シーン1-1:近衛浩太


近衛浩太は迷っていた。
調べれば調べるほどその果てのない闇の中に埋没していく感覚。
あの人魚の写真と共に受け取った手紙。
中月、人魚をはじめて写真に収めた人間。
そして今回の『トライデントの歩き方』に掲載された中月の記事。
何が真実でどこが虚偽なのか、彼の中に分別は無い。
わずかでも真実があればそれをスッパリと切り捨てることが出来ず、もちろんそれが真実だという核心もない。
今ある事実だけが彼の中でリアルなのだ。
トライデントの歩き方編集部で中月の記事について尋ねに行く。
勿論ろくな返答はない。
『ニュースソースは明かせないし、彼からも今現在どこにいるのか教えられないというのが取材の約束』
お約束の返答。
中月のいた研究室に向かう。
『職員になれば別だけど、学生の時に研究室所属になると教授会規則違反だし。あれ以来連絡は来てないし、彼の家も引き払ったみたいだし、こっちでは何とも出来ないわね』
コリーンのアパートを尋ねる。
不在。
自分の周りにある状況、人材、情報だけに頼り自分の推理を停止させたとき。
彼は袋小路にいた。

シーン1-2:梅 成功

梅 成功は中ノ鳥島沖で見つかった難民船を追っていた。
中ノ鳥島までのシャトル便のチケットを取ろうとしたとき、その障害がまっていた。
季節は真冬である。
トライデントUNは年間の気温が日本本土の平均気温よりも高く、ハワイ・グァムと違って国内という安心感と充実した観光設備のため、いまが観光シーズンなのだ。
よって予約は一杯。
各観光会社は自前でシャトル便を出すほどの不足っぷり。
仕方なく大学に出向き海流、過去の漂流船の状況などを調べる。

検索:難民船 漂着 中ノ鳥島
時期:無制限
検索結果:4大新聞社検索結果:0件 地方紙・週刊誌151社検索結果:1件
1件は先日でたものである。
海流をシミュレートするが、中ノ鳥島に漂着するためには日本国内から出なければならない。
唯一成功したのは台風を使って方向を変える事であったが、難民船がそんな事をして中ノ鳥島に漂着するよりも、台湾や九州・四国に上陸した方が手間もかからないのは自明の理。
「変だな……」
梅 成功はさらに資料を調べはじめた。

シーン1-3:静佳雅人

■MVと廃棄物処理場事件の奇妙な関係
先日新インセクトとして発表されたMV(正式名称:Medical Volcano)の文
面における記述を調査した所、奇妙にも廃棄物処理場の変死体事件と共通点が
見受けられた。
MVはある特殊なガン細胞についての記録なのだが、そのガン細胞を人体に投
与した際に起こりうるであろう結果が、変死体の生体検査並びに遺体の状態に
著しく酷似しているのである。
果たしてMVの文面が中身のない極秘文章なのかそれとも真実なのか、引き続
き調査が期待される。

