シーン0:

午後6時40分、トライデントUN国際海洋大学専用港『フォローウィンド』。
何ヶ所かある大学専用の港のうち、ここに係留されるのは小型船だけである。
おおよそが研究所所有の近海調査船であり、また通勤用の船もここにある。
大須賀研究室所有の近海資源調査船『寒梅』。
調査船とは名ばかりの宴会船であることは、学内の人間であれば誰でも知っている事実だった。
使っているのは学生だけでなく、教授連中も羽目を外すときに使われる船である。
内装は船内に模擬畳が20畳、調理場があり冷蔵庫も完備。登録上は調査船であるがどうみても屋形船だった。
「これでみんなそろったかなー、それじゃあ出航するぞ。そこ、まだ飲むんじゃねぇ!」
この会発起人であり、宴会サークル『魚偏』の宴会副部長である蓼島稔が参加者の頭数を数える。
どうやら全員そろったらしく、静かにゆっくりと『寒梅』が出航した。

シーン1:

トライデントUNの内海は消波装置によって適度に循環をさせながらベタ波になる。
「よーし、それでは!これより宴会サークル『魚偏』主催の新人歓迎コンパを開始しまーす!」
参加しているのは殆ど上級生で、下級生は数名しかいない。参加した上級生にしても、酒を飲む理由が欲しいだけで、新人獲得などは二の次だった。『魚偏』にしても新人を勧誘しなければならないという決まりはない、魚偏の命題は美味い魚は美味しく食べる、美味しくない魚は美味くして食う、不味い魚は無視。
上級生連中は肴よりもまず酒を流し込んでいた。
始まってすぐにビール瓶が10数本と一升瓶が1本からっぽで転がっている。
「それでは新入生から自己紹介してもらおうかな」
端から巡に新入生が挨拶をはじめると、上級生が日本チャチャチャのリズムで手を叩き、その学生の名前を連呼する。ノリ自体は普通の大学と変わらない。勿論上級生も海洋大学に入学したということは、日本でも上位の知力を持っているはずだが時折『どうして入学できたか判らない』学生も存在したりする、蓼島もその一人だ。えしてそういう人間は学内で有名になる、枠の無い自由な発想が勉強一筋だった人間にはない柔軟性を、大学や学生同士の人間関係に影響を与えているためだ。
「クリスティーナ・キルシュタイン、海洋科学コース」
無骨な短い自己紹介したのは金髪の女性である、そして正座したまま背筋を伸ばし、可愛いかっこよいというよりも凛々しい、ハンサムという形容詞が最適な彼女だった。
「こんにちは〜、菱雅美15歳で〜す。コースは特科コースです、先日叔父さんが『産まれました』のでお祝いに飲みます!!」
一瞬場が凍り付く、すでに出来上がっていた雅美はコップのビールを飲み干した。
「せいやぁあ!」
ワケの分からないかけ声と共に、空になったコップを高々と上げる。
『……お……オオオオオォォォ!!』
拍手が巻き起こる。
しかし上級生一同の心情は一言で表すと「やべぇ」に全て含まれていた。
「……(だれだよ、15歳なんて呼んだの)」
「……(しかも特科なんて、特待生じゃねぇか)」
「……(酔ってて聞かなかったことにしよう)」
『そうだな!』
再び盛り上がる船内。
日もすっかり落ちて、辺りが暗くなると船内照明と提灯が煌々と輝き水面を照らす。

シーン2:

「何だ、雅美はREとCHをしらないのか?」
「なんですかそれ」
クリスティーナと雅美がハマチを摘みながら話をしていた。
「トライデントUNがアメリカと日本の共同出資って事はしっているだろう?」
「うん」
「オリュンポス計画が5ヶ国と1機構の計画だって事は知っているか?」
「うん」
「トライデントの名前を持つのは3つの島だ、UNは判ってるだろう。そしてREはロシアとユーロ共同経済圏が作った人工島で、CHは中国と香港が作った人工的な浮島だ」
「ああ、そーいえば菱垣おじさんが言ってたけど、詳しくはきいてなかったなぁ」
「完成度はUNが一番だな、REもCHもまだまともに人が住めるところまで完成はしていないし、大学の卒業生も就職先に選ぶのも多いそうだ」
「ふ〜ん」
「ところで雅美」
「何?」
「お酒はもうやめておけ、適度はいいが度を過ぎている」
「はーい」
雅美の元気な笑顔に、クリスティーナも笑顔で答え雅美の頭を撫でた。
10数分後、雅美はクリスティーナの膝の上で寝息をたてている、クリスティーナは自分の制服の上着を脱ぐと雅美にかけてやった。そしてすっかり顔を赤くした雅美の顔を新しいおしぼりで冷やしていた。
クリスティーナの背筋は伸びたままだった。

シーン3:

宴会も新入生の殆どがつぶれ、上級生も半数がつぶれた。
「よぉ、飲んでる?」
蓼島がクリスティーナの隣に近寄ったその時だ。
テーブルの下で寝ていた学生の足だけが出ていた、それを踏んづけてしまったのだ。
「おっと」
倒れそうな身体を持ちこたえるために、屋形船の窓枠に手をかけようとしたがそこは残念なことに障子しかなく、派手に紙の破れる音と桟の砕ける音しかしない。
ふにゃ。
ガン!「きゃあ」
順番はこれであっている。
蓼島の左手がクリスティーナの左胸を掴む、倒れかけている蓼島にカウンターぎみでクリスティーナの左ストレートが綺麗に入る、そしてクリスティーナの悲鳴。
「(うわー、漫画みたいなことやっちまったよ……)」
殴られた右頬をおしぼりで冷やしながら蓼島がそう考えていた。
「すまん、大丈夫か?」
「ああ、俺の方こそすまなかったな」
「いや、謝るのは私の方だ。殴って置いてなんだが……あれは事故だと思ってくれ」
「そう言ってくれると俺の方もありがたいんだけどね、あのさ」
「なんだ?」
「キミもしかして猫かぶってないか?」
「いや、かぶってるわけじゃない。ただ私まで酔いつぶれたらこの子を送っていけないだろう」
「そういうのは主催者が考えることで、キミはお客さんなんだから飲めばいいんだ」
蓼島は笑いながら酒の入ったコップをクリスティーナに渡す。
「……まぁ、素性知れてるなら送り狼もないか」
「おいおい、宴会サークルを嘗めるな。宴会にはルールがある、なんだか判るか?」
「さぁ?」
「参加者全員が宴会を楽しむ義務を果たすことだ」
「権利じゃないのか?」
「いいや義務だ、だから参加者1人でも不快な思いをさせない。それが俺のポリシーの1つでもある」
「1つ、ということはまだ他にあるのか?」
「ある!」
蓼島は待ってましたとばかりに刺身の盛られた皿を手元に持ってくる。
「美味い魚を食べることだ!」
10数分間、蓼島の魚談義が始まる。
「刺身で食べるならハマチまでがいい、鰤まで大きくなと身のしまりが弱くなる。適度な身の堅さと脂が乗っているハマチが刺身には最適だ、勿論、煮る焼くでは鰤の方が上だけどな」
「焼き白身魚で美味いのは銀だらなんだが、最近ではメルルーサに真空加圧してオリーブオイル含ませて焼いたのとかしいらに手を加えた物とか、偽物が多いのが残念な所だな。本物の銀ムツなんか滅多にお目にかかれないし、アルゼンチン沖の深海魚なんかの養殖物が本物扱いされているのはがっかりだ」
クリスティーナは静かにその話を真剣に聞いていた。
蓼島の話が一段落すると、クリスティーナは雅美の頭をそっと膝の上から持ち上げ、身体を座布団を並べた上に置いた。
「足、崩していいか?」
「おう、楽にやろうぜ」
クリスティーナは足を少しずