シーン0:

あの衝突から数週間が経過した。
船内の食料や水は大量に準備されており、食事などに困る心配は無かった。
この限りない時間を彼らは無駄に過ごしたわけではない。
ジェレミーは毎日のように教授会宛に連絡を入れ、海凰の帰港を求めた。
学生たちも、学校から流れてくる講義映像を眺めながら、ノートを取りジェレミーの印をもらいに行く(これで出席認定されるからだ)。
ある学生たちは持ち寄ったデーターの分析を始めていた。
しかし、もっとも激しい動きは海凰の中の研究者グループだった。

シーン1:

「この計画が一番成功率が高いんだ、何度もシミュレートしただろう?」
「しかし、だれかを犠牲にしてまでやる価値はあるのか?」
「大丈夫だって、俺の情報によればトラコの連中はこの情報が流れるのを恐れている、この情報を公開しない代わりに俺たちの身の安全は保証されるはずだ」
「だが、それがうまくいかなかったらどうする」
「何をいってるんだ、婚約者が待ってるんだぞ、いつまで続くか判らない待機命令で、あんな化け物相手に死んだら終わりだろう」
「しかし……」
「賛成していないのは13人中おまえだけだ、俺たちは生きて還らなければならない理由があるんだ。この優秀な頭脳をこんな場所で終わらせるなんて、そんなの世界の損失だ」
「……わかったよ、俺だって死にたくはないさ」
「そう、それでいい。これで13人全員の意見がそろった」
「それではそろそろ行動に移ろう」
「あのジェレミーなんていう小娘に、いつまでもこき使われるのもあきたしな」

シーン2:

海凰内平行制御研究室。
その部屋の床には数百にもなる油圧式サスペンションが張り巡らされていた。
あらゆる波に対して、1秒間に600回という修正のもと常に平行であるように作られた実験室である。船上医療、特に船上手術室への応用が期待されている実験室だ。今は娯楽室の一部としてビリヤード台が1台設置されているだけの部屋であるが、学生以外使う人間もおらず適度な広さもあり、学生同士の集合場所として利用されていた。
今、この部屋には2人いた。
立花世良と神無月夕香里の2人である、2人は特に話すこともなく黙々とビリヤードのナインボールをやっていた。
2人のプレイスタイルは異なる。
世良が常にセーフティをねらい、相手のファールを誘ってから順序よく的玉を落としていくのに対して、夕香里は手玉から直接ナインボールを落とすことを常にねらっていた。よって1プレイづつが非常にゆっくりとした流れになっていく。
7番の球を落とした後に世良が8ボールと9ボールを壁にくっつけるショットをしようとした瞬間だった。
「遅れました」
「資料そろったっス!」
静かだった部屋に突然のドアを開ける音と大声で、僅かに世良は手玉の撞点をずらしてしまった。
「あ……」
球はそれぞれ世良がねらった地点より4センチほどずれて止まる。
「いただきやね」
夕香里が手玉をはじくと、8ボールがワンクッションし9ボールに当たりそのままポケットへ飲まれていく。
「ごちそうさん」
簡単に9ボールを夕香里が沈めると、世良はため息をついて入ってきた学生、瀬戸内夏姫とエルヴィン・オストを眺める。
「終わりましたか?それじゃあ今までまとめたデーターを分析しましょう」
「あ、まってや。罰ゲームすんでないわ、よいせっと」
夕香里は手に持っていたドルフィン便の特大ステッカーを世良の背中に張り付ける。
「これ貼ったまま、2日間しっかり船内練り歩いてや」
夕香里は笑いながら夏姫が差し出した分厚い冊子を手に取る。
世良はにこりともせず、また不機嫌そうな顔もせずに冊子を受け取る。
「じゃあ、簡単にだけど今までの分析結果からいきますね」
彼らを除いた学生たちはそれぞれ単独で動いていた、ここにいるのは海凰内のLANでお互いに連絡をとりあっていた学生たちだ。
「まず、沈没船から採取したものなんだけど、エルヴィンさんから報告ね」
「了解ッス、付着物をメインで調べてる鈴木さんのレポートッス。スペクトル分析から炭素が検出されたっス。顕微鏡での直接目視では木の繊維様のものがみつかったんで、文献調べたら一番近いのが『アゾベ』っス」
「なんやけったいなモンがくっついとったな」
「ボンゴシってやつだな、確かモナン硬度9.9N」
「でも、あの船にそんなモンが材質でつかわれたともおもわれんし」
「そのまま考えるなら、あの正体は木って事ですね」
「まってくれ、じゃあなんだ。木が海の中泳いで海凰にぶつかり過去11隻もの船を沈めてきたって事か?」
「まだ断定は出来ないッス、もしかしたらあの付着物自体どっかでくっついてきたものかもしれないッス」
世良はキューを肩に担いだまま、冊子に目を通している。
「でも採取したときの映像は残ったままだろ?この前見たけど船底土手っ腹の穴についてくる木というのもあり得ないしな」
「だったら木でええんとちゃうん?あり得ない、可能性がないじゃ、なんか話すすみそうにない」
「そして神無月さんと、エルヴィンさん、遠野さんの映像をエルヴィンさんが検証してくれました」
「冊子の38ページッス、映像で捕らえたときの3人の位置と距離をGPSで測定して、どの方向から撮ったのか計算してアンノ君の大きさなんかを推測してみたッス」
「アンノ君って、なんやそのけったいな名前?」
「鈴木さんが付けたあのお化けの名前ですね」
他の学生も勝手にあの怪物の名前を付けていたが、意味するところは同じなので誰も名称統一をしようとはしなかった。
「で、アンノ君の推定体長は46m、最大推進力約80ノット!?」
時速に直すと約150km。
「時速150キロで、アゾベがぶつかればそりゃ沈むだろうな」
「で、次に襲われている船についての共通点がないか、蓮見さんと鈴木さんの意見ではブラウン運動板というのと、月島さんの産卵、なわばりという意見が上がってますが……」
「ブラウン運動板ってのは、根拠うすいんやない?今時、運動板付けずに外洋航行は法律でできひんし、運動板の大きさは違えども、整流効果は全部均一、船舶の大きさかて全部ばらんばらんやん」
船の大きさの話になったとき、夏姫は大きく頷いた。
「保険会社のロイズの船舶データーでも共通点はありませんでした」
「少なくとも、アレが自分で考えて動いていることは確かなわけだ」
「材質は木ッス」
「まぁ、材質だのどうのは多分、僕たちの科学で考えちゃいけないんだと思うよ」
「3DCGデーターは鈴木さんと私で研究者達の目が無いときに作業なので、遅れてます」
「何もやってないオレが言うのもなんだけど、まとまりないよな、学生達」
「本当に」
夏姫のニッコリとした笑顔に、世良もヘラ笑いで答えた。

