シーン1:

クリスはイライラしていた。
夏姫はそんなクリスをみてハラハラしていた。
トライデントプリンセスホテルの最上階、スイートルームから見える景色は最高であるが、それが捕らわれているとすればさほど気分のいい物ではない。
下を歩く人と自分の場所が変わらないか考えたときもあった。
監視カメラは巧妙に隠されてはいたが、その存在ははっきりと判った。
スイートルームの隣室では、常に彼女たちの監視を続けている人間が居る。
ドアの鍵は開かないし、窓も事故防止のため元々開かない様に出来ている。
しかし、彼女たちは監視者の耳に届かないように小声で脱出のプランを考えてはいた。
蓼島、晴海どちらにしても救助には来てくれるだろう、その際にはこっそりというよりも、なにかしら仕掛けてくるはずだ。その期に脱出し、蓼島達と合流しようというプランだった。
彼女達なりに生きる道を模索した結果だった。
来るとしたら今日だ、それは確信できる。
完全に近い準備をして救出に来てくれるのであれば、時間はぎりぎりいっぱいかかるだろう。
しかし、前日となれば警備は堅くなる。とすれば、数日前に告げられた実験の日の前々日である今日の公算が高い。
「(それまでに出来ることは)」
クリスの考えていることを夏姫は判っていた。
判っていたからこそハラハラしていた。
夏姫は肉体労働は得意ではない、どちらかというと情報を出来るだけ多く集めてより正解に近い方の道を考えるタイプだった。
だからいつ飛び出して行くかも知れないクリスの、表情には出さないが、イライラした様子にハラハラしていたのだ。
彼女たちも別に今まで何もしなかったわけではない。
もしかしたらこの部屋をすでに特定していて、外から見張っているのであればと、時計を反射鏡代わりにしてモールスをしてみたり、体操の振りをして窓際で手旗信号を送ったり、部屋中のカメラの位置を割り出し死角を探したりと手持ちの武器となりそうなものを探して、一ヶ所にコーディネイトしながら置いてみたりと。

シーン2:

蓼島達の準備は万端だった。
この日のために御徒町のパスワードであらゆる情報を手に入れていた。
プリンセスホテルのセミスイートルームは神原があらかじめ予約を入れておき、前日からそこを拠点とした。部屋にいるのは4人、蓼島・有明・要石・神原・鈴木の4人。そして宮前が外からホテルのセキュリティにアクセスをしている。
「ああ、ありがとう」
蓼島がビジフォンのイヤホンをはずす。
「いま世良から連絡があった、装置が完成したらしいでもってここのスイートの公算が高くなった」
彼らの手持ちの武器は少ない。
特殊警棒に高圧に改造したエアガン、警備部の倉庫から拝借してきたハンマーと煙幕。それとロープが1本。
決行は夜に行うことにした。
停電を起こすことになっている、夜ならば他の泊まり客も出歩かず逃げるのにいい。
また真っ暗になったら、頭の中に散々たたき込んだ見取り図が活躍する。
相手は武装集団でもある。素人の学生の手におえるものではない、その為、蓼島は警備部の御徒町にプランを伝え、逃走経路を確保する人員を出してもらえるように交渉し了解をとった。
警備部の人間の顔は判らないが、逃走経路はあらかじめ伝えてあるからそのポイントポイントでまっていてくれるはずだ。
『腕利きを準備しておくよ』
御徒町はそう微笑んだ。
蓼島は床に寝ころび夜を待つ間、仮眠を取ることにした。
決行まであと8時間、日付が変わったときが勝負だった。
時間になったら2分後にホテルの電源を落とす。
とはいえ簡単な作業ではない。
警備部に依頼したのは正解だったのか。

シーン3:

某所にいた宮前五郎はPCの前で気づかれないようにトラコのセキュリティプログラムの側に近づいて身をひそめた。ホテルでの救出計画が実行されたとき、トラコと自治警への連絡をさせない為に陽動に近いハッキング、そして通信の遮断をするためだった。遮断したあともそれを維持しながらであるが、今までの事件のキーワードを引っ張り出す事もやるつもりであった。
別の場所で行動をしていたのは五郎だけではない。
ドルフィン便の従業員、夏川 幹・早瀬流風・叶野水月の別働隊だ。
中でも叶野水月は救出だのには興味がない、というか最近起こっている事態に自ら飛び込んでいこうとは考えてもいなかった。だから、今手に持っている荷物を渡したらとっとと『あの日の日常』に戻るつもりだったのだが、生憎と人間行きたい方向に行けるように便利には出来ていないらしい。
叶野の手にある大きな荷物はプリンセスホテル宛だった。
中身は荷札に『生物』と書いてるが、冷凍はされていない。
現状から逃げ出そうというのに、最後までやることはやっておかないと気が済まないタチだった。
「じゃ、これよろしくお願い致します」
ホテルの従業員に領収のハンコを貰い、荷物をホテルの中に運び込む。
台車がちょっとした段差でもがったんがったん響く。
搬入の指定時間が真夜中という荷物である。
なるべく静かに台車を動かした。
セミスイートルームの前までくる。
「お届け物をお持ちしました」
ドアをノックし開くのを待つ。
「あ、はい」
ドアを開けた人物、神原 愛だった。
「!?」
ドアの前には大きな段ボール。
「すみません、お届け物です登録カードお願いできますか?」
「はい」
叶野はカードを受け取ると、マイクロICチップをリーダーに通した。
「はい、ご利用有り難うございました。お荷物は中に運んでよろしいですか?」
愛にしてはよろしくはないのだが、叶野としては台車は返して貰わなければならない。
「じゃあちょっと中に入らせて貰いますね」
大きい段ボールを担ぎ部屋の中に入れる。
「重っ……」
「(しっつれいね、女の子をつかまえて重いですって!?)」
叶野と愛が顔を見合わせる。
「あー、息苦しかった」
段ボールの箱を破ってでてきたのは早瀬流風だった。
「叶野さん、そりゃ確かに軽いとは思わないけど口に出して言う事じゃないわよね〜?」
「いやだって」
「だって、何よ?」
流風は叶野ににじり寄る、にらみを利かせながらくっつく位の距離だ。
形のいい張り出した流風の胸が叶野の胸すでにあたっていた。
「まさか早瀬くんが入っているとは、知らなかったし」
「あ……、そっか言ってなかったもんね」
「えっとですね……」
愛は恐縮そうに話しに割り込む。
「ドア、閉めていいですか?」
こうして叶野は唯一残っていた逃げ道を失い、何かしらのやっかい事に巻き込まれた事を悟った。

シーン4:

「だから、夫婦でここ取ってるなら女が2人もはいっていくと不審がられるんで、荷物になってたワケよ」
段ボールには発煙筒やら、スタンガンやらが満載になっていた。
それを見て叶野は、ふと思うわけだ。
「(良くこんなの持ち上げられたな)」
と。しらないというのは強いものだ。
そしてもう一人、夏川幹は一人正面から入り、客の振りをして動力室へ向かっていた。
何人かの客や従業員とすれ違うが、軽く会釈するとすんなりとすれ違う事ができた。
彼の目的は万が一、ホテルが停電にならなかったときに直接動力源を落とす事だった。
サポートはビジフォンの向こうから、仮設テントでのドルフィン便通常業務を再開し、今は夜間受付の業務を兼務している神無月夕香里がやってくれている。
巡回の時間を夏川が夕香里に伝え、夕香里がタイミングを出す。
夏川は自分一人が隠れていられそうな空間を見つけた。
そして夕香里の出したタイミングでその空間に隠れた。
あとは時間になるのを待つだけだ。
彼らの救出方法は間違えてはいない。
しかし、見落としがあった。
ここがホテルということだ。
クリスと夏姫、それと蓼島達救出組だけがいるのであれば問題はない。
ただ、一般客の事を忘れていた。
トライデントの中でも最高級を誇り、開業以来1度も災害が起こったことのないホテルで、安心しきった客が不意に停電にあったらどうするか?しかもメインの動力が落ちるだけならまだいい、すぐにサブの動力に切り替わるからだ。では、直接動力源を落としたらどうなるか。サブの動力さえも動かなくなったホテルに待っているのは。
……最大級のパニックだった。

シーン5:

3月1日0:00
蓼島達が動く、ビジフォンからは世良達から夏姫とクリスの居場所の連絡が流れる。
クリス達の場所は変わっていない、このホテルのロイヤルスイートだ。
非常用の階段を使い、1つ上の階を目指す。
時間は2分。
非常ドアを開けて目の前の通路を右に行く。
0:01
誰にも会うことなく部屋の前に着く。
このときは誰も『上手く行きすぎていること』に気づかなかった。
ドアが簡単に開く。
「クリス!」
「瀬戸内さん!」
男二人が飛び込んだのは同時だった。
そして目の前には。
息を荒くしたクリスと、割れた花瓶を持つ夏姫。
そしてメイドのユニフォームを着た女性が倒れていた。
どうやら彼女たちは彼女たちなりに脱出を試みて監視者と闘った様だ。
時が同じくなったのは、偶然なのかお互いの心情がなせる技なのか判らない。
しかしほんの数週間前に別れたのに、とてつもなく長い時間離ればなれだった気がする。
「蓼島……」
「クリス……」
「遅いぞ蓼島」
そう言うクリスは笑顔だった。
「お待たせしました近衛騎士の登場です、ロイヤルハイネス」
いつの間にこんな軽口が言えるようになったのか、蓼島本人も驚きだった。
お互い歩み寄りしっかりと包容する。
その時、ブーンっと時計が振動を始めた。
停電の予定時間だった。
暗闇に紛れて逃げ出す予定になっている、計画は晴海が立てて蓼島から警備部に行っているはずだ。
しかし、停電になる様子はまったくなかった。
「停電にならないの?」
流風はつぶやく。
「あの、いいですか?」
叶野は小さい声で言葉にする。
「メイドさんというか、従業員が見張ってたなら。ここの従業員の全員が、というか一部かもしれませんが4研の関係者なのでは?」
ホテルが監禁場所であるなら、そのロイヤルスイートをずっと借り切り、しかもカメラを上手に隠す様に工事までされている。もし普通の従業員であるならロイヤルスイートの謎に気づくはずだ。
だが、そんな話は一度も聞いたことがない。
可能性は1つしかない。
このホテル自体が4研の施設、あるいは支配下であるという事だ。
だれもこれには気づいていなかった。
同時刻、主電源室では夏川がスイッチに手をかけていた。
同時刻、菱垣研究室では他の研究者が常時で繋いでいたトラコからのLANが突如沈黙し、研究室全体のPCが次々に沈黙、波及していた。
「全員そこを動くな!」
ベルボーイのユニフォームを着た男が3人がドアで銃を構えている。
流風は素早く発煙筒に手をかけた時だった。
バツン!
ホテルの電源が落ちる。
予測していた蓼島達は男達に向かってタックルをかます。
クリスと夏姫は神原と流風に手を引かれる。
クリスと香津美だけは暗闇で発砲しない男達が素人でないことに気づく。
停電を起こしている時間は蓼島たちが脱出するまでの10分間。
しかし真っ暗闇というワケではない。
通常ホテルというのは予備電源を別口に取っているため、廊下の端の埋め込み非常灯が廊下を照らし真っ暗というわけではないはずだった。
「なんてこった」
蓼島がつぶやく。
切られたのはメインスイッチではない、主電源だったのだ。
よって廊下の非常灯は点いていない。
「蓼島、そっち握れ」
そういって要石が出したのがロープである。
「全員がロープを掴んでいる間ははぐれずに済む」
明かり取りの窓が1枚もない廊下である、懐中電灯はあるが自分たちの居場所を知らせるような物なので使う事が出来ない今、握りしめたロープが命綱だった。

シーン6:

菱垣研究室は大騒ぎになっていた。
といっても主に騒いでいるのは所属している研究者達である。
管理するプログラムはすでに研究室のホストとは切り離した、マシンパワーは激減してしまうがプログラムそのものが無くなるより遙かにマシである。
と、考えた矢先だった。
勝手にプログラムが開けられていく。
「どういうこった?」
ウルリッヒがコンソールパネルの中に展開されていくプログラムを確認した時だった。
それが罠だった、プログラムを勝手に開けたわけではない。開けたような振りをして相手がプログラム本体を確認するために開けるのをまっていたのだ。
このたちの悪い性質をもったのが、罠・転送・自己増殖の3つの攻撃を持つ間瀬の作ったホスト攻撃プログラム『ポセイドンの槍』の本質だった。
世良と雅美が気がついたとき、谷保はすでに行動に移っていたが一度開けられたプログラムはどんどん吸い取られていく。
「何をやってる?」
部屋に入ってきたのはここ数週間姿も見せなかった菱垣その人だった。
研究員の話を聞いていた。
「防壁を展開しましたので、これで少しは時間が稼げると思います」
鈴が安堵のため息をつく。
時間稼ぎといっても20分程度ではあるが、ひとまず安心できる時間だった。
この時間はメインのプログラムを別にコピーし移動するだけであれば十分な時間だったからだ。
しかし、研究室のコンピューターはそうもいかない。
今なお、無数というのも可愛いくらいの量と数のプログラム達が吸い上げられていく。
「なんだ、その程度でうろたえているのか」
菱垣はコンソールパネルの下に潜り込んで3本のコードを引きちぎった。
その瞬間、今まで展開されていたプログラムのすべてが停止した。
俗に言う物理切断である。
「トラコのホストに絶対信頼してる連中には思いつかない手ッスね」
研究室は独自にホストを持つ場合もあるが、細かい演算等はとうてい出来ない。
そこでトラコにあるホストを使って計算している。それでも一度も処理落ちをしたことがないまさに最強の頭脳を持っていた。それゆえその絶大な信頼性を過信している人間は、まだこの惨状にキリキリ舞している事だろう。同時にホストからの切断は研究の停止も意味していた。
「たかが3本の線程度に、わしの今までの苦労が消されてたまるか」
菱垣は笑っていた。
「久しぶり、おっちゃん!」
「おぅ」
手を挙げて菱垣をおっちゃん呼ばわりしたのは雅美だった。
他の学生は凍り付く。
それだけ菱垣研究室は恐怖の的だった。
噂では再起不能になった学生がいるとか、自信を喪失し本土に帰った学生がいるとか。
とにかく5年生で実習先に『ここだけは勘弁してほしい』研修先のNo2だった。
「なんだ、久しく見かけないとおもったら少しは胸ぐらい成長したか?」
「あっはっは、ちーっとも。もんだら大きくなるっておっちゃん言うから毎晩やってんのに減ってる感じがする」
「そいつは問題だな」
ニヤニヤする菱垣に、爛漫な笑顔で答える雅美。
少しだけ菱垣という人間の人間評が学生達の中で変わった。

シーン7:


宮前は焦っていた。
プログラムが言うことを聞いていない。
というより、五郎の目の前のプログラムはすでに停止しているのに、自己増殖をしてトラコのホストの中に住み着いたプログラム達が暴れ回っているのである。
人魚:セイレーン・サイレン、物語の中に登場する架空の生物、歌で船を引き寄せ沈没させると言われている。人魚姫他八百比丘尼の伝説など世界各国で見られる。
エテルナ:ATERNA、自動車メーカーの20世紀後半発売された自動車の名前。
MV:ミュージックビデオクリップス
オラレル:トライデントUN国際海洋大学の3人の学者によって提言された環太平洋地域の海洋建造物による分類の1つ。海底都市の分布。現在の世界各国にある海底遺跡は。ロス=ジャルディン島の海底遺跡を中心とした海中建造物の派生として説明が付くという学説。主席研究者は早瀬、共同研究者は潮、海藤。
その混乱に乗じて得ようとした情報も、その情報を得た瞬間に消されていく。
五郎はホストに巣くった槍を沈めるためにイージスの盾を投入していくが、イージスの盾には自己増殖の機能はない。仕方なく自己増殖の機能を槍から盾に移植して流したが、盾が槍に乗っ取られて行く。
「スパイクシールドって洒落になってないな」
キーボードを叩きすぎて指の感覚も薄れてくる。
『問題:海の神様の怒りを静めるにはどうしたらいいでしょう?(露』
翻訳ソフトが勝手に翻訳したらしい、相手はロシアからだ。
『答:アンドロメダでも差し出せば?(露』
勝手に画面にでてくるメッセージを五郎は無視した、何故ここにたどり着いたのかそんなことを尋ねる余裕なんかもなかった。
次の瞬間、槍が次々に停止を始める。
停止を始めたわけではない、動いてはいるがあるプログラムによって動けなくなっていた。
プログラム名は『オリオン』。
内容は単純だ、何の意味も持たない命令を無限に繰り返しているだけ。
『自分の作ったプログラムでさえも信頼はしても信用はしない、それがプロよ。判ったら坊やは今後手を出さない事ね。じゃあお休み(露』
『Who are you?』
五郎は手短に相手に送った、が返事は返ってこなかった。
その替わり返ってきたのが、画面いっぱいに走り回るテディベア。しばらくすると立ち止まり、その色の差で作られた『名刺』だった。
『ミーシャ』
画面いっぱいに出てきたその名刺の画面を五郎はプリントアウトした。
その名前は表では公表されていないが、各国水面下での大騒ぎとなった大西洋核危機を救った天才ハッカーであり、世界同時指名手配されている国際電脳犯罪者であることを知ったのは数日後のことだった。

シーン8:

蓼島・晴海達は明るくなった廊下で立ち往生していた。
目の前に砂漠でも歩くかの様な深いフード付きのマントを着た2人がいる、一人が女性、一人が男性。
男性の両手にはサブマシンガンほどの大きさを持ったハンドガンが握られている。
女性は手ぶらだったが、フードから白髪と赤い目が見える。
「……」
その時だった、全員の身体が縛られ廊下の壁にたたきつけられた瞬間、3発の銃声がなりマントの男がもう一人の女の前に背中を向ける形で立ちつくす。その背中には3発の銃弾を受けた跡から煙が立ち上がっている。
廊下の向こう側には男が3人銃を構えていた。壁によけさせたのは蓼島たちを銃弾から守るためだった。そしてどこにも当たらず、その立ちつくした女性に襲いかかる銃弾から男がかばった形だ。
男はそのまま両手の銃を肩にのせて、相手を見ずに撃つ。
「早く行け」
廊下の向こうで男達が倒れている、晴海たちを束縛していた細い縫い糸のような物もその緊張を解いた。
「警備部の依頼で来た、ここはおれたちに任せて三つ先のエレベーターで行け」
男がつぶやくように言う。
促される様に蓼島たちは急いだ。
谷保はその二人組とすれ違うとき、男の顎のラインに見覚えのある気がした。
「どうした蓼島」
「いや、勘違いかもしれない」
蓼島はその二人組とすれ違うとき、女の紅い瞳に見覚えのある気がした。
6人の姿が見えなくなると二人組は前進をはじめた。
「あなたが学生の言葉で動かされるなんて、以前のあなたからは想像もつかないですね」
「人はいつでも変われるもんさ、それにここは副社長共の施設だいつかぶっつぶさなきゃとは思っていたしね」
「知らない間に私も派閥に組み込まれてるわけですね」
「お詫びのしるしに、明日でも天楼のディナーっていうのはどうだ?」
「いいですね」
他愛もない会話をしている二人であるが、銃弾をかわしながら通った後には紅い液体の絨毯を作っていった。
少し時間は戻る。
主電源室には夏川が『すまき』にされて転がっていた。
すぐ側にいたのは輝月王里であるが、夏川とは面識も無い。
判っていたのは大学の制服を着ている事だけだったが。
「まったく、主電源を落とすなんて最悪なことやってくれて。いい?あなたのおかげでパニクった客11人が廊下で将棋倒し、人工透析をしていた人の透析機が止まって一時混迷状態、修学旅行の高校生達はじめ150人の泊まり客がロビーへ電話、おかげで自治警への連絡が遅くなったからこれはオッケーだけど……、それより最悪なのが人工呼吸器をつけた睡眠呼吸障害のある4歳の子供ね、助かるといいけど」
王里はすまきにされた夏川の側にナイフを1本置いた。
「じゃあ、早くその縄切って逃げ出してね」
笑顔で手を振りながら王里はかけていく。
「ふぉいてふなぁ!」
猿ぐつわをカマされて、言葉にならない言葉を発する夏川だった。

シーン9:

本当にあの二人組は味方だったのだろうか。
香津美は二人組に言われたエレベーターに乗った、それは業務用のエレベーターでシーツなどを運ぶためかなり広く作られている、ボタンは1つだけだった。
そして着いた先は消毒液臭漂う手狭な研究室と様々な器具。
エレベーターが開いた瞬間、研究室の電源が灯る。
「!?」
蓼島は一瞬構え、クリスをかばうがどうやらオートセンサーらしい。
「こんなトコに、まさかここが?」
神原のつぶやきに、要石が頷く。
「ここが4研なんだろうな」
観光地区の豪華ホテルの真下に研究室、これでは見つかるはずがない。
逆に言えばクリス達を研究室に連れて行く時を狙う救出作戦を立てていたら……、それは失敗に終わっただろう。
「ようこそ4研へ」
廊下に響く声と、立体映像。
「私はトライデントコーポレーション副社長の御陵基春(みささぎ・もとはる)だ、私は新しい人間を求める研究を50年に渡りやってきた」
という副社長の姿はどうみても20代のものだった。
「私の姿がその結果の一部さ、MVは人を選ぶ。真に選ばれた者は次の進化へ移る……、しかし陸上での生活はそう遠くない未来に限界がくる。新しい生物へ進化する前に終わってしまうのだよ、君たちが知っているあの人魚、エテルナの様になるには感染してから30年はかかる。だから僕は誰にでもそのチャンスを与えられるべきだと考えた。それが4研プロジェクトさ、この実験が成功すれば、君たちもその恩恵を得られるだろう。残念ながら僕はまだ完全ではない、老化の進行を抑えているだけで進化まではね。でもあともう一息なんだよ、ずっと目を付けていた最上級の素材も手に入れた事だし、クリス君と夏姫君だったかな、きみたちはもういらないよ」
晴海は手に持ったハンマーを立体映像の映写機に投げつけた。
立体映像は消え去るが言葉だけは続く。
「乱暴だなぁ、僕はねあの窮屈な遺跡とこの島で次の世界を待つつもりはないんだよ、社長のようにね。だったら人間が変わるべきだ、今まで人間は環境に適応しながら進化してきた。いまがその時期なんだよ。言っておくケド僕はかなり人道的だとおもうよ、たった数百人の被験者だけでなんとかしようっていうんだから。あの社長ときたら地球上の人口の99%を見捨てるつもりさ……、さてと、ここまで説明したのだからそろそろいいだろう?君たちを生きて返すつもりはないよ」
「……あ……アヴ……」
「しかし私もそんなに無慈悲でもない。チャンスを上げよう、今目の前にいるのは私の元部下だった女性だ。失態続きでね、彼女にも責任をとって貰うことにした。10分前に弱毒素MVを体内にいれた。あと15分は持つだろう、そしてここの研究室は放棄するよ。10分もしたら完全に密封、滅菌用のアセトアルデヒドガスが充満する。そして樹脂ポリマーを注入して永久に閉ざされるってわけだ。君たちに出来るのは彼女が持っている鍵で非常口を開けて逃げ出すことさ、では幸運を」
彼らの目の前にいたのは、晴海はしっていた。
潮 美月である。
晴海は世良への呼び出しチャンネルを開く。
「世良さんいますか!?」
『ああ、いま装置の再起動中だ』
「そっちに潮さんは!?」
『昨日ちょっとした事件があって、今は病院のはずだ』
「今目の前にいて襲われてるんですよ」
『何だ、話が見えないぞ』
「美月さんが僕たちを襲ってきてるんです」
『待て、よく見ろそいつの右手はどうなってる』
「右手は、包帯の様な物が巻かれてますが」
『じゃあ、それは美月さんじゃない、美月さんの双子の美海だ敵だ』
美海はかまうことなく銃を撃ってくる、しかしそれは明後日の方向だ。
蓼島がクリスに目配せをする、クリスは頷くと二人はいっぺんに美海へ走り出す。
蓼島が美海の左手の銃を蹴り上げる、同時に蓼島の後ろからクリスが飛び出して美海の膝を蹴り上げる。
キーンと耳鳴りがするのを谷保と香津美が感じる。
どうやら叶野もそうだったようだ。
「気圧が下がってますね」
「何で?」
「ガスを良く充満させるためでしょうか」
叶野の冷静な言葉遣いに流風はちょっとムッとした。
「あ゛あ゛……」
倒れた美海の様子がおかしい、肌の露出している部分がどす黒くなってきたかとおもうと、腫瘤が吹き出しはじめる。肌が崩れ落ち、髪の毛が抜け落ちる。
「ぐぁあああ」
悲鳴とも叫びとも取れない声をだし、クリスと蓼島を横殴りする。