「それを掲載して欲しいのですが、どうですかねぇ?」
と切り出したのは静佳雅人。
「別に掲載していいんじゃない?」
と返したのはトライデントUN大学事務局長の島津。
「へ?」
「大学にあるニュースBBSは別に事務局だけでやってるもんじゃない出版社もやってる事だし。きみらもいい大人だろう? ニュースだけみてそれが全面的に正しいと思うなんて事はまずないだろうし、別に厳しい検閲があるわけでもなし」
静佳はちょっと拍子抜けした。
掲載不可になると思っていたからである。
「じゃあ、本当に掲載していいんですか?」
「いいんじゃないの? 俺は信じないけどねこの記事は」
「……理由を聞かせてください」
「薄っぺらいから。具体的にいってあげようか? 奇妙・酷似・期待。全部主観だからさ。この前のっかったトライデントの歩き方ってので言ってあげよう。この中月といってる人物が本当に中月なのか文字だけでは本人確認が出来てない、それとこのメディアが言いたいのは『人魚は嘘』ではなくて『マスコミの報道の危険性』がメインだからさ。書いた奴がその危険性を言いたいが為だけにでっちあげたんだろうねぇ」
「実は、僕がこの記事を島津さんに見せたのは別の理由があります」
「ん?」
「島津さんが警備部の御徒町さんと昔上司と部下の関係だったと聞きまして、この事を御徒町さんに伝えて欲しいんです」
「出来ないね」
島津は即答だった。
「……」
「僕はね、人づてって一番信じてないんだ。それにその程度の推測なら御徒町さんならとっくに気づいているとおもうよ、それとだ……」
島津は湯飲みをすすると大きく息を吐き出した。
「僕はね、この職に就いてから『ただの一度も』彼女に頼み事をしたことがない」
左遷させられ事務局長になっても警視庁に居たときからの筋は曲げない、それは自分で出来ることは自分でする。情報はすべて自分の目で確認する、何度でも徹底的にだ。古くさい捜査をする人間と言われることも多々あったがそれが島津だった。そして、公私の区別がしっかりと線引きされている人間でもある。
「じゃあ、掲載の件お願いします。それと質問いいですか?」
「答えられる範囲なら」
「去年ですけど人魚の捜索班を作ると報道がありましたけど、半年たっても報告も無いんですか?」
「記事をよく見てくれ『方針』って書いてあるだろう」
「じゃあ実際には……」
「そういう場合別に事務局の人間が捜索するわけじゃない、事務局が研究室に依頼するんだ。依頼の前に教授会が結論を出した、実行はされてないよ」
最後に静佳は事務局でのバイトを申し出たが丁寧に断られて局長室を後にした。
人脈を頼りに搦め手で行くも有効な手段とならなかった。
静佳雅人も情報の袋小路に嵌りはじめていた。

シーン1-4:徳重克司

「(ほうほう、処理場で火災が発生しても最悪外洋にパージするわけか。その前に処理釜の空気弁を封鎖して……なるほど、施設全部が人間いるところ以外全部隔離されて)」
徳重が見ているのは処理場の危機管理マニュアルである。
火災発生時の物であるが、処理場の管理運営その余熱利用に関しては川崎市の方式を採択している。
川崎市方式とは、基本的に毎日回収、ビン・缶以外の物に関しては分別の必要性が無く(自主的に分別する場合は別)、1万度という高熱で一気に焼却しその余熱をボイラー管を通して一部公共施設の風呂・プール・室内環境調整にあてられている。
トライデントUNの様な土地の狭い場所ではリサイクル業者などが取りに来る間の集積地をもうけることも出来ず、その間に流れてしまう有害物質や悪臭の問題もある。2050年現在の紫外線劣化型プラスチックの普及、プランクトンが焼却後に餌に出来るゴムの開発など、リサイクルと言う名の下に更なる地球資源・化石燃料が使われるよりは、全焼却の方が遙かに地球環境に優しくなっている。
「(ま、それは置いておいてだ)」
徳重が次ぎに手に取ったのはガイアの声の資料である。
2023年に設立となっているが、元になった組織は20世紀後期のアメリカ在住の主婦達の集まりだった。
それが長い活動の中、他の環境団体との合併・吸収・分派を繰り返していた。ガイアの声の元となった組織、ガイアの囁きの系列団体だけで世界各国150を越える団体が存在していた事になる。そしてある人物の提唱により、120団体が同調し世界最大の環境団体『ガイアの声』が出来上がった。
徳重が2023年に注目したのはそれだけが原因ではない。
2023年トライデントコーポレーションによる国際海洋大学構想の発表と年代が同じだった点である。国際海洋大学とガイアの声が裏で繋がっているとしたら、企業の利益と環境団体の活動が繋がっているとしたら……何故そんなマッチポンプをする必要があるのか、徳重は慣れた手つきでキーボードを叩き続けた。

シーン1-5:一色吹雪

「遠野さんでしたら、午前中に退院されましたけど?」
「なんやてぇ!?」
「今時、保険の問題で1週間以上入院されてる方は稀ですわ。ここで扱えない病気なんかはとっくに後方移送……あら」
一色はとっとと病院を飛び出していった。
そして以外と近くで見つかった。
病院近くの喫茶店、しかも道路に面した窓側で2人で話をしている。
一色は喫茶店に飛び込んだ。