シーン3:

ジェレミーの部屋。
明かり取りの窓もなく、また室内灯も入れていないため唯一の明かりはディスプレイだけだ。
そんな事もお構いなしにモニターだけ見つめながら次々にメールを送信していく。
その殆どが教授会を構成する理事に宛てられた物であり、教授会という会に対してではなく、構成員個人への依頼という形を取っていた。ジェレミーには海凰内LANの管理者権限が与えられており、海凰内から発信された命令違反なメールに関しても情報は得ていた。
「(あれだけの資料だけでこれ以上の調査というのも無理がある)」
部下達の不満も日に日に増している、それはジェレミーにも判っていた。
管理責任者として研究者の個別帰港願いも出したりしたのだが、教授会からの返答はNoだった。
国際海洋人権擁護委員会にも意見書を出したが、肝心な部分を書くわけにも行かず遅々として返答はなかった。
「(教授会は何を考えている、いやトラコの方か。美月に相談する?いやあの娘はただの研究者だ、相談したところであの娘に面倒かけるだけか)」
ピン!
「許可する」
ジェレミー声で部屋のドアが開くと、そこにいたのは海凰に乗り込んだ最年少の学生、蓮見鈴だった。
「えっと、秋桜さんに相談したらジェレミー先生に直接聞いてみたらと言われたんで来たんですが」
ジェレミーは鈴を部屋の中へ招くと、室内灯の電源を入れモニターの電源を落とした。
「研究室内の使用?」
「あ、はい」
「それは許可出来ない、学生達には長期の拘束で済まないが学生課には私の方からしっかりと話を付けておく」
「先生……」
「まだ話があるのか?」
「……せんせぇ、つかれてる?ちゃんと休んだ方がいいですよ」
約一ヶ月に渡る緊張とストレスで弱っていたジェレミーの心に、久しぶりに聞く心遣いの言葉がしみこむ。ふと今まで人にあまり見せたことのない微笑みと言葉が出てしまう。
「大丈夫ではないけど、大丈夫よ。そんな顔しないで」
ジェレミーはそっと鈴の頬に手を置いて、そして抱きしめた。
「せ、せんせえ!?」
「ん、ごめんねちょっとだけこうさせて、蓮見くんの元気ちょっとだけ貰うね」
鈴からジェレミーの顔は見えないが、鈴にはジェレミーが泣いているように思えた……。

シーン4:

「全員そろっての食事も何度目かねぇ」
「誰かさんのすっごい演説並に楽しい話しってのも少なくなっちゃったね」

それは数週間前の夕食の時だった。
「みなさん、聞いてください!!」
工口姫子が突然大声をだす。
「オリエンテーションでうかがった予定では私達新入生の見学組は殆どが中ノ鳥島で下船する事になっています。先の遭遇で調査目標が、か・い・ぶ・つ、かも知れないと知ってしまった今でも、諸先輩方々が中央からの指示で調査の続行という事は遺憾ともし難い事です」
身振り手振りを大げさにしている、学生達も数人の研究者も姫子を見ている。
「私達も研究員、船外調査員のはしくれ」
「(学生で、雑用のはしくれの間違いなんじゃない?)」
誰かの脳内ツッコミをよそに姫子のアジテーションは続く。
「このような難敵に背を向ける事なんて出来るでしょうか?答えは私等新入生組の研究意欲に萌えた瞳(原文ママ)を見れば分かる事です!!」
「我々新入生組の調査同行続行と、先のUMA(仮)とのニアミスで紛失した調査機器の補充をお願いしてきたいと思います。紺碧の海洋にすくう神秘を新たなる調査研究、そして成果へと昇華するお手伝いをさせて下さい!」
『………………』
「えっと、一昨日、全員集められた時に、見学者も実習扱いで船内居残りとジェレミー先生から言われたと思うけど」
コーヒーを飲みながら秋桜が苦笑をする。
「あ、それと研究資材って地質調査機なら、置きっぱなしになってたけど、もらっちゃっていいの?」
夏姫が尋ねる。
「え?」
熱い熱弁のあとに、他の学生も普通に食事に戻ってる。
「えええええええええ!!??」

後日『姫アジ』という呼ばれるこの一件は語りぐさになった。
2051年トライデントUN大学の基礎用語によれば……。
『姫アジ』>人の話を聞いてない事を自ら大暴露してしまうこと、と記載されている。

シーン5:

天候:快晴
視界:良好

その日、ジェレミーに艦橋から連絡が入った。
「様子は?」
「昨日、調査した場所から救難信号が出てる、どの国の信号かわからん」
「難民船か?」
「レーダー視界外で判別できません」
「環艦長お願いします」
ジェレミーの声に環が頷く。
「方位変更、最大船速で当該地域へ!」
「アイ!」
『乗船員全員へ連絡、救難信号を確認した今から最大船速で向かう、1時間後に遠野・神無月は潜行準備』
船内がにわかに忙しくなる。
「あんたらだれや?勝手に人の潜行艇に触んなや!!」
第3潜行艇倉庫、夕香里が自分の潜行艇のある倉庫に入ったときに、誰かが潜行艇をいじっていた。
「私は織部、研究者として乗っている。海洋機械が専攻だ、機械メンテナンスを多少やるくらいなら文句を言われる筋合いは無いと思うのだが?」
「機械の整備くらい、ウチかて出来る。海の中じゃちょっとした事故が死に繋がる、誰かの手が加わった信頼できない機械をしょってアンタなら仕事ができるおもってんのか?」
だから自分で確認した事以外は信用できないと夕香里は主張する。
「すまんな、技術者と私たちでは畑が違うのは確かだ、それについては謝罪しよう」
そう言って織部は部屋を出ていった。