人間の力とは思えない。
急激な減圧で、愛はすでに気を失っていた。
猛烈な吐き気と目眩に襲われる。
美海は流風の方に向かい、覆い被さるように首を絞めてくる。
「やめろ!」
蒼威と香津美が必死に引き離しにかかるが、びくともしない。
流風は脳に行くはずの血液の流れが止まった感覚が判った。
そして指先にある固い物が銃であることも。
流風はそれを手に取り、必死になって最後の力を入れて引き金を引いた。
美海の身体が後ろに吹き飛ぶ、流風にとってそれは無意識だったかもしれない。
立ち上がると、美海に向かってトリガーを引き続けた。
動きが止まっても。
弾が無くなっても。
カチン、カチン、カチン、カチン、カチン、カチン……。
香津美はそっと流風から銃を取り上げた。
晴海は美海のポケットから鍵を取りだし非常口の鍵を開けた。
しかしドアはピクリともしない。
押し戸だった。
どうやら、本気で御陵は蓼島達を帰すつもりが無いらしい。
わずかながらに空気に刺激臭が混ざる。
その時だった。
バゴン!
激しい空気の流れと共に、床板が一つはねとんだ。
「何してるんだみんな」
必死になってロープを切り、主電源の異常を確認に来た追ってから逃れ、気が付いたらこの抜け道へ来ていたらしい。
夏川だった。
「夏川」
「叶野さん?」
「助かった〜」
『夏川くん、そっちじゃない船の隠し出入り口は……』
ビジフォンからは神無月夕香里が自作の地図を手がかりに、夏川にホテルのフローティングブロックに作られた隠し港へ誘導をする。
ボートに乗り込み、寒梅との合流地点に到着する。
しかしそこには寒梅の姿はなく、その残骸が浮いていた。
何かに攻撃されたわけではない。
蓄積された寒梅のダメージは応急修理につぐ応急修理でどうにかなるものではなかった。
「!?」
暗闇の中、何かをみつけクリスが海に飛び込む。
「クリス!」
蓼島の叫びも届いているのか無視しているのか判らないが、クリスが次ぎに浮かんできたとき。
その手には板が握られていた。
『寒梅』
寒梅の先にあった名前の部分である。
「船が来る」
要石の言葉にみんながそちらを向く。
うっすらと夜明けを告げる紫峰をバックに、なにかが近づいてきた。
「みんな無事か?」
船の上から声を出しているのは徳重克司(52)だった。
「蓼島、ご苦労」
その横に立っているのは大須賀平八郎。
その船は奇妙だった。
2つの船の上に板を渡した様な形で、板の上には長方形の箱のようば形をした障子張りした空間がある。
「どうだ蓼島、今回買った新型だ。双胴式屋形船『越乃景虎』」
小型艇から越乃景虎へ乗り移るとき、大須賀が自慢げに楽しそうに言っていた。
「確か寒梅は蓼島が貰ったんだよな?」
そう言ったのは先ほど海の飛び込んでずぶぬれになって今は毛布にくるまっているクリスだった。
「だけどもう沈んで今度からあの船の宴会の主役は魚のほうだな」
「……」
クリスは何かを探していた。
そしてそれを見つけると、越乃景虎の舳先へ行き先ほど海から拾い上げた名前を打ち付ける。
『越乃寒梅』
「じゃあこれでこれは蓼島の船ってわけだ」
クリスの陽気な声とは裏腹に、蓼島は困惑していた。
「……あっはっはっはっは!」
大笑いしたのは大須賀だった。
クリスがその酒の名前を知っていたかは判らない。
蔵元が十分な水そして米が無くなったといって閉じて以来、その製造方法も廃れた21世紀初期に消えた幻の銘酒。
「まぁ、寒梅には違いない。約束も反故する気もないしな。好きに使え蓼島、ただ俺も使うときはあるからそんときゃ貸せよ」
「あ、はい」
大須賀はそのままクリスと蓼島の二人を置いて、他のメンバーが待つ座敷へ行ってしまった。
「あのホテルの眺めは最高だったが」
クリスは蓼島の目をみる。
「蓼島のいない風景は児戯の風景画にも劣るな」
「時々、クリスには脅かされる」
「そうか?私は普通だぞ」
「なんだか悩んでいる暇がないって感じで、焦っているようなそんな感じだ」
「考えすぎだ、蓼島、わたしはもっと単純だぞ」
そっと蓼島の胸にクリスは額を押し当てる。
髪の毛は冷たかったが、クリスの頬を伝う涙が蓼島の服に吸い込まれた時、その暖かさを蓼島は感じていた。
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