さてさて。
国際海洋大学トライデントUN校に入学する生徒たちは、心身ともに健康で知能が高く、技術を持つものに限られる。
――と世間は言うけれど。全員が全員何の苦労もなく天才という道を歩んできた。何て事は全能の神だって恥ずかしくていえまい。
中には浪人に次ぐ浪人の末、苦労して入学してくる者もいる。――そう。叶野水月(かのう・みつき)のように。
陽光にきらめく波間の向こうに、珊瑚礁ならぬ人工の海上都市に囲まれたロス=ジャルディン島がみえる。
「はぁ〜、やっとこさ入学出来たけよ…。浪人時代長かったなぁ」
みづきは背伸びをしたあと、ロス=ジャルディン島を眺めながらつぶやいた。
「これからもあまり親に負担かけられないし、バイトでもすっかな」
とはいえ一応にも二応にもここは学究都市である。早々うまい話が転がっているとは限らない。
「まあ、トマトとにんじんが無ければどこでもいいんだけど」
食わず嫌いの子供のような事を言いながら頬をかく。
そんな可愛いセリフを可愛い仕草で言うのだから、仲間に「水月ちゃん」とその可愛い名前を持ってして、からかわれていたりするのだが、本人には何故からかわれてしまうのかの自覚がないらしい。
入学したての学生が大概そうであるように、水月はあてもなくフローティングエリアをさまよう。
糊付けされた制服の襟がぴんっと立った新入生の少女達。
鼻歌交じりにライトウォークですり抜ける事務の青年。
通路の隅でとつとつと研究についての意見を交換するのは、どこかの研究室の博士2人。
そんな風景を眺めるともなく眺めていると、水月の目に一枚のポスターが飛び込んできた。
――ドルフィン便・アルバイト募集!イルカのマークが目印です!
黄色い宅配帽をかぶったイルカが小包をかかえて、海面から飛び出すという、「いかにも」なポスターである。
「へぇ、ドルフィン便なんてのがあるんだ?「迅速、丁寧、何でも、いつでもお届け」ってか」
この際、金になるなら何でも良い。
時給もそれほど悪くはない。
「ま、お金になるならやっても良いかな」と水月が判断するのに要した時間はジャスト三分。
人と馴れ合う……つまりは新たに人間関係を構築するのは好きではないが。背に腹は代えられぬ。
かくして叶野水月はドルフィン便に……その結成者である虎杖詩絵羅 (いたどり・しぇら) の元へと導かれたのであった。
虎杖詩絵羅 (いたどり・しぇら)、と聞かれた時の生徒達の反応はおおよそ三つに分けられる。
まず一つ。「面識がないから知らない」――コレ、当たり前。
二つ目は「ああ、モデルみたいなプロポーションした金髪美女ね」あるいは「八重歯が目印の中性的な美人だね」と外見に関するコメント。
三つ、ああ「『あの』ドルフィン便の結成者」ね。
である。
何でも屋、宅配便屋である「ドルフィン便」を結成短期間で、オリュンポスに無くてはならない(これは重要度からではなく。二十一世紀の人間がコンビニとクーラーを手放せなかったのと同じ理由だろう)存在にまで叩き上げた手腕は、ただ者ではない。
すらりとした長身の体を引き立てる水着の上に、ドルフィンのワッペンがついたパーカー。
片手にビール・片手にタバコという姿からはとても想像できない。
しかし、バイク、自転車、水上ボートに水上バイク。果ては潜水艇からインラインローラー。電気自動車にとどめはイルカ。と、オリュンポスを「人の速度より早く」走るもの全てを駆使し、一枚のラブレターから、大型遺伝子分析装置やワークステーション。冷蔵庫まで、運べる物を確実に目的地へと運ぶ。
どんなに少額な依頼でも、手続きが煩雑で面倒な依頼でも、取り落としはしない。
一度やると決めたものは、必ず送り届ける!を信条に、右へ左へと指揮をとばし、仕事を得るための営業を行い、人足……もとい人手をかき集める。
「おらおら!そんなところでつまずいてるンじゃァないよ!その荷物はB-16ブロック。そっちのちっこいのはコリーンの処の荷物だろ!さあさあ!」
と、ほろ酔いかげんに赤くそまった頬で、今日も威勢良く仲間達に激をとばす。
ボランティアの収益寄付目的、あるいは学費稼ぎや小遣い稼等でドルフィン便に足を踏み入れた所属学生は、容赦ない指示に追い立てられ、右往左往するのだが。
それで不平不満が出ないのは、だらしなくずらされた色つき眼鏡の向こうで、南海の太陽のごとく輝く、詩絵羅の鋭い意志もつ瞳に魅了されているからに違いない。
閑話休題。
ともあれ最近の詩絵羅はとみに忙しい。
――というのも、新入生達がやってきたからだ。
人手確保に抜かりがあってはこの先一年が大変だ。
そんなわけで、従来のポスター作戦にくわえ、今年は親書――ダイレクトメール作戦を実行するのだ。
ドルフィン便は中立である。ゆえにどこのゼミや組織に顔をだしても許される筈である(タテマエと詩絵羅の主張に寄れば)。
「その盲点をついて、新しい勧誘形式かつ、過度の物ではない主張して、ダイレクトメール配布等により学生勧誘の親書を届けさせるって訳よ」
光を透過させ、まるで花嫁のヴェールのように薄くたゆたう煙を吐き出しながら、詩絵羅は飲み干したビールの缶に灰を落とした。
「まァなンか言われても、ドルフィン便は親書を届けているだけで、勧誘しちゃァ居ないって言えるからね。これでウチの知名度が上がれば目的達成って訳」
化粧しているわけでもないのに、妙に赤く鮮やかな唇を三日月の形に歪めて詩絵羅は笑い、2本目のビールに手を伸ばす。
良くアルコール中毒にならないものだ、と周囲から言われるが、それでも酒とタバコは手放さない。
彼女にしてみればビールなど水も同然であり、タバコは苦みの利いた空気程度の認識しかないのかもしれない。
それで均整の取れたプロポーションを完全に維持しているのだから、これはもう、ドルフィン便七不思議の一つにエントリーするしかないだろう。
「いわゆる売名って奴ですね」
詩絵羅のデスクの横で、小包に張り付けられた伝票にマーカーを入れていた青年が、目を瞬かせながら言う。
「売名なんてはしたない言葉をおいいでないよ。宣伝活動。コネクション結合。収益アップ!コレだよ」
と、デスクの一番下の引き出しからインラインスケートを取り出す。
ランチも終わり、一服もおわり。さあ、これから午後の営業に出かけよう!という処だ。
「ああ、まってください。一人バイトの面接が入ってるんです」
伝票をマークしていた青年が、黄色いドルフィン便の帽子のつばを上げながらあわてて立ち上がる。
「面接?」
「ええ、もうそろそろ時間なんですが……えーと、叶野水月さん?だったっけ?」
くしゃくしゃに丸めたメモをポケットから引っ張り出して、詩絵羅に見せる。
「女の子かい?」
「違います!」
汚い文字がのたくる紙切れをちらりと見た瞬間、元気の良い第三者の声が詩絵羅の質問を否定した。
「名前のことは言わないでくださいっ!」
頬を上気させながら水月は毅然として言い切る。バイトの面接の筈なのだが。コンプレックスのあまりすっかり念頭から消失しているようだ。
それは詩絵羅も同じだったようで、ふぅん?ともらしてじろじろと水月のつま先からてっぺんまでを眺め回した。
「うん。名前の割にまともそうじゃァないの」
「だから、名前のことは……!」
「よし、採用」
水月の反論などどこ吹く風、と言った調子で聞き流すと、詩絵羅は陽光のような金髪を書き上げ、素っ気なく言い放った。
「今日から頼むわ。手順はそこいらにいる仲間にきいとくれ。あたしはこれから営業なのさ」
ひらひらと肩越しに手を振りながら、詩絵羅はずれた眼鏡をそのままに、目をかすかに細めて見せた。
(――選択間違ったかも)
と汗を流したがすべてはもう遅かった。
かくして叶野水月はドルフィン便のメンバーとなったのであった。

「こんにちは〜。迅速、丁寧、何でも、いつでもお届け!のドルフィン便です。研究試薬の小包をお届けにまいりましたっ!」
ここ数日ですっかりなれきった口上を一息に言い切り、水月は黄色い帽子を脱いで頭を下げた。
「ご苦労さん。威勢がいいね。最近入った新人さんなのかしら?」
いかにも研究室の古株。と言った感じの眼鏡を掛けた女史が小包を受け取りながら尋ねてくる。
なれない白衣の薬品のにおいと、親しげな口調に戸惑いながら、水月は微苦笑を浮かべる。
「ええまあ」
元来人と馴れ合うのが苦手であるが故に、この手のやりとりは、配達の口上程に手慣れていない。
一度仲良くなると軽口も頻繁に出てくるようになるのだが、やはり初対面かつ配達人と受取人という通りすがりの関係では、緊張するなという方がおかしい。
口を濁しながら相手を見ると、相手は返答を期待するかのように微笑みをいっそう強くする。
「ええっと、こう見えても新入生なんです。海洋資源コースの」
と、水月が取り繕うように言うと、女史の瞳が眼鏡の奥でぎらりと光った。
身の危険を感じて、後ずさろうとした瞬間、女史の背後のドアが開いて、研究室のメンバーがなだれだした。
「海洋資源コース!これは運命の出会いだ!!重力異常のフラクタル解析から地下の“複雑さ"を探ってみないか!」
「不規則断片構造の幾何学的美しさに酔いしれましょう!」
「ささ、君もあすからこの高梨海底研究室の一員だ!」
「さあ!」
「さあさあさあ!」
「うわぁ!俺にはまだわかりません!」
のびてくる手を振り払い、すんでのところで扉から外へと逃れ外周通路をインラインスケートで全力疾走する。
「しかし、研究室ってのはどこもすごいな。なんか本で読んだ一昔前のサークル勧誘みたいだ」
モノレール発着場でようやく一息ついて、額の汗を拭い水月はつぶやいた。
まだ授業すら始まってないのに、すでに研究室に勧誘されるとは。
年々勧誘が激化しているというが、一介の配達員にすぎない水月まで標的になってしまうとは、いよいよ末期症状……もとい学園問題である。
「……俺、馴染めるかな」
内心に不安の暗雲を広げながら、青い空と青い海をぼんやりと眺めている。
日本本土の家族は元気だろうか。などといつになくアンニュイな気分になったその時。
「もし……もうし」
かめよ、かめさんよ。と付けたくなるにはあまりにも陰鬱で苦しげな声が水月に投げかけられ、肩をがっしりと掴まれた。
「ドルフィン便の方ですね?」
ぼそぼそとつぶやく男を見て水月は驚きに息をのんだ。
あまりにも男がやせ細りすぎていて、白衣だけがふらふらと風に揺れているように見えたからだ。
「このデータカードを……データカードの中にある写真に写ってる少女に届けてもらえますか?」
「あ、はい、良いですよ」
と答え伝票を差し出そうとすると、男はあわてて水月の動きを制し、周囲を素早く見渡した。
それは病人のような男の風体にはまるでそぐわず、追いつめられた猫化の獣のような緊迫感にあふれていた。
息をのみ言葉を失っていると、男は念を押すように「頼みましたよ」といい、出発直前のモノレールに乗り込んだ。
あわてて追いかけようとした水月の指先で、扉は無情にもとざされ、謎の男を乗せたままどこかへ遠ざかっていった。

ドルフィン便事業局は、満足に仕事をやり遂げた者たちだけにゆるされる、幸せでまったりとした空気に包まれていた。
配送処理用のワークステーションは業務が終わった為、スクリーンセイバー代わりにブロードバンド放送のニュースが流れていた。
「なんかありましたか?」
水月が尋ねると詩絵羅がニュースを長めながら肩をすくめた。
「海藤瑠璃がまた、ぞろ環境保護論おったてて騒いでるよ。イルカがどうのこうのってね」
興味なさそうに詩絵羅がいう。
「そういえば俺、今日変な依頼を受けましたよ」
とモノレール駅での出来事を話す、と、詩絵羅はビールを飲む手をとめて、水月が差し出したデータカードをワークステーションにさしこみ、中にある写真を眺めだした。
「落とし物だかなンだかわからないけど、困るねぇ。まあ、コレを配達するのは無理だけど、配達の途中で本人――写真の娘を見つけたら渡すぐらいだろうね」
蒼い髪をポニーテール結い上げた8才ぐらいの少女が、海を背景に笑っている。
「でも、このオリュンポスでちっちゃな少女一人見つける何てできるのかねェ」
まるで他人事の様につぶやき、詩絵羅は内心の呆れを表すかのように、長く、細く、タバコの煙をそっと吐き出した。
Design by Circle CROSSROAD 2002-2010.
No reproduction or republication without written permission.
許可のない転載、再発行を禁止します。