トライデントUN中央図書館。
開館以来約半世紀。海洋に関するものに限らず、この地球上で出されるありとあらゆる出版物を収蔵してきた。
大半のものはデジタルデータ化され、テラとかペタとかを遥かに超える記憶装置に収められているが、それでも書籍の形で保存されているのは日本の国立国会図書館の比ではない。
ここを管理している司書連中の間では、全部読破するまでに地球が3回滅亡すると言われている図書館の中を、男子生徒二人が本を求めて彷徨っていた。

「ったく、教授の奴、まーたこんな雑用を押し付けやがってよぉ」
咲コーヘー(さき・-)は、指導教授のへらへらとした笑い顔を思い出し毒づいた。
荒れ狂う颱風の中、壊れたロボット観測計の修理を終え、久々に研究室に顔を出してみると、今度は研究室を訪れていた新入生のお守りを押しつけられたのだ。
「俺にだってやりたいことはあるんだぞ」
鬱憤晴らしにライトウォークをS字に走らせる。
「うわった、なんしとるんじゃ!」
お守りの対象――工口皇司(くぐち・おうじ)は、慌ててコーヘーをかわすと怒鳴った。
「ごめんごめん」
「気をつけろ」
「っと、ここら辺だ、砂漠化についての参考文献があるのは……」
二人はライトウォークを停めると、高さ5m以上ありそうな書架を見上げた。
「こりゃほいでからに、ごっついのぉ」
「最低限の資料を抜き出すだけでも一苦労だね」
携帯端末を取りだし、必要な資料を検索するコーヘー。皇司は近くのコーナーで脚立を見つけると、それを持ってきて立てかけた。
「えーと、なになに。『内蒙古の砂漠化について』『中華人民共和国の工業政策』『土壌の崩壊』……」
「鹿沼研究室が発表した、大陸中国の砂漠化について調べたいんじゃ」
「砂漠化かぁ。2年ぐらい前にバイトで大陸中国の奥地まで連れて行かれたけど、あの時もまだ政府は北京で頑張っていたなぁ」
「大陸中国に?あそこは外国人の入国を極端に規制しとるそうじゃけど?」
驚く皇司。北京オリンピックの失敗と、その後の南北内戦の中で、大陸中国は極端な外国嫌いに陥ってしまっていた。メディアの崩壊も伴って、2050年現在、中国奥地で何が起きているかを把握することは難しくなっている。
「そのときは古代海洋文明の痕跡を探るってな感じの発掘調査だったんだけど、その団長が大陸中国にコネがあるみたいで……」
「そりゃぁすごいな」
「まだ40代前半だけど、かなりやり手の教授だよ。最もいつもフィールド・ワークとか称して世界中飛び回っているけど」
「へえ、どがぁな名前の教授?」
「んーと、確か……海洋文化コースの早瀬って言ったかな。うん、そうだ。間違いない」
携帯端末で職員名簿を調べたコーヘーは、大きくうなづくと液晶画面を皇司に見せる。
そこには渋みのある中年男性の姿があった。

「座標5F85B3の04823Cにある海底火山?それがどうした?」
早瀬恭平(はやせ・きょうへい)は胡散臭そうに、目の前の学生を見た。
「数年前に噴火しただろう。その噴火が周辺の海洋生物にどういった影響を与えているかを実地調査したい――」
ダイソン・ベントス(-・-)はホロノートを取りだすと、電子ペンで数回たたき、一枚のグラフを早瀬に見せた。表題には『北太平洋における漁獲高の推移』とある。
「――各漁港での大型回遊魚の水揚げは、49年度も大きく変わってはいない。ところが――」
次々とグラフを変えながらプレゼンを行うベントスの話を、早瀬は半ば上の空で聞いていた。
ホントはクラス担任なんてやりたくないんだが――、まあ、あれもあるし、仕方がないか。
「――な、どうだ?」
「ん?」
「ん、じゃなくってだな、食糧難で多くの国が困っているみたいだし、水産資源がバカに出来ない時代だぜ。あの海域の近くは外遊魚のルートになっているところもあるし、今後の漁獲高への影響も考えて、調査に行った方がいいんじゃないか?
俺達は水産資源コースだぜ、『実習』でなんとか出来るだろう!?」
いや、実習は4年次からの選択授業なので、1年生は選択できないんだが……と言いかけて、早瀬はそもそも根本的な問題に気がついた。
「おまえさんが言っている海底火山――『にしかぜ』遭難事故の時の奴だろう。あれがどこにあるか、おまえさんホントに知ってるのか?」
「へ?」
「ちょっと待ってろよ……」
早瀬は手元の端末から海図を引き出すと、液晶画面をダイソンに見せた。
「座標5F85B3の04823Cってーのはな、ハワイの北北東の海域だ。そんなところまでおいそれと、調査船を出せる訳ないだろーが」
「ハワイの北北東だってぇ?」
ちなみにトライデントUNのあるロス=ジャルディン島からハワイまでは、約4000kmほど離れている。
「ま、そう言うわけだ。さ、帰った帰った」
「ま、待ってくれよ」
邪険そうに手を振りダイソンを追い出すと、早瀬は次の訪問者に目を向けた。
「えっと、君は?」
「日野原正之(ひのはら・まさゆき)と言います。あ、あのお願いしたいのはですね……」
少し気弱そうな少年は、早瀬にビビリながらも自分の考えを話した。
「……なるほどな。沖合で海鳥を放して、それが島を見つけられるかどうかを調べたいって訳か」
「フェニキア人も、同じ様なことを考えていたらしいぜ。もっともあっちは海鳥じゃなく、マルチーズらしいがな」
「マルチーズって、あの犬ですか?」
「ああ。海の上で何日も島影は見えないし、天候も悪くてどうしようもなくなったときに、最後の手段としてマルチーズを海に放つそうだ。
犬は人間より遙かに嗅覚が利くからな。島の匂いを探し当てて、そっちに向かって泳いでいく。それを追いかけて行けば、島にたどり着けるって訳だ」
「便乗そのものは別にかまわんよ。邪魔さえしなければな」
「本当ですか?」
「ああ。出港予定表を転送するから、おまえさんのアドレスを教えてくれ。話はこっちから通しておく」
早瀬は手元の端末を叩き、正之のホロノートに出港予定表を転送した。
「ありがとうございます」

「えろう、ぎょうさんになったのぉ」
皇司はライトウォークのカゴ一杯になった本を見て、
「ホンマはドルフィン便使おうゆぅて思うとったけんど、禁帯出の本が多いみたいで……」
「貴重な本も多いからね」
「じゃけんど、普通の雑誌とかはみーんなホロペーパーなんに、なーんで専門書は本のままなんじゃろ」
「さあなぁ」
「デジタルだと、情報が改変される危険性があるからに決まっておろう」
いつの間にか二人の横に一人の少女が立っていた。
「なんじゃ、われ?」
「デジタルデータは複製、改竄が容易なため、どのデータがマスターであるかの判別が極めて難しい。そのため、重要な公文書、論文などは基本的に紙媒体で作成されるのは常識だぞ。貴様、そんなことも知らぬのか?」
少女は皇司の問いかけを無視すると、独り言のように続ける。
「海洋研究の最先端を走るトライデントUNの図書館だと、もっと書籍があると思ったが、存外薄いな」
「かなりの量は、各研究室や閉架書庫にあるけど……」
「そうなのか?」
うなづくコーヘー。携帯端末を少女に見せると、
「ほら、ここの色が赤だと貸し出し中。青だと閉架書庫に入ってる」
「ふむ。なるほどな」
少女は感心したようにうなづくと、
「適切な助言、感謝する。貴様の名は?」
「咲コーヘーだけど……」
「コーヘーか。記憶した。神酒崎は貴様の名を生涯忘れることはない」
さらばだと言い残して、少女――神酒崎いのりはその場を立ち去っていった。
後に残された二人は呆気に取られ、後姿を見送るしかなかった。
「なんじゃったんじゃ、あれ?」
「さぁ……」

結局、結論として大陸中国の砂漠化は、1)無理な開墾、2)馬、羊などの放牧数の増加と、害獣の駆除、3)工業化に伴う工業用水の大量消費、4)燃料用の材木伐採、などが複合的に組み合わさった結果らしい。
「しかもやっかいなんは、一度崩れたバランスはもう戻らへんってことなんやけどな」
暗い部屋の中、ポニーテールの少女は呟いた。端末の液晶画面には、皇司のまとめたレポートが映っている。
自分のことしか考えへんかったツケが、今回ってきてるんや――。
少女は思った。
もうどないにもならへん――。
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