「キョーも太陽サン元気で、グエン嬉しいデース!」
不安的この上ない、ゴムボートの上で空を仰ぐ。
太陽系で唯一の恒星が、白い光を燦然と海の上に投げかける。
もちろん、ゴムボートの上にいるグエンにもだ。
海に降り注いだ光が、波間に乱反射して、目を開けているのがイヤになるほど明るい昼下がり。
研究室に閉じこもりっぱなしの白い肌の研究員なら、顔を青ざめて逃げ出す陽光の下で、グエンは日に焼けた腕を空に向かってつきだして見せた。
酔っぱらって、事も有ろうに早瀬恭平の研究室に殴り込みをかけたダイソン。そのダイソンを止める降りをして便乗し、海底遺跡の調査許可を早瀬から頂いたのは数日前の事。
前回、警備部に邪魔された苦い(?)思いでが頭の中をよぎる。
遊泳禁止の、絶対立入禁止。
(でも、トラコの許可か早瀬教授の許可があればOKデース)
にっこりと誰に向かうでもなく笑みを浮かべる。
心の奥底で、理性的な自分が「あれは許可なんかじゃない」と訴えてるが、先のとがった黒いしっぽを持つ好奇心の鬼が、早く早くと、グエンを波間の向こう。
ちょうど海底遺跡の真上に当たる場所へとせかしたてる。
一度阻まれたからといって、諦められるほど、半端な興味は持っていない。
「うんうん、オラレルに興味あるかあ。先生嬉しいぞお?じゃあ二人して行ってくるかー ――素潜りで」
満面の笑みを浮かべて、気前良く答えた早瀬を思い出す。
ちょうど今日の太陽のように見事に明るい笑顔だった。
額脇の青筋さえなければ、なのだが。
(素潜りぐらい、怯めナイのデス)
怪しげな文法を駆使しながら、心中でつぶやく。
ゴムボートをこぎながら、気合いを入れるために唇を引き締める。
「ここであきらめたら、オリュンポスのカッパの名が笑うのデース」
他人にいわせれば、「笑う」ではなく「すたれる」だろう。と突っ込まれるのだろうが、幸い突っ込む相手もいない。
話相手が居ないのは、人なつっこいグエンとしては寂しい限りだが、海底遺跡までの素潜りツアーに参加したがる人間は、トライデント広し、人物博物館万歳。といえども、なかなか見つかる訳もない。
海底遺跡の側で、頭を左右にめぐらせる。
警備部に見つかると「なんか知らないがイジメ」て来るからだ。
別にやましい事は何一つ(多分)ない。
彼らの職務に関して理解を示さない程、子供でもない(つもり)。
「でも、石頭デスカラネー」
蓼島から借りた警備部警報機をチェックする。今の処は気配はない。
警報機にどの程度の信頼性があるかわからないが、何もないよりはマシである。
遺跡の真上まで来ると、係留用の錨を降ろす。
水中デジカメの調子も万全だ。
問題は、息がどこまで続くのか。という事だ。
「ザ・グランブルーに挑戦デスネー!」
水中デジカメを首から下げ、鼻をつまんで水中に飛び込む。
水音、泡、そして蒼い世界。
足ひれがあるため、水の抵抗が少し重く感じるが、潜水活動のエキスパートであるグエンにしてみれば、取るに足りない抵抗だ。
ひとかき毎に、確実に深く、そして遺跡に近づいていく。
目指すはあの部屋、一部分だけ小さくなっている筈の部屋である。
スケールで採寸した時は、1m程の小さな誤差だったが。
本当に誤差であり、古い地図の間違い、あるいは海流による崩壊と片づけるのが常識的な誤差なのだが。
何かが、胸にひっかかった。
(今目撃されている人魚とも、何らかのつながりがありそうなのデース)
手が、遺跡の壁に触れる。
風化せずにそのまま残っているのは、海底遺跡の特徴なのだろうか。
長年海流にさらされたとは思えないすべらかな手触りに、少し驚きながら右手に回り込んでデジカメのシャッターを押す。
予想通り、新しい図面にない部分が有った。
L字型に小さい部屋が。
まるで秘密の小部屋だ。茨に包まれた城にある眠り姫の寝室のように。
眠り姫?
違うだろう。今の大学の人魚騒ぎを思えば、人魚姫の方がよほどしっくりとくる。
だがしかし、グエンは自分の眠り姫という考えが気に入っていた。何よりこの遺跡は、人魚姫がいる荘厳な海底の宮殿というよりは、海流と時間という茨に包まれた、忘れ去られた古代の城というイメージこそがふさわしい。
夢中になってシャッターを押す。息が苦しくなるのも忘れる位。
しかし、外から取るだけでは他の外壁と何ら変わらない。何の情報にもならない。
息苦しさともどかしさに、ため息をつく、と気泡の固まりが水面へと立ち上っていく。
限界だ。これ以上は無理だ。
結局何も得ることが出来ない。やはり素潜りでは無理だ。
海面に顔をだし、酸素を肺一杯に詰め込む。
「こらー!また君か!!ここは絶対立入禁止だと何度注意すればわかるんだー!!」
警備部特有の、高圧的な声が頭の上から降り注ぐ。
(またイジメられるのデース)
目的は果たせたが、この分ではこってり絞られるに違いない。最悪データ没収もあるかもしれない。
隠せるものなら隠したいが、海の上、素潜り、ゴムボートと有っては無理である。
ここはもう開き直るしかない。
(それにしても不思議なのデス)
何故、あの図面を作成した早瀬は、データの食い違いに気づかなかったのだろう。
……気づかなかった?
否、隠していたとは考えられないか?
眠り姫の秘密の隠し部屋のように。思惑の茨の檻の中へと。
――何を?
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