときの写真ネ。どう見テモ、この遺跡は元々地上にあったようにはミエナイヨ」
立入禁止区域だろうが――突っ込む早瀬をよそに、グエンは続ける。
「ロス=ジャルディン島には人間が住んでいた形跡がないね。トスルト、最初から海の中に住んでいた人間が遺跡を作ったと考エルノガ矛盾がナイ」
何枚か写真をめくる。
「遺跡の管理者であり、海洋考古学に詳しい先生が、そんなことに気づいていないはずがないと思うんです」
智己がグエンの後を引き継いだ。
「先生、以前からあの遺跡と人魚のことを知っていたんじゃないんです?」

シーン4:

「ここら辺で――」
海面に浮かぶ標識ブイの影にボートを泊めた恵美は、双眼鏡を構え、周囲をぐるりと見回した。
春先の暖かい日差しが海面に反射しキラキラ光る。
遠くに警備部所属の巡視艇が遠ざかっていくのが見えた。
「データは間違いなかったようね」
恵美はアンカーを降ろしボートを固定すると、手早く酸素マスクを背負い、静かに海中に身を沈めた。
1m、2m。太陽の光が遠くなっていく。
10mを超えたところで、恵美はヘッドランプの灯りを点けた。
――あっちね。
腕に巻いた慣性航法装置を頼りに、海底遺跡へと向かう。
泳ぐこと数分、海底に横たわる遺跡が見えてきた。大理石の様な材質で作られた遺跡は、恵美にはまるで巨大な墳墓のように思えた。
グエンより入手した図面を頼りに、入口らしきところへと進む。
入口は遺跡の下部に設けられていた。
注意深く泳いでいく。
――これは?
遺跡の中に入った恵美は、その中に空気があることに驚いた。
お椀をひっくり返して水中に沈めた際、中に空気が残るような感じで、この遺跡の中にも空気が残っているらしい。
耐水バッグよりライターを取り出した恵美は、それに火をつけた。
石造りの壁が、ぼんやりと浮かび上がる。
恵美は慎重に酸素マスクを外した。
「空気は大丈夫みたいね」
どこかで空気が循環しているのだろう。遺跡の中の空気は新鮮そのものだった。

シーン5:

「いい加減にしてくれないか――」
智己とグエンが話し始めてから約2時間が経過していた。その間、早瀬は二人の疑問に対し、知らぬぞんぜぬを押し通し、一つも話の進展はなかった。
「俺は君たちが言うような話は一切知らないし、先日の人魚騒ぎにしてもNews-Chで報じられたこと位しか聞いていない。確かにあの遺跡に関しては俺が責任者だが、立入禁止区域に指定しているのは遺跡保護のためだし、L字型の部分に関しても、その様な部分があるというのは分かっていたが、中がどうなっているのかまでは分からなかったので空白にしていただけだ」
「そんな……」
早瀬は立ち上がると、扉を開けた。
「さあ、もういいだろう。帰ってくれないか」
うなだれる智己とグエンを促し、部屋の外へ送ろうとしたそのとき、外から一人の少女が飛び込んできた。
「な、なんですかあなたは?」
秘書の女性が慌てて間に入る。が、少女は早瀬を認めると、
「早瀬恭平、うちはあんたに聞きたいことがある」
「なんだ君は?」
「うちは海藤瑠璃。聞きたいことは、うちのおとんとあんたとの関係や!」
瑠璃はホロペーパーを突きつけた。
早瀬はホロペーパーの内容を一読すると、深い溜息をついた。
「『環太平洋地域の海底遺跡の分類について』――か。まさか論文そのものが残っていたとはな」
「ここに書かれているのはホンマのことなんか?」
「――いいだろう。本当のことを話そう」

シーン6:

「16年前――、俺と卓真は何度目かに結成されたロス=ジャルディン島の調査団に参加していた。たまたまその数年前に海洋調査実習船が海底火山の噴火で沈む事故があったため、当時本土の大学院にいた俺たちも調査団に潜り込むことが出来た。気づいているかと思うが、このUNには表と裏の顔がある。表の部分での人事交流は盛んだし、外部から多くの研究者を招きいれているが、裏の部分は極端に閉鎖的だ。
ま、偶然とはいえ、俺たちはその裏の部分に飛び込んでしまった。
君たちがお察しの通り、あの海底遺跡は人魚の住処だ。いや、住処というのは適切な表現じゃない。むしろ島全体を含めてシェルターとでも言った方がいいのかもしれない。
それはともかく、そのときの調査で俺と卓真は偶然にも海底遺跡より島の中に入り、今世間を騒がせている人魚――エテルナに遭ってしまった。
Coの上の連中は、元々以前より人魚とMVについて知っていたらしい。
彼女は連中に囚われていき、俺たちは口封じの意味も兼ねて、ここのポストが与えられた」
「でも、おとんはうちには何も……」
「そんなに急かすな。まだ話には先がある」
早瀬はお茶を一口含むと、続きを話し始めた。
「もちろん俺たちだってそんな状況がいいとは思っていない。だが、連中のやり口は狡猾だ。うかつに動いたらMVの実験台にでもされて終わりだろう。
――島の中への入口は16年前に封鎖し、鍵を掛けてあった。少なくとも連中は、島の中のことは知らない。そこで俺たちは一計を案じた。他の部分では精力的に活動を行い、肝心の遺跡と島の部分では徹底的に愚鈍になろうと。そうすればいつかはマークも緩くなるし、遺跡への関心もなくなってくる」
「それであんな論文を……」
「まさか君みたいな学生に見抜かれるとは思わなかったがな」
早瀬は苦笑した。
「最終的にそれは成功し、卓真はUNを離れることが出来た。その際に奴らに追われないように、今までの研究結果を改竄したため、瑠璃っぺはそのことを全く知らない。
まさか、このUNに戻ってくるとは思わなかったがな」
頭の上に手を置かれた瑠璃は、真っ赤になって怒る。
「デモ、昔の知り合いナラ覚えていなかったノ?」
早瀬の顔が暗くなった。
「瑠璃っぺが出て行くとき、俺たちは念のために美月たちと謀って、こいつの記憶の中の場所と人物の認識を少しだけずらした。
――すまなかった、瑠璃。お前の記憶の中では、俺は叔父さんになっているはずだ」
「……な、なんやの、それ」
人の記憶を勝手にいじるやなんて――、瑠璃は怒りにこぶしを震わせていた。
「お前を奴らから離すためには、それが必要だったんだ」
「そやかて、そやかて……」
人間は理屈よりも感情が優先する。鬱屈した感情は行き場を失い、そしてついに爆発した。
「あほー!」
瑠璃は部屋を飛び出した。慌てて智己とグエンが後を追う。
それを見送りながら、早瀬はビジフォンを手にとると、ある番号をプッシュした。

シーン7:

遺跡の中は大きく三つのエリアに分かれていた。
入口付近の小部屋と、中心の大部屋、そして奥にある寝室らしき部屋である。現代人の生活様式に合わせると、大体5〜6人が共同生活を営む程度のスペースに思えた。
「行き止まりか……」
恵美は今まで計測したデータと、グエンから入手したデータを見比べてみた。
するとやはり、この行き止まりの先にも、空間があるように見える。
「ん、これは?」
壁面になにやら凹んでいる部分がある。
「縦4cm、横2cm位だな――ここ以外には特に変わったところはないみたいだ」
その他にもいろいろと探してみたが、特に収穫となるものはなかった。
恵美は時計を見る。既に潜入から1時間以上が経過している。
「そろそろ戻らないとまずいな」
恵美は遺跡を後にした。
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