シーン1:

トライデントUN国際海洋大学小暮研究室――実質的には世界的な環境保護団体『ガイアの声』のトライデントUN支部の中には、妙にだれた雰囲気が漂っていた。
例えて言えば、戦場帰りの兵士がかもし出す無力感とでも言うのだろうか。
部屋に入るとき、咲コーヘー(さき・-)はそんな感覚を覚え、背筋を震えさせた。

「これから――どうしましょう?」
ホロペーパーに踊る『海洋牧場、謎の崩壊?!』という記事の見出しを見ながら、宵闇浮月(よいやみ・ふづき)は呟いた。
記事をめくると、無残にも崩れ落ちた集魚灯の画像が現れる。
「まさかあんなもんが出てくるなんてな。ほんま、自分が見たもんが未だに信じられへんわ」
どこか気の抜けた調子で、海藤瑠璃(かいとう・るり)が答えた。
海洋牧場の崩壊――、それは木で出来た巨大な『龍』の暴走によるものだった。
目前でそれを見ていた瑠璃達とて、後に残された残骸がなければ、夢かと思うような事件。
だが、それは現実なのだ。
「瀬名しぶきもまだ見つかってないそうだ」
片桐詠二(かたぎり・えいじ)が言った。
「普通やったら死んどるやろなぁ。それこそ、また人魚にでも助けられてへんかったら……」
「だろうな」
詠二は手元のホロペーパーに目を落とすと、
「一応、あちこちに当たってみたが、あの事件の後、ここら辺の海や船舶には変化は見られないそうだ」
「人魚も『龍』も霧のように消えてもうた訳か」
「手がかり、なしですか……」
うなだれる浮月。
「そうとも言えないわよ」
背後から掛けられた声に、一同振り向く。
そこには長身の女性が、腕を組んで立っていた。

シーン2:

長身の女性は、虎杖詩絵羅(いたどり・しぇら)と名乗った。
「ドルフィン便の社長といえば、お分かりかしら?」
「ドルフィン便ゆーたら、こないだ事務所が爆発したとこかいな?」
「ええ、そうよ」
詩絵羅の顔に一瞬苦い表情が走る。が、すぐに微笑を浮かべると、
「海藤瑠璃さん。あなたに折り入ってお話があるの」
「……話やて?」
「MVについては、あなたも知っているわね?」
瑠璃は黙ってうなづいた。
「人間の細胞を癌化させるウィルス。それを使って人体実験を繰り返している奴らがいるわ。このトライデントUNの中に――」
「あの実験データのログと、変死体の写真は見たで」
前置きは不要か――。詩絵羅は早速本題に入る。
「実験を行っているのは、トライデントUN第4研究室。MVについての研究を行っている、秘密の研究室よ」
詩絵羅はここに来るまでに、自称(?)新聞記者の森瀬より入手した情報を洗いざらい話した。
曰く、

・第4実験室はトライデントコーポレーション内に存在する。
・その構成している研究者の素性は研究者同士も知らない。
・月に1回集まり実験を行う。
・MVについての研究が主である。
・かなり以前から存在している。
・だれが総責任者なのか不明。
・違法な人体実験を行っているが、その人間はどこからか実験日のみ連れてこられる。
・次回は3月2日に実験が行われる。

「そして今、ここの学生の中で彼らに捉えられている人がいるわ」
詩絵羅は端末を操作すると、商業ブロックにあるホテルをズームアップする。
「彼女たちはここに囚われている」
しばしの沈黙。コーヘーが尋ねる。
「……それと、『龍』の関係は?」
「ああそうね。ごめんなさい」
詩絵羅は髪をかきあげると、
「過1/α波って知っているかしら?」
一同、首を振る。
「正直なところ、私も詳しいことは分からないわ。ただ、私の聞いた話だと、その過1/α波を持つモノに引かれて、あの『龍』はやってくる」
「そういや、なんかコリーンが海の揺らぎがどうとかゆーてたなぁ」
「恐らく人魚は過1/α波を出している。今、菱垣研究室で、その過1/α波をキャッチするレーダーの開発が進んでいるわ」
「そうすれば、人魚を探し出すことが可能になる訳か――」
瑠璃はしばらく考え込んだ後、
「そんで、うちは何をすればいいんや?」
過1/α波レーダーが出来れば、菱垣研究室の方で人魚は探し出せるだろう。もし詩絵羅の推測が正しければ、過1/α波をおとりにして『龍』をおびき出すことも可能かもしれない。
「私たちは、4研に囚われている娘たちを助け、そして彼らが行っている非人道的な行為を告発するつもりよ。そのときに、あなたが属している組織の力を借りたいのよ」
詩絵羅は瑠璃の手を取り、力をこめた。
「人が人をどうこうしていい訳がない。トライデントUNは暴走をはじめているわ。お願い、彼らを止めるには、あなたたちの協力が必要なの」
詩絵羅は瑠璃の瞳を真っ直ぐ見据える。
「……分かった」
「え?」
「分かったちゅーねん」
瑠璃は頭を掻きながら、照れくさそうに顔をそむけて言った。
「うちらに何が出来るかは分からへんけど、協力させてもらうわ」

シーン3:

地球上に存在するあらゆる書物の情報を呑み込んだ知の迷宮――トライデントUN中央図書館の一角で、柏木竜一(かしわぎ・りゅういち)は瑠璃の父親の研究内容について調べようとしていた。
伝え聞く話や、自分が目の前で遭遇した出来事を総合すると、人魚と『龍』が、海藤と何らかの関係があることは間違いない。
そして人魚の背後には謎のMVの姿が見える。これらを繋ぐ糸は、瑠璃の父親ではないだろうか?
――そう、竜一は考えていた。
「海藤卓真だったかな、彼女の父親の名前は……」
検索キーワードを端末に入力する。
一瞬の後、画面は卓真の論文と紀要のタイトルで埋め尽くされた。
「三十代半ばで亡くなった割には、結構あるんだな」
試しに幾つかのファイルを開いてみる。論文特有の曲がりくねった文体が、そこには踊っていた。
困ったもんだ――軽い頭痛を覚え、ファイルを閉じようとした竜一の目が鋭く光った。
「トライデントUN国際海洋大学教授だと!?」
海藤卓真の肩書きは、彼がこのトライデントUNにいたことを示していた。

「やはり何かある」
竜一はその日から、卓真の論文と紀要を一つ一つあたりはじめた。
その大半は海洋生物の進化について書かれたものであり、特に地球上で過去6回起こったとされる、生物の大絶滅をテーマにしたものが目を引いた。
――次に大絶滅が起こったら、我々人類をはじめとする哺乳類はどうなるんだろう。竜一の頭にそんな考えがよぎる。
だがそんな考えも、次に見た論文で吹っ飛んでしまった。
「『環太平洋地域の海底遺跡の分類について』――主席研究者:早瀬恭平、共同研究者:海藤卓真、潮美月」
人魚との関係が噂される早瀬恭平、過1/α波探査レーダーを開発中の潮美月。そして瑠璃の父親である海藤卓真。彼らはかつて、このトライデントUNにて学んだ仲だったのだ。
もつれた線が一つ繋がった。

シーン4:

「うちのおとんが、ここの教授やった?!また冗談きついなぁ……、うちのおとんは須崎海洋技術大学のしがない助教授やで」
竜一から父親がトライデントUN国際海洋大学の教授だったことを聞いた瑠璃は、はじめ笑い飛ばした。
「これを見てくれ……」
差し出されたホロペーパーを読む瑠璃。目つきがだんだんと真剣になっていく。
「なんやこれ、ホンマかいな」
「教職員名簿などには在籍の事実は残っていない。恐らく、誰かが削除したんだろう」
瑠璃はホロペーパーを投げ出すと、廊下に飛び出した。
「おい!どこへ行くんだ?」
「早瀬研究室!」

シーン5:

トライデントUNに幾つか設けられた人工海岸は、手軽なレジャースポットとして教職員・学生の間では人気が高い。
人工とはいえ、日本本土ではすでに見ることが出来なくなった白砂が満遍なく敷き詰められたビーチは、夏にでもなれば水着を身にまとった男女で埋め尽くされる。
だが、まだ春先の季節、早朝の海岸を歩いていたのはコーヘー一人だけだった。
「くそっ!」
白砂が宙を舞い、日差しを浴びてきらきら光る。
「何も出来ない自分を、こんなに恨めしいと思ったことはないぜ」
トライデントUNを覆う巨大な陰謀。人魚と『龍』の関係。そして『ガイアの声』について――
「一人でどうこうするには、話が大きすぎる……」
コーヘーは360度ぐるりと回りを見回した。
巨大な高層ビルが立ち並び、モノレールの軌道がその間を縫うように延びていく。軌道は円弧を描き、ロス=ジャルディン島の島影に隠れ、そして――
「おや、目の錯覚かな?」
波打ち際に人が一人倒れている。
コーヘーは目を擦った。だが、当然のごとく人影は消えない。
「おいおいおいおい」
慌てて駆け寄ると、倒れているのは褐色の肌をした女性だと分かった。
「おい、しっかりしろ!」
女性を抱き起こしたコーヘーは、その顔を見て絶句した。
女性は、瀬名しぶき(せな・-)だったのである。

シーン6:

「先生、彼女は大丈夫ですか?」
たまたま通りかかった人の助けを得て、コーヘーはしぶきを近くの診療センターに運び込んだ。
しぶきに取り立てて外傷は見られなかったが、重度の昏睡状態に陥っていると医者はコーヘーに告げた。
「生命に別状はないよ。その点は安心していい」
「本当ですか――よかった」
コーヘーは胸をなでおろした。
いかに瑠璃を酷い目にあわせた相手とはいえ、自分が助けた相手にもしものことがあれば、いい気持ちはしないからだ。
「ただ……」
医師は首をかしげる。
「血液検査の結果、妙に白血球が多いようだ」
「どういうことですか?」
「詳しいことは精密検査をしてみないと分からないが、体内で炎症を起こしているのか、それとも癌か何かを持っているのか――」
「ガンだって!?」
驚くコーヘーに、医師は笑って答える。
「まあ今のご時世、どうしようもない末期のガン以外は、薬と遺伝子治療で治るからね。そんなに心配することないよ」
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