数時間後。
「遠野秋桜、HAL3エントリー開始」
「神無月夕香里、ドルフィンカーゴ、エントリー開始」
救難ブイはあった、しかし信号が出ていたのはその下の海面下30mの所だった。
海面下救難ポッド、酸素は透過膜で常に補給され、水も濾過されて食料さえ積んでいればそのまま助けが来るまで待っていられるというものだ。しかし救難ポッド自体は比較的新しい技術な為、難民とも考えられない、またそれ単体では移動は出来ないためそれを乗せていただろう船も確認出来ない。
「今回の作業は簡単だ、救難ポッドにワイヤーを取り付けてくれ」
艦橋のジェレミーは3人から送られてくる映像に見入っている。
『HAL3了解』
「?」
「どうした?」
「自律潜行艇が起動しています」
「何だと?」
ジェレミーは近くの端末を確認する。
確かに、2台の自律潜行艇が海の中に潜っていく姿が確認できた。
「だれが起動させた!?」
「自律潜行艇ホストに接続します、拒否!再度アクセス試みます」

ぐぅうんん……

くぐもった音が艦橋に響き、一気にモニター類が停電した。そしていきなりの海凰加速。
「予備電源に早く切り替えろ!抑制電流へ優先!!」

シーン6-α1:

「なんや、海凰が動いてる!?」
「そんなはずは、潜行艇いるときは停船が常識ッス」
海凰の船首がいきなり浮き上がり、数秒後海面に叩き付けられる姿が判る、急発進急停船の証拠だ。
「こちらHAL3!ジェレミー先生!?」
しかし、海凰からの返答はない。海凰の通信機器が麻痺している為だ。
「ドルフィンカーゴへ。作業中止、回収ラインに戻って!」
そう秋桜が叫んだ瞬間だった。
ガゴン!
何かに捕まれた。
「自律潜行艇!?」
秋桜のカメラが移動すると、目の前に自律潜行艇の腹が見えた。

シーン6-β1:

艦橋は散々な状況だ。
急な停船で、シート固定していない人間は床に投げ出された。
ジェレミーは額から血を流しながら、状況の把握につとめる。
グゥン!
海凰の電源が回復した。
「状況把握を!怪我人がいないか報告急げ!!」
「後部ハッチが開いてます!」
「研究員全員の確認できません」
「上陸艇2隻が発進してます!!」
「なんだと……」
「潜行艇投下地点から160m進んでいます」
「作業中止させて潜行艇回収を急げ」
「秋桜、きこえるか!?」
『……』
「HAL3、ドルフィンカーゴの識別コード、通信コードが削除されてます!」


シーン6-α2:

「HAL3へ、こちらドルフィンカーゴ」
「こちら、HAL3」
「そちらの右横にいます、状況は同じ自律潜行艇に捕まれてます」
「海凰と連絡はつかずか。毎分20mずつ下降中、作業マニピュレーターは動く?」
「織部のヤロゥ……」
夕香里の作業マニピュレーターの電源が切られている、外からやられているため中からではどうも出来ない。
「あたしの真横にこれる?自律潜行艇の浮力素材を開放するから浮上しなさい」
「せやけど、遠野さんの自律潜行艇の浮力素材の開放が……」
「あたしはこれから冬眠モードにはいるから、お願いしたいのは海凰にこの現状を早く報告して、酸素が尽きる前に助け出してくれる事」
「せやけど、そんなこというたかて……」
「ぐずぐず言わない!こうしている間にも貴重な時間が無駄になる!!」
秋桜の怒鳴り声。
「……ドルフィンカーゴ、了解」
稼働領域の狭い、マニピュレーターを器用に動かし、自律潜行艇の横にあるボタンを押す。

ガボン!

巨大な風船が開き、夕香里の潜行艇が浮上していく。
「よろしくね」
秋桜笑顔でカメラでそれを見つめ見送る。

電源をセーブモードにする前に秋桜は船内カメラを見つめ、録画モードにした。
遺言を撮るためだ。
たった一人で真っ暗だった自分の世界に、光をくれた人へ、最後のメッセージを……。

シーン6-γ:

「どうした、織部?」
「いや、どうしても計算上の時間が足りなくてな、1台の潜水艇のマニピュレーターの電源をカットした」
「おい」
「判ってるよ、最初の計画では2台とも浮上してそれでも十分に探査範囲からでられる予定だったのに、今日の天候が良すぎたんだ、さらに20分の時間稼ぎが必要だった、気がついたのは朝さ。計画に加える修正は最小限にしなければならない、唯一できたのは電源カットくらいさ」
「織部さん、みんなで約束したでしょ、人死には決して出さないと!」
「……奴らが優秀なら死人はでないさ」