「探したでホンマ」
汗を拭いながら一色は春海と秋桜の席の側に近づいてきた。
「はるちゃん、この人だれ?」
「だれだっけ?」
「あ〜、つれへんなぁホンマに」
春海は秋桜の席に移り、空いた席を一色に勧める。

「でな、2人の馴れ初めをききたいんや」
一色の目の前にコーヒーが来たとき、それまで世間話でお茶を濁していた一色が切り出す。
「馴れ初め?」
「せや、ふたりの馴れ初めをな聞かせて貰って、ちょっくら記事書かせてほしいんや。あ、別に悪用するわけやないからそんなに構えんでほしいわ」
「いいけど、そんなの聞いてどうするの?」
「いや、俺な将来記者になろうとおもってんねん、今はその予行練習な。学生の間で人気抜群の『ジャンヌ様』の復活記事いうたら……」
「一色君、これだけは言っておくね。私は自分でジャンヌ・ダルクとは言ってないわよ。そう言われてるだけで自分としてはタダの学生の一人に過ぎない。あだ名を付けられるのは別にかまわないけど、その名前の通りではないのよ、別に訂正する気もないし呼びたければ呼べばいいし。オルレアンを開放したわけでも農家の娘でもないし、神の啓示を聞いたわけでもないしね」
なんだか最後の『しね』の部分がやたら力強かったのは気のせいだろうか……。
「(アカン、なんでこないに不機嫌なんや)」
一ヶ月もロクに会話できなかった恋人同士のつもる話しの中に飛び込めば不機嫌にもなる。
午前中に退院して3時間も喫茶店で話し込んでも尽きないほどの話をしていた時でもある。
「あ、思い出した」
少し重くなった雰囲気の所に言葉を挟む春海。
「(ナイスフォローや春海くん!)」
「海凰に彼女が乗ってたんだよね?」
「あ、そうなんだ誰だろう」
「学生っていってたけど」
「鈴木さんかな、瀬戸内さん……、まさか蓮見ちゃんだと犯罪だし」
「(やぶ蛇や……春海くん)」
一色の顔色が悪くなる。
「まぁ、それはどうでもええ。お、もうこないな時間か、俺用事あるからこれで失礼するわ。ほなまたな」
そそくさと荷物をまとめて伝票を握りしめると、会計を済ませて逃げるように喫茶店を後にする。
「なんや星の巡りがわるいなぁ、俺こないに不幸だったかなぁ」
ふと荷物に目をやると、見舞いに持ってきた焼きプリンを持ったままなのに気が付く。
「はぁ」
ため息を付きとぼとぼと歩きはじめた。
嗅覚は鋭いのに最悪なほどタイミングの悪い人間、少なくとも秋桜との初対面は果たせたが第一印象は……。
「エライ美人さんなのは判ったが、なんや寂しい目してる人だったなぁ」
一色はメモを取りだして印象を書きつづった。

シーン2-1:梅 成功

梅 成功はポストへの投函の音で目が覚めた。
昨日は夜遅くまで難民船の事をネット上で追いかけ、寝たのは朝焼けと共にだった。
時間は午前11時。
講義は午後の1つだけだったので、起きる時間ではあった。
「?」
ポストに投函されていたのは薄っぺらい封筒が1つ。
宛先も無くもちろん記手も張ってない、直接ポストに入れられたという事だろう。
ドアを開けるがすでに人の姿はなかった。
耳をあてても何も物音もしない。
封筒はトライデントの新聞社の物だった。
「(宅急便でもないし、なんだろ……)」
ゆっくりと封筒を開けると中にはCDが一枚とメモ書きがあった。
『難民船について書込があったんで何かの役に立つかと思いお渡しします、他言無用でおねがいします 森瀬』と書いてあった。
確かに昨夜、討論BBSで難民問題と今回の件について色々語りはした。しかし住所を書いた覚えはないしネット上で個人情報を書いて出してしまうほど迂闊な事はしていない。
ウィルス・インセクト・ワームのチェックを3回づつ行った後、自分のPCにCDを突っ込む。
出てきた画像は非常に鮮明なものだった。

