シーン1:

「す〜み〜ま〜せ〜ん!」
「ああ、はいはい何かの申請ですか?でしたらそこの棚から書類を持っていって……」
「いえそうでなくて」
「はい?」
トライデントUN国際海洋大学事務局、予算の管理から大学内の整備、補修など様々な事務方をつとめる箇所であり総勢40名の職員が動き回っている。本来学生であれば全て学生課に行けば話が終わるため訪れることはほとんどない。
滝智己がここを尋ねたのも理由があった。
「ここでバイト雇ってませんか?」
「やとってません」
にこやかに即答される。
滝智己がここを訪れたのはバイトの為ではない、噂の集積地であるここでバイトすることで学内の様々な情報を手に入れようという物だが、実はこの学校内での一番の情報の集積地はここではなく、女子トイレと女子更衣室である。ここに来る情報はどこがどのくらいの予算を使ったか、どのような申請書類があるのか、外洋実習のために出される許可証発行の申請をしたり等であり大学職員以外の入室は一切行われない。出入りの業者にしても事務面会室、あるいは事務会議室に通され理事長室・事務長室で話し会いが行われることは一切ないのだ。

数日間同じ内容で通い詰め、その都度事務局員の一言で帰っていく智己はある意味有名人になっていた。
「ああ、キミが有名人の」
今日窓口で対応した男は笑っていた。
「滝智己ですけど」
「私は事務局長の島津だ、毎日バイトしたいって来てるって聞いたけど?」
「はい」
「残念だがね、事務局は守秘義務の固まりでね、大学職員以外の就労が認められていないんだ」
島津は笑顔で応答する。
「部長、おいとまします。毎度毎度すみません」
「?」
「ああ、いいよいつでも使ってくれ」
「いまの方は?」
「昔の部下でね御徒町くんっていうんだ、時々昼寝に来るんだよ」
「部外者駄目なんじゃないんですか?」
智己の疑問は当然の物だった。
「ああ、彼女なら大丈夫なんだ」
島津の顔がやや精悍になる。
「昔の仕事の時の部下でね、私が一番信頼する女性で今じゃ警備部本部長だ」
「へ〜……、あの、鬼オカチーさんですか?」
「ああ、学生の間ではそう言われてるね。でも本当はとても優しい子だよ」

智己の交渉は、島津を相手に変わったが結局バイトは断られてしまった。

シーン2:

大学図書館。
グエン・ホー・ズアンはロスジャルディン島の海底遺跡の資料をあさってた。
海底遺跡が発見されたのはさほど昔の話ではない、ロスジャルディン島でのオリュンポス計画に着手し始めたときにその遺跡は発見された。海底遺跡の発見ではるか昔に見られたという原住民がいたという話しが真実味をおびたが島内には生活の跡らしい物もなく、原住民探しは無くなってしまった。
その際に調査された遺跡関連の紙資料を集めてまわる。
「さて……」
資料を調べはじめて1時間ほどたった頃だった。
グエンは過去に調査された遺跡の間取り図を見ながらふとした違和感を感じた。
最新の調査の物と比べてみる。
それはほんのわずかの誤差ともいえる物だったが、ある部屋が一部小さくなっていた。
大きいのは昔の調査結果の方で、小さくなっているのは最新の調査結果である。
採寸をすると約1mほどL字の様に小さくなっているのが判る。
最古と最新の物を比べているため一概には言えない、本当に誤差であり古い地図が間違えている事も考えられる。
そこで今まで調査に入った海洋文化研究室の図面を広げてみる。
地図が小さくなったのは最新の物からだった。
地図制作者、調査管理者を調べる。
「早瀬恭平……」
海洋文化学の教授であり、海洋遺跡のフラグシップ研究室の長。
「(調べて見テ方がいいみタイデス)」
グエンは貸し出しカードを見るが、本と製図の右上には禁持出の文字があり、コピーだけを取って図書館を出た。

シーン3:

「ああ、今日も来てくれると思ってましたよ」
杉崎終、海洋牧場管理人は秘密のテラスにいた。招き入れられたのはスセリ・シンクレア。
あれ以来スセリがここに来ることは珍しい事ではなくなっていた。
スセリが聞くのは人魚のこと、しかし杉崎は嫌な顔もせずそれに毎回答えていた。
「先生は、ここから人魚みたんですか?」
「ん?前にもいってなかったっけ?ボクは人魚を見てないよ、ただボクの管理する牧場に現れただけで」
「本当に?」
「ええ、心配でしたら当日の芦屋グループの実習地点を調べれば済むことです」
「海洋牧場のカメラにも人魚は映ってないんですか?」
「ええ、海洋牧場のカメラは定点カメラで、エサ場にしか設置されてないんでね」
「う〜ん」
「人魚に興味がありますか?」
「……はい」
「なるほど」
杉崎は紅茶をひとくち口に含み、ゆっくりと喉に流し込む。
「でしたらいい所を紹介しましょう、そこに人魚の情報があるとは思いませんが、少なくともスセリの調べたい事がそこにはあると思います」
「え?」
杉崎は優しい微笑みを浮かべる。
「菱垣研究室って言うんですけどね」
スセリもその名前は知っていた、研究室の中ではトップ5指に入る研究室だ。どこの研究グループにも属さず、あらゆる学科コース問わずに研究を進めるという異形の研究室でもある。
「え、そんな……」
「あ、気にしないで、外で色々と言われているよりも遙かに気さくな研究室ですよ」
外で色々とは、学年で3位以内でないと入室は出来ないとか、卒業生筆頭の希望者を突っぱねたとかいう噂話しである。
「確かに、いいお話ですけど」
「ああ、その替わりと言っては何ですけど。ここにも顔を出してくださいね、いつでもお待ちしてますから」
杉崎の笑顔にスセリは元気良く返事した。
「(もう邪魔だから、放り出されるのかと思った……)」
スセリの安堵を杉崎は見逃していなかった。
「(捨てられた子犬が家を見つけたような安堵感、ってとこでしょうか)」
スセリが紹介状をもってテラスを出たあと、安楽椅子に腰掛けながらふと海を見つめる杉崎。
「(こっちは順調ですよお嬢様、せいぜいそちらも頑張ってください)」

菱垣研究室前。
スセリはいまいち入りかねていた。
「どうした嬢ちゃん?」
後ろから声をかけられスセリは飛び上がる。
「?ああ杉崎くんから連絡のあった子だな。うんなとこでつっとってらんで中に入れ」
そう言ってスセリの背中を押す。
スセリ・シンクレアは激しい人見知りがある。
「お帰りなさいチーフ」
中にいた研究員から声がかかる、スセリは後ろを振り向く。
髭もじゃの老人、その割には体格が良く腕まわりもスセリのウェストはあろうかという筋肉。
「わしが菱垣だ、みんな今日からここに出入りするスセリ・シンクレアくんだ」
「よろしく」
「よろしくね〜」
「well come scely, nice to meetyou」
研究員はそれぞれ笑顔で挨拶をする。
「……スセリ……です」
おどおどと挨拶するスセリに、女性研究者達からは『カッワイ〜』の嵐。
ひとまずの挨拶が終わったあとに菱垣と机を挟んでのオリエンテーションを行う。
「まぁ、今日はサブチーフの美月がいないが、後日紹介しよう。基本的に空いている機械があればどれを使って貰ってもかまわん。ただし他の研究者の邪魔はしないというのがここでの基本的で重要なルールだからそれだけ気を付けてくれ。それとあっちの部屋が休憩室、お茶とか食事はそっちで、こっちは食べ物持ち込み禁止だ。あと全部屋禁煙って、おまえさんには関係ないか。女性用のトイレとかについては……、おい」
菱垣は女子研究員を呼びつけると、スセリを連れて説明するように指示した。
フラグシップあるいは最上級と言われると、ぶあつい眼鏡をかけた研究者が黙々と実験やデーターを集めているといった印象があるが菱垣研究所は少し変わっていた。
家族感覚である。
誰かが困れば全員がそちらのバックアップにまわり、自分に余裕があるときは誰かのバックアップにまわる。全員が自分の専門以外の知識も持っているオールラウンダーであることも菱垣研究室の特徴だ。それ故、卒業者筆頭が希望しても、専門に傾きすぎている場合は容赦なく断る。
風変わりな人間が多いのも菱垣研究室の特徴でもある。
「ってわけ、スセリちゃんが何調べたいのか判らないけど何でも聞いてね」
女性研究員は優しい笑顔を浮かべた。

シーン4:

宮前五郎はあの日以来、友人の家を転々としていた。
ネットに接続するときは友人に借りたノートPCでアメリカの無料プロバから接続をする。もちろん何カ国も通ってである。
宮前五郎のHNはjiro、最近ではアングラサイトでも平気で入っていけるようになった。
アングラサイトにも友人が何人かできはじめた時だ。
ある日、チャットの中で呼びかけられた。

********************************

jiro>
y_say>あなたがトラコにハックかけた人?
jiro>そうだけど
y_say>トライデントの学生って本当?
jiro>ノーコメント
y_say>まあいいや、俺もトラコの学生でね。
jiro>・・・・。

ここはアングラのチャットである、話をしているのは2人だけだがROMの数は計り知れない。

y_say>信じてないな
jiro>お前、ここがどこだか判ってないだろう?本当にトラコのIPさらしながら来てどこぞの掲示板にお前の個人情報がだだ漏れになるぞ。

y_say>ん?さっきからうるさい連中がそうでしょ??今片っ端から逆ハックかけて警察に連絡してるぜ。

jiro>ふ〜ん、お疲れさん。
y_say>あ、まて。本当にトラコの学生なら協力してほしいんだ。明日の放課後に38教室にいるから、かならず来てくれ。

jiro>断る。
y_say>つれない事言うなよ、頼むぜ。
jiro>LOG OUT IP:000,000,000,000

五郎は汗を拭く。

これが宮前五郎とある人との初めての出会いだった。

翌日、五郎は38教室に向かった。
相手が誰なのか見るだけだ、教室には2人いた。
五郎よりも年上に見える女性と、同年代位の男性。
男性の方はノートPCに向かって何か打ち込んだり、時折悩んだりしている。
女性の方は何をするわけでもなく、ただ黙って窓の外を見つめていた。

一つため息をつくと五郎は教室に入った。
「ジローだけど」
その言葉に2人が振り向くが反応したのはなんと女性の方だった。
「本当に来てくれたのね、あんな落かたしたから駄目かとおもった」
彼女は山瀬摩耶と名乗った、落ち着いた雰囲気が五郎よりも遙かに年上に見えるが実際に7つほど離れていた。
彼女の話は単刀直入だった。
「あなたが持ってるトラコからの情報って頂戴」
非常に明るく言うもので、その情報がどれだけヤバイものなのか判っていない感じだ。
「何のことだ?」
相手がもしかしたらトラコサイドの調査員かもしれない疑念は捨てきれない。
「じゃあ、私の話を先にするわね」
「その前にここじゃまずい、河岸を変えよう」
2人は学食に移動しの奥の席、窓側に座り足下に掃除用のコンセントがないことを確認した。

彼女の話は自分の経歴から始まり、なぜファイルに興味をもったのか。
「確かにトラコを追いかける理由としては薄いんだけど、むかしっからトラコって謎の巣でね。確かに今はただの学生だけどね、なんだか最近の事件の全部がトラコが絡んでる気がしてならないの、その突破口にあなたのファイルが必要だとおもった」
五郎は少しさめたコーヒーを飲んでいる。
「データーのコピーなんか取りまくってるし、ボクからの連絡が無ければ自動的に世界中にばらまくように出来てるし。全面的に信用する気にはなれない、それがボクの感想だ。話がそれだけなら失礼します」
五郎はそのまま学食をでていく。
その姿を見つめながら摩耶は深くため息をつき、自分の紅茶に目をやった。
「!?」
五郎の座っていた席に封筒が1つ。
中にはメモリーディスクが入っている。
摩耶は苦笑しながら鞄の中にそれをしまうと学食を後にした。

シーン5:

トライデントコーポレーション社員寮。
そこにやってきたのは近衛浩太だった。
門の前に立つと目的の部屋のボタンを押す。
『あ、はいはい。どうぞ〜』
その声に反応したかのように門が開く、浩太は目的の部屋前までいくとベルを押すよりも早くドアが開いた。
「いらっしゃい、ようこそ私の部屋へ」
明るく浩太を迎え入れたのは史上最年少のトラコ職員、コリーン・フォン・ノードフォッフェン。普段は白衣姿であるが今はカジュアルを着ている、奥からはもう一人女の子の声がした。
「おねーちゃん、だいたい判ったよ」
「ささ、ちょっと小汚いけど入って」
コリーンに促されて浩太が『おじゃまします』と言って部屋に入る。
部屋の奥のPCに向かっていたのは声の通りの女の子だった、しかし大学の制服を着ている。
「あ、紹介するねルームメイトで義理の妹の菱雅美ちゃん。雅美ちゃんにも紹介するね、そのデーター持っていた近衛浩太さん」
近衛とコリーンの出会いはある老教授によってもたらされた、コリーンの方から声をかけて人魚の話を聞いたときにその不思議なデーターについての話にまで発展した。コリーンはやる気満々になりそのデーターを借りて分析すると言い始めた。危険な方法で入手したデーターであることは言ってあるし、トラコから取り出した情報であることも伝えてある。
「えっと、近衛さん説明するね。まずはこのログイン画面からなんだけど」

>tri Corp.
>>input pass=**********-********
>sac... one moment plz.
>>input personal code=*****-****
「↑ここまでは普通のデーターアクセス画面ね」

>Well come, preservation of public peace the head of a department Mr.ANZAI,
「↑で、ここで判るのが保安部保安本部長安西名義でログインしてること」
「でも、確か安西って8月だかに突然降格させられた人でしょ?」
「うん、副社長派の一人ね。あんまし評判良くない人だったわ」

>you need ?
>>data search mermaid or ningyo
>Hit 2, project:1 name:1
「↑これも普通の検索画面」

>>open name and date, DL..
「↑これも普通のダウンロードの指示ね」

>name AETERNA ,project MV...................................................
「↑問題はこれ」
「MVファイルの中身から考えれば、名前のところがひっかかったのよ」
「おねえちゃんも?」
「どういうことだい?」
「うんとね、人魚・マーメイドで検索かけたわけでしょ?それで名前がでてきたということは人魚の名前って事だと思う」
「日本語読みすると、エテルナ」
「トライデントは人魚を知っていたって事になるわね、とはいえこれが人魚の名前なのか、もしかしたら別の意味、調査チームの名前、責任者の名前、もしくは職員の名前がエテルナ・マーメイドの可能性もあるけどね」
コリーンは腕組みをして苦笑する。
「でもって、MVファイルの方に行くね」
「雅美ちゃんと見てたんだけど、これってガン細胞の出来かたにそっくりなのね」
「でもって、無限に増殖する細胞に不可欠なのが。テロメアとテロメラーゼ(http://www.nikkei.co.jp/pub/science/page/honsi/9604/telomere.html)」
「ネクローシスを失った無限増殖する細胞、つまりガン細胞ね」
「で、さっきの人魚の名前でいくとA-ETERNA、最初のテロメラーゼじゃないかって推測」
「おねえちゃん、それ発想飛躍しすぎだよ」
「いーじゃない、強引にでも前に進めば間違いなのか真実なのか見えてくるってもんでしょ」
浩太はさっきから聞きっぱなしだ、浩太が質問しようとしたところはすべて先回りしたかのように2人が話してしまう。
「怖いのは、この感染から発症までの時間」
「急激な増殖すぎてねぇ」
「たぶんその増殖に耐えられないんでしょうね、体の中の栄養素が」
少し沈黙が流れる。
「これが兵器として流用したら?」
浩太がたずねる。
「無理じゃないかな、少なくともこの活動温度の所、うんでもって経口と直接接種じゃなきゃいけないってところがネック」
「ふむ」
「多分、あたし達がやれるのはここまで。これ以上深入りするのは私も雅美ちゃんも望んでない」
「トラコの職員と特待生だから?」
「保身だって責めてもらってもかまわない、けど、これにはもっと深いところで深い事があるんだと思う。よく言うじゃない『暗い井戸の底を見るときは井戸の底にも見つめられている』って」
「学生の身には余る?」
「私の手にもね、少なくとも守るべきものが私にはあるから。それに触れさせないようにするのもお姉ちゃんの役目でね」
コリーンが雅美の肩に手を置く。
「お姉ちゃんは嘘はつかないし、判断も正しいとおもう。だからあたしはお姉ちゃんのいうとおりにする」
制服姿の雅美が笑顔で答える。
この2人が仲間になってくれるならこれ以上心強いものはない、トラコ最高の頭脳と大学最高の頭脳のタッグだ。しかし今の時点では協力を求めるのは難しい。浩太はそう判断した。
「(今夜無理に誘うことは出来ないな)」
浩太からはその話題を振ることはしなかった。
コリーンはPCから関連のファイルを1バイト上書きしてから削除した。
「近衛さんお夕飯まだでしょ?」
コリーンのこえかけに浩太は不意をつかれ即答する。
「よかった、雅美ちゃんの料理食べていってね、すっごいおいしいんだよ」

シーン6:

宮前五郎はPCの前にいる、自宅のだ。
友人から借りたPCでは性能の限界がいなめない、それに今まで集めた情報でイージスの盾と新たなトラコハッキングツールのポセイドンの槍を手に入れていた。
今までのハッキングツールと違い、Sファイヤーウォールの玄関から社員のパーソナルコードを使って侵入したのと異なり、Sファイアウォールの一部分を無効化し中にダイレクトに侵入する。
五郎の目の前には0からFまでの数字が数秒ごとに変わっていく16ケタ32列がある。
これがトラコのSファイヤーウォールの壁である。
この数字の合計とホストの設定されたランダムな総合計数は同じである、この総合計数が異なったとき侵入者と見なして攻撃を仕掛けてくる。ポセイドンの槍はその数列を固定しホストをだますソフトである。停止している時間は3分、その間に目的のデーターをいただく寸法だ。イージスの盾は逆ハックをかけられたときに、自分の存在の偽物を作り出し世界各国のホストを経由して逃げていく時間稼ぎのソフトである。
「(ん?)」
五郎がSファイヤーウォールをディスプレイに出したとき、その数列の動き方がおかしいことに気が付く。どうやら先に誰かが侵入を試みているらしい。

jiro>だれか、俺以外に今活動している奴はいるか?
masse>y_sayとかいう新人が昨日例のツールおこっとして、今日挑戦してるらしい。

五郎はディスプレイの前でため息をつく。
しかし摩耶の方も手際よくランダムの数字と格闘していた、かなりスピードも早い。
デスクワークが得意と言って、ハッキングを追い返していたというのも頷ける。
しかし摩耶の方も何度も槍を突き刺そうとするがタイミングがどうしてもずれる、この辺りは経験の問題である。
4分ほどたったとき数字の列が止まる、成功したのだ。
五郎はそのおこぼれに預かろうとこっそりと止まった場所からホストに接続しようとした、その時だ。
「裏にまだ壁がある」
きっと先日のハッカー対策であろう、Sファイヤーウォールを2重に張ってあるのだ。
それを知らずに突っ込んだどこぞのバカがチャットから落ちたと笑われていた。
「ったく」
五郎は2枚目のSファイヤーウォールを止めに入った、制限時間は摩耶の持ちこたえられる5分以内、先ほどから少しの時間がたっているため4分弱で2枚目の壁を止めてデーターを抜き出さなければならない。
1分後。
五郎は2枚目のSファイヤーウォールの動きを止めた。
その時だ、世界中からトラコのホストへの一斉接続が始まった。
摩耶のおこぼれに預かろうとしていたのは、五郎だけではなかった。
摩耶と五郎のおこぼれに預かろうと、世界中のハッカー達が待ちかまえていたのだ。
「あ、ばかやろう!」
ホスト突然の大量のダウンロード命令に耐えきれなくなりダウンする。

masse>ばかばっかだな、jiroみてなあいつら全員オ・ワ・リだぜ。おまえ達もな。

はずだった。
チャットウィンドウに常連といわれる連中の書込が連続した。
そして次々とハッカー達が落ちていく。
「まさか」
ディスプレイの前で5つのキーを同時押しのまま動けない摩耶は唖然としていた。
『ダミーホスト!?』
通常企業ではあらゆる事象に備えて、メインのホストと同じバックアップのホストを構築してある。2枚目のSファイヤーウォールがそうだったのだ。それにしてもバックアップホストを犠牲にしてまでハッキングに対抗してくるなど予想外も甚だしい、そしてDLしたデーターの中にワームより凶悪なインセクトが仕掛けてあったに違いない、我先に飛び込んだ連中は除虫灯に群がる羽虫の様に次々と焼き殺されていく。
「やべぇぞ」
「まずい」
摩耶が手を離せば五郎が危険になる、五郎が手を離せば仲間達の被害が大きくなる。
しかし、時間は無情にもタイムアップを知らせていた。
LANのLEDが赤く点滅する、逆探が開始されているのだ。
2人は同時にコンセントを引き抜きそれぞれの部屋を飛び出た。

シーン7:

山瀬摩耶は住宅街を走り抜け、公園まで走ってきた。
部屋に戻ればきっと踏み込まれているだろう。
「ふー」
おもいっきり走ったのは久しぶりだった、虎穴にいらずんば虎児を得ずとは言うが、虎穴にはいったらゴジラが居たような感じだった。
「もう逃げないのか?」
「!?」
「もう逃げないのかと聞いている」
闇夜から現れた黒服の女性、眼鏡だけが公園の明かりを反射して光っている。
「こんなとこで捕まってたまるもんですか」
摩耶が構えを取る。
「へ〜、じーくんどー使うんだ。アチャアチャは言わないのね」
別の方から出てきたのはこの場にいかにも不釣り合いなフリル付きのドレスに、セミロングの髪の毛を縦ロールにしたゴスロリの七瀬真美である。
そんな七瀬の言葉に耳を貸さず、構えだけを取る山瀬。
「一応言っておくけど、絶対殺すなよ真美」
「オカチーさんったら、判ってますよぉ」
「じゃあ、任せた。あたしは宮前の方に行くかならずつれてこいよ」
「了解しましたっと」
話の最中に山瀬から放たれた右のショートジャブを七瀬は簡単に避ける。
「無理無理、しょせん武道だもの。アタシ倒したければ銃か大砲で寝込み襲わなきゃ」
七瀬は右手の人差し指を自分の頬にあててニッコリ笑う。
「あ、でも女の人に襲われてもねぇ」
七瀬が腕組みをする。こう軽口を叩いている間にも山瀬の攻撃は続いていた。それを紙一重のところでかわしながらその目は山瀬の動きを追っている。

2段蹴りを左手1本でかわされ、足を捕まれる。
「あらら、息が上がってるわよ」
10数分がたつと、攻撃一辺倒の山瀬の息が荒くなってきた。
「いい加減、降参してくれないかなぁ〜?おねえさんのオ・ネ・ガ・イ☆」
「降参なんか絶対にしない、アンタを倒して必ず逃げ切ってやる」
捕まれた足をふりほどき、再び構えを取る。
「あはは、無理無理。だってあんた」
『人、殺したことないでしょ?』

不意の殺気だった。
それに焦ったのか山瀬が不用意な上段蹴りを放つ、それをカウンターのタイミングで、七瀬はバック転をしてかわすのと同時につま先を山瀬のの顎に入れようとした。
「グッ!」
山瀬は無理矢理身体の体勢を崩し、すんでのところで七瀬のつま先をかわした。
「あらら、すっごーいちゃんと避けられたのね、えらいぞ〜☆」
七瀬の笑顔は目だけ笑っていない。
「じゃあ、狩りをはじめましょうか?」
山瀬はこの時、はじめて七瀬と自分の実力差に気が付いた。
冷や汗が背中を止めどもなく流れていく。
七瀬の攻撃は摩耶の内膝に蹴りを入れ、体勢を崩しうずくまった摩耶の顔に蹴り上げ1発で終わった。

シーン8:

グエンは海底遺跡を直に見ようと海へ潜った。
10数分後、目的の場所を見つける前に警備部がやってきて彼をつかまえた。
「駄目じゃないか、ここは遊泳禁止だぞ」
「ボクは学生で、キョウは海底遺跡をミヨーおもってですネ」
「尚更だよ、知らないなら教えてあげるけどここは絶対立ち入り禁止で、トラコの許可か大学なら早瀬教授の許可が必要なんだ。許可証が無いならちゃんと貰って来なきゃ……一応、今日は厳重注意だけで済ませてあげるけど、次は本当に任意同行してもらうからね」
「はぁー、しりませんデシタ」
「じゃあ、10分以内にこの海域から出てね。あなた何に乗ってきたの?」
「はい、およいできましたケド」
「およいでって、それに海底遺跡潜るのにスキューバーの道具は?」
「ボクオリュンポスのカッパ言われてまス。この程度のキョリはラクショーネ」
グエンの笑顔に警備部部員はあきれた顔でなにやら無線で連絡を取り合っていた。
「じゃあ、今日はこの船でトライデントに送り届けてあげるけど、次から気をつけてね」
「ハイ」
返事だけは元気なグエンだった。

シーン9:

「ここどこ?」
摩耶が目を覚ましたのは一面白い壁だらけの場所だった。
側頭部に鈍い痛みを感じる。
摩耶は公園での出来事を思い出しながら辺りを伺うと、もう一人部屋にいるのが判った。
「目は覚めましたか、山瀬さん」
「宮前……くん?」
「状況の説明だけしますね、ここはトライデントコーポレーションの中で僕らは警備部に捕まったようです、詳しい説明はまだ受けてませんけど」
「なんで私たちがばれたのかな」
「さぁ、企業秘密なんでしょうけど心当たりはあります」
「心当たり?」
「ハッカーです、masseってやつです。あいつだけはダミーホストを知っていた、奴は確かに最後こう言ったんです『もう終わりだぜ、お前たちもな』って」
その時、ドアの鍵を開ける音がする。
「よぉ、すまないねそのmasseだよ」
入ってきたのはスーツを着た男だった、トラコ社員証に警備部1課課長間瀬と入っている。
「ポセイドンの槍っていうのもボクのアイディアなんだけどね、なかなかよかっただろう?明日のwebニュースが楽しみだよ、世界各国で総勢300人のハッカーが逮捕さ。さぁ種明かしが済んだところで、本部長がお呼びだ。うちの本部長は怖いぞぉー」
間瀬は片眉だけをつり上げてほくそえんだ。

本部長室。
華美な装飾は何もなく、ただ仕事を効率的にするためだけの部屋だった。
「本部長、2人を連れてきました」
「ご苦労」
「あんたが……」
摩耶が睨む。
公園で会った黒ずくめの女だった。
「トライデントコーポレーション警備部本部長の御徒町だ、お前たちは自分たちのやった事の重大さを知っているかどうかまず尋ねたい」
「まちなさいよ、もともと汚い事やってるのはトラコじゃない!私たちの持ってるファイルを見れば……」
「やかましい!!」
たくやが机を叩く。
「お前たちは事の重大さに気が付いていない、あんた達の持っているMVファイルは見た、しかしあの内容の調査研究はされていない。それよりもあのファイルが新種のインセクトファイルだったというのは知らないとは言わせないぞ!」
「インセクトファイルだと……?」
五郎が聞き返す。
「あのファイルの正式名称はMedical Volcanoという、医療系のホストに入ると電源管理系統を麻痺させて発電部分に過電流域をつくり完全にぶっ壊す、これがどういう事か判ってるのかきさまら!!」
「そんなはずは無い、じゃあなんでそんな……」
「言えないだろ?それ以上は『ボクがトラコから引き出したファイルなのに〜』ってさ」
間瀬が後ろから五郎に声をかける。
「言ったらキミが違法アクセスした事をおもいっきり認めることになるからねぇ」
その時、間瀬が小声でつぶやく。
「(安心しろ、必ず助け出す。本部長は真実を知らない、知らされていないんだ。ここで罪は認めるな今はまつんだ)」
「間瀬」
質問誘導中余計なことを、といった顔で御徒町が眼鏡をかけ直す。
「今夜一晩、身柄を預からせて貰う。明日になったら自治警察に行ってもらう、サイバーテロに人権はないからな……」
御徒町の一言で、五郎と摩耶は別々の部屋に連れて行かれた。

深夜を過ぎた頃、鍵の開く音がする。
「起きてるか?」
五郎と摩耶は間瀬に連れられて慎重に非常階段を降りていく。
「いいか、俺はトラコサイドに入り込んでいるある組織の人間だ。お前たちの持っている情報をこの女の子に渡せ。いいか、かならずだ。そこでお前たちは保護される、しばらく目立つ行動は控えろ書類は俺が造る、自治警察に行って宮前くんは処分保留の管理下に置かれたことになる、山瀬くんは起訴猶予になったことになるからな。いいか絶対に目立つ行動はしばらく控えるんだぞ」
間瀬はそう言って裏手から2人を逃がした。
「その女の子の名前、きいてない」
「ああ、そうか。海藤瑠璃というガイアの声の人間だ、彼女たちはトラコの不正を暴こうとしている、君たちと同じ立場の人間だ。連絡はしておくから早く行け」
宮前五郎と山瀬摩耶は間瀬の準備した自動操縦小型艇でトライデントコーポレーションを離れた。
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