シーン6-β2:

「潜行艇のGPS回復、すぐそばまで1機浮上してます」
「潜行艇、浮上を視認!ドルフィンカーゴです、回収作業急いでます」
『ウチの事はどうでもいい、はやく遠野さん助けないと!!』
「落ち着け!状況を的確に話せ!!」

落ち着けといわれて落ち着ける訳もなく、夕香里は出来事を早口でまくし立てた。

シーン7:

えっと、これを見てるってことは、多分、あたしは助からなかったのか、何かあったんだと思います。
これを見てくれている人が、何日後、何ヶ月後、何年後の人かは判りません。
ましてや、あたしを知ってるひとなのかさえも今では判りません。
でも、貧乏くじを引いたと思って、あたしの最後のお願いを聞いてください。
トライデントUNに在籍している学生で、桝家春海という人に、これを届けてください。

えっと、今これを見てくれているのはハルちゃんかな?
ごめんね、帰れなくなりました。
実習にでる直前にあったっきり、あれが最後になっちゃったね。
本当に最後まで、気の利いた言葉が言えなくてごめん。死ぬのはハルちゃんが見ててくれる前でっておもってたんだけどね。
ハルちゃん、あのね。
あたし本当にハルちゃんの彼女で良かったと思ってる、全部が全部って簡単に言葉には出来ないけど。
2年間、ありがとう。
とっとと、あたしよりいい彼女作って幸せになってね。
まぁ、あたしよりいい女なんて、そうはいないとは思うけどね〜。
じゃ、おやすみ。
愛してるよ
はるちゃん……。

シーン8:

トライデントUN大学。
第16講堂。
「えっと、桝家さん?」
「はい、そうですけど」
「ああ、よかったわ。俺一色いうねん、ちとキミにききたいことあってな。なにそんなに手間はとらせないさかい、ちーっと話しきいてくれへんか?」
「いいですけど、バイトがあるんで20分だけでよければ」
「おおきに、俺の名前は一色吹雪。よろしゅうな」
「桝家春海です」
春海が近くの椅子に腰を下ろすと、吹雪は鞄から新聞を取りだして春海に見せた。
「いやな、これみてもらおうとおもってん」
そういって吹雪が指さしたのはトラシデントスポーツ、略してトラスポの海凰の記事だった。
「確か、キミの彼女の『ラ・ピュセル』事、遠野秋桜さんもこれに乗っとるんやろ?」
「乗ってますね」
「こんな記事出て、キミ心配なんとちゃうん?」
「心配して、帰ってくるのが1分でも早くなるなら心配するだろね。でも秋桜さんなら大丈夫、何かあっても必ず自分の手と足で乗り越えてちゃんとここに帰ってくる人だから」
「それは無事だって信じてるってことか?」
「不器用で不細工な信頼だけど、僕らにはきっとこの形が一番良く合ってるんだ」
春海は吹雪の予想とは違う笑顔で答えた。
「実はな、俺もワケ有りやねん、あんな俺の彼女もこれ乗ってるみたいなんや、実はなケンカしてもうてん。そんときはな、そんな顔にどとみたぁないっておもとおたんやけど、やっぱちょっとの時間でも情を交わした女やさかい、横にいないとなんつーかな。で、帰ってくる予定になっても帰ってきいひんし、せやからこうして乗ってる関係者をまわって、連絡はいっとらへんか聞いてまわってるワケや」
吹雪は大げさな身振り手振りと、たまに手を胸の前に組んでお祈りをしている格好をしたりと忙しく動いている。
「なるほどね、残念だけどボクの方にも連絡は入ってないよ。何かあれば連絡入るだろうし、秋桜さんならきっと、心配している時間有るならやるべき事やってなさいって怒鳴る人だから」
「そうか」
吹雪はため息をつく。
「そりゃ残念やわ。でも何か連絡入ったらここのアドレスに連絡くれへんか?ホンマささいなことでもかまへんよって、よろしゅうな」
「へぇ、本当に吹雪さんって言うんだ。まるで特型駆逐艦T型みたいで格好いい名前だね」
「名前で誉められたんなんか久しぶりやな、女みたい言われたのは何度もあるけど」
「いいなぁ、ボクなんか姿格好で女の子に何度間違われたことか」
春海が髪の毛をかき上げると、確かにボーイッシュな女の子に見えないことはない。しかしその瞳の意思の強さは男のそれだった。
「あ、いけね時間だ。そんじゃあね!」
春海は鞄をひったくるように持つと駆け足でバイトに向かった。
「ちょ、ちょっとまってぇな。まだ早瀬教授のこととか西風のこととか、ちょいまちぃな!」
吹雪も春海の後を追いかけ教室を後にした。