------------------------------------------------------

02A=シーン9:

「助かった、連絡を受け取ってくれた人だな?」
中ノ鳥島沖20km、海凰に乗船していた科学者達は2隻の上陸艇に乗って中ノ鳥島へ向かっている途中だった。
「せや、ウチらが連絡員ってわけやな」
1隻の実習船がやってきて、彼らを引き上げた。
情報と引き替えに彼らの安全を守るために、そういう算段だった。
「ありがたい、あのまま『化け物のエサ』と一緒に船にいたんでは、死んでしまう所だったからな」
「それは、またたいへんやったなぁ」
代表者であろう、姿、格好から女であることが判る。そして付けていた覆面を脱いだ。
「お、お前が……そうか、奴らも必死なんだな、アンタが噂のトラコサイドのスパイか」
「ゆんのうん、げめおう゛ぁっちゃね」
「?」
「こっちとしては、みんな死んでくれてたほうが都合が良かったのにオバカさん」
そう言って彼女が握っていたのはナイフ、研究者の一人が前のめりに倒れる。
『きゃぁあああ!!』
女性研究員から悲鳴が上がる。
「やかましぃ」
そう言ってナイフを投げると、女性研究員の額に深々とナイフが埋まる。
それが合図だった、激しい銃声が海原を駆け抜け、そして消えていった。
「死体と上陸艇の始末はプラン通りに、30分後ここを離脱、オリュンポスに戻るわよ」
彼女は長い黒髪をたなびかせて、船室へと戻って行った。

------------------------------------------------------

「いったい、なんなんだこりゃ……」
肝心の顔が見えない、次ぎには木造船が来て服をはぎ取り、ボロ服を着せてさらに上から何発かの銃を撃ち込んだ、そして難民船に死体を詰め込み実習船は木造船を置き去りにして行く。
「!?」
あまりの衝撃に忘れていた人間の生理機能が戻ってくる。
5分ほど何も入っていない胃から胃液を吐き出すと、荒い呼吸をしながら息を整える。
「なんなんだっていうんだよ……」

シーン2-2:熊重克司

熊重の検索も終わりに近づいてきた。
共通点らしいものが古い情報の中から出てきた。
それはガイアの声を設立した人間、ジャック・ワードナーがトライデントUN推進委員会の委員をしていた事である。小さい記事の中のほんの数行にしか出てこないほどの扱いであったが、年齢と経歴は彼がガイアの声を設立した事を裏付けるものだった。
出てきた共通点はこれだけであるが、ガイアとトラコを関連づける物としてこの資料を保存した。
そして次ぎに調べに入ったのは事務局長である島津孝弘である。
公式の資料によれば年齢は38歳で12年前に妻である島津明日香とは死別、現在13歳の息子がいるが安全上の問題から名前は公表されていない。警視庁からヘッドハンティングでトライデントコーポレーション警備本部本部長に就任、2年後に現在のトライデントUN事務局長に移動した。格としては事務局長も本部長も同等な為、昇格でもなく左遷でもないようだ。それ以上の情報は手持ちの資料、ネット上どこに求めても無かった。
「……?」
熊重は一つの疑問に突き当たる。
「(警視庁時代のデーターが無い?)」
すっぱりと抜け落ちたようにトライデントに来る前までいたはずの警視庁時代の記録が一切残っていなかった。現警備部本部長、御徒町たくやの名前は見つけることが出来たのにだ。
熊重は電話を手に取った。
「すんません、実は8年ほど前に島津孝弘さんにパクられて、今日務めからもどってきやして。真人間になれたのを島津さんにお礼いいたくてお電話さしあげたんでやすが」
警視庁からの返答は驚くべき物だった。
『島津警部は4年前に殉職されました、部下を守るために銃弾の犠牲になったと聞いてます……』
当時を知るという人は非常に少なく、島津が亡くなった後、相次いで辞めてしまったため話しをしてくれたのもそう聞いたという人間であった。
「(……じゃあ、事務局にいる男は一体だれなんだ?)」
Design by Circle CROSSROAD 2002-2010.
No reproduction or republication without written permission.
許可のない転載、再発行を禁止します。