シーン9(欠番):

シーン10:

数日後。
秋桜は助け出された、しかし昏睡状態は続いている。
救出までのタイムリミットは4時間、秋桜が冬眠モードに入っていれば5時間は持つはずだった。
救出されたのは5時間と18分後。
学生全員がオリエンテーションルームに呼び出され、秋桜の容体を告げられた。
「身体的には問題はない、しかしいまだ昏睡状態が続いている、低酸素脳症の可能性だ。この冬の海水温により冬眠モードでの十分な酸素供給が末梢まで行かなかった可能性を船医は指摘していた。もし見舞いに行くのであれば、船医の許可を取るように。質問は?」
ジェレミーは辺りを見渡し、誰も手を挙げていないのを確認した。
「結構、それでは……」
「せんせえ」
「ん?どうした蓮見くん」
「あの、ですね」
「……ああ、現時間をもって海凰の研究室を学生に開放する、使う人間いなければただの無駄な部屋だからな」
「ありがとうございます」
鈴が深々と頭を下げる。
「ただし、通信制限は継続しているからな、それは注意するように」
「判りました」
「いい返事だ」
ジェレミーはそっと微笑むと、蓮見の頭を撫でた。
他の学生はその様子を不思議そうに見ていた。
「(あのジェレミー先生が笑ってるよ……)」
「(レズって噂、ほんとうやったんか……)」

様々な憶測をよそに、ジェレミーが出ていった後、学生達は研究室へとなだれ込んだ。
主要なデーターで残っていたのは計測値やらで研究の成果らしいものは残っていなかった、しかし今まで使っていたPCとははるかに格が違う。
「それでは、ここまで持っているデーターを配布しますね」
夏姫が次々とデーターをLANで配布する。
エルヴィンは今まで出来なかった、アンノ君の3DCGを作り始め、鈴木香津美はブラウン運動板の周波数とアンノ君の固定振動数の計算をはじめた。
「アレが生物だとしたら、生物の本能に乗っ取って行動するはず。海に住んでいる以上、海の生物と当てはめていけば……」
ブツブツと小声でキーボードを叩くのは月島蒼である。
「……」
無言でディスプレイと向き合っているのは要石蒼威。3Dのアンノ君と遭遇した海底の地図を作製し、実際にどのような機動をしていたのか入力している。
鈴は香津美のそばでブラウン運動板の周波数とアンノ君の周波数の計算の手伝いをしていた。
全員が籠もって7時間が経過した。
さすがにお腹も空いてきた頃、研究室にゴザを引いてラップにくるまれたロールサンドイッチが差し入れられた。作ったのは世良と夏姫だった、サンドイッチを提案したのは夏姫で、手が汚れないようにと提案したのは世良である。
「じゃあ、それぞれ発表ってことで」
場を仕切るのは世良だった。
「鈴木さんから、よろしく」
「はい、私と鈴ちゃんの結果では、アンノ君はブラウン運動板に誘導されていない事が判りました」
「じゃあ、ブラウン運動板説はバツだったわけね」
「まぁ、そうなんですけど。もう一つ判ったことがあります、それは鈴ちゃんからね」
ホロノートを全員の真ん中に置いて鈴が咳払いを一つして説明をはじめた。
「えっと。ザウルスくん自身が巨大なブラウン運動板だったことが判明しました」
『!?』
「こちらのホロノート見てください、これがザウルスくんのまわりに発生した水流の動きです、水振動周波数も一致しました。これが、ザウルスくん時速150kmの推進力の正体です」
香津美が説明を付け足した。
「ブラウン運動板に多分アンノ君自身の推進力が加わってこのスピードだと思います」
「オッケ、じゃあ次に月島さん」
「わたしはUNが何のために南下しているのかを、海棲ほ乳類とか海棲生物と同じ様にして考えてみた。一番考えられたのは産卵とかの縄張り意識だったけど、広範囲過ぎて絞り込むことは出来なかった、だからもう一つの本能の可能性を考えてみました」
蒼も自分のホロノートを中央に置いた。
「最も合理的な本能、それは『帰巣本能』です。あれがどうして太平洋上をさまよっていたのかは判りません、そしてその巣から何故遠く離れたのかも判りません。しかし、今その巣をたどる合図な様な物が判ったとしたら、鮭は河の匂いを憶えていて戻るし、月の満ち欠けや潮の流れで、渡り鳥は体内に方向を知るための磁石があるし、UNにもそれと同じ機能があるとしたら、南下の理由にもなると考えいます」
「でも弱いよな」
世良の言うとおり、この説には憶測が多かった。
「それは判ってる、今になってなんでUNが動き出したのか。じゃあそれ以前は?ってことになるとさっぱり」
蒼は両手を上げて天井を見上げた。
「要石さんの方は?」
「地質データーでは何の異常も見られなかった」
その時、エルヴィンが指摘する。
「あの、この元の地質データーですが」
「何だ?」
「北大西洋のものッス」
確かに、北大西洋実習鉱区のデーターである。
「しまったな……いまからもう一度やりなおしてみる、それとみんな好きに名前付けてるがそろそろ名称統一したほうがいいんじゃないか?」

エルヴィンの提案に、様々な名前が出された、ザウルス君、アンノ君、UMA、UN、アンノウン、怪獣、海竜、ナッシー。アンノ君とザウルス君が最後まで残り、決選投票でアンノ君に決まった。
一部の世良を除き結構盛り上がった命名の儀式である。
「じゃあ、ボクの発表いくッス」
発表が再開される。
「えっと、あの物質の炭素測定ができたッス。データーから行けば生後3500年から5500年ってとこッスね」
「2000年も幅があるのか?」
「ええ、途中に被爆してたりすると割と不確実ッス」
「まぁ、スリーマイルだのビキニ諸島だのいなかった可能性は否定できないからな……」
「それとッス、3DCGモデル出来上がってるので見て欲しいッス」
こちらをと言って、夏姫がディスプレイへみんなを誘導する。
「これがアンノ君の正体です」
ディスプレイに映し出された立体的な姿、それは物語に出てくる『龍』そのものだった。
「アゾベで出来た巨大な龍か……」
ディスプレイの中で泳ぎ回り、船に衝突する姿。
しばらくみんながそれに見入っていた。

シーン11(欠番):

シーン12:

学生代表で世良と夏姫、エルヴィンと夕香里がジェレミーを訪れた。
「データーを全てまとめました、僕はこの結果を大学とトラコへ知らせてこの付近からトライデントにいる船に警告を出すべきだと考えます」
「せやオカルトと言われようが、それがいたことは事実で自分らはそれを知ってる以上、海に生きている人間である以上、ほかの被害者が出る前にちゃんと伝えるべきやおもいます」
「もちろん、このデーターがあったところで対策にもなるか判りません。でも私たちが出来ることはやり尽くしました、これが精一杯だなんて思いません。だけどこれ以上ここにとどまり続けても先へは進みません」
「教授会が何でこんなに足止めするのか判らないッス、政治的なことには首はつっこめないッス。だけど何が良くて、何が悪いのか、それは僕らでも判断できるッス!」

ジェレミーは受け取ったデーターを見ていた。
最終ページまで目を通し眼鏡を机に置く。
「……あいつら13人がかりで2週間のデーターが、学生だけでやったら7時間か……」
「ジェレミー先生!」
「君たちの希望は判った、下がっていいぞ」
「ジェレミー教授、あんたも……」
「同じ事を2度も言わせるな、決断はアタシがする」
ジェレミーは椅子に座ったまま、上目遣いで学生を一瞥して机に向かった。

翌日の朝。

全員が食事中の出来事だ。
ジェレミーからの館内放送が入った。
『乗組員全員へ報告、昨夜遭遇した2度目のアンノウンの衝突により海凰はこれ以上の調査、航行が続行不可能となった。よってこれよりトライデントUNへ帰港する』
「昨日の夜に衝突なんてあったか?」
「いや」

食事中の学生達がざわめく。
「!?」
いち早く席を立ったのは鈴だった、夏姫の目配せを受けて、その後を香津美が追いかける。
「どうしたの鈴ちゃん?」
「ジェレミー先生が、嘘ついた……きっと先生は、調査を終わらせるつもり」
「許可が出たかも知れないわよ?」
「だったら、嘘付く必要ないもの。先生はきっと自分が独断したことにして全員をトライデントに帰すつもり」
香津美は鈴の肩を掴んで歩みを止めさせた。
「ごめん、みんなちゃんと判ってるよ」
「先生だけが悪者になろうとしてる」
「それも判ってる、でもトライデントに帰りたいのはみんなの意思だもの」
「じゃあなんで、ジェレミー先生だけが悪者になるの!?悪いのは教授会とかトラコの方なのに」
「ゴメン、鈴ちゃんは小さいから判らないと思ってたけど、ちゃんと判ってたんだね」
「……」
「ジェレミー先生の気持ちになって考えようよ、きっと先生は他の誰も巻き込みたくないはず。だからアンノ君の資料を、その存在の証明も出来ているのに、どこにでも発信できるのにやってない。何故だか鈴ちゃんなら判るでしょ?教授会は大学の最高決定機関、私たち全員が命令違反、情報を他に流したのなら退学は確実、でも先生はそれを望まなかった。あれは私たちに学校に残って何かをしろってメッセージなの。そのメッセージをちゃんと受け取って、学校に着いたら何をするべきなのかこれから考える必要があると思う」
「そんなの、そんなのって無いよ!」
「駄目だよ、そんなこと言ったら。先生だって悩み抜いた事なんだから、その気持ちを無駄にしてはだめ」

その2人の会話を通路の角で聞いていたジェレミーは安堵の表情を浮かべていた。
自分のメッセージが正しく届いていた事に。
「いいんですか?」
「ん、なんだ目が覚めたのか?」
「先生が人をダシに帰港しようと耳打ちしてくれてから、睡眠導入剤打たれて寝っぱなしだったんで今も頭のなかグラグラしてますけどね」
「すまんな、結局だめだった」
「最後まで役割は果たします、可愛い後輩達の為にも」
「最後まで苦労かけたな、春海くんにも謝っておいてくれ。大事な恋人に意識不明にさせていた事にな」
「逃げた研究者達に少しは罪をあがなって貰わなきゃです、それにアタシの彼氏はそんな事じゃ怒りもしませんよ」
秋桜は笑いながら医務室へ向かった。

シーン13:

海凰帰港。
出迎えは数名の男達だった。
学生も乗員もすべて降ろされた後に、男達に先導されてジェレミーが姿を現した。
そして彼女はそのまま彼らの乗ってきた車に乗せられ、どこかへ走り去った。
学生達の荷物も残った男達に点検された、月島は荷物をひっくり返され文句を言っていたが、男達はなにもしゃべらず黙々と何かを探していた。
「(きっと、あのデーターを持ち出していないか探しているんだな……)」
しかし何も確認できない。
データー自体は暗号化され何の関連性もないサイトの隅っこに移されていた。
各自家からあとで抜き出す手はずになっていた、誰かに何かがあったらすぐにばらまく。
それが全員で出した決断だった。
秋桜が離被架で運ばれ病院へ向かった。
そしてしばらく、海凰に乗り込んだ学生達にはマークが付けられた。
学校、通学路、家の外。
あらゆる所に姿を現す表さないギリギリのラインを保ちつつ……。

海凰を降りてから1ヶ月がたったある日、海凰に乗り込んだ学生の元にジェレミーからのメッセージが舞い込んだ。予め1ヶ月前に設定されていたメールであり、発信元も海凰になっている。

*1 high-file edit:jelic acc,point:briton
*2 input apass:g-mother
*1 spile no.12
*2 file update 11/11/2050
2* player from :2123
*1 input main pass:JHokins

*input pass=?
*http://www.crossroad.ne.jp/?.txt

学生に付いていたマークも徐々に解除され、一応は入学して少したったあの日と同じ生活に戻ってきた。それぞれの手には海凰で得た情報があった。
世の中では年が変わろうとしていた、いつもでも変わらない日常だ。

唯一変わったことは……。
大学にジェレミー・ホーキンスはまだいなかった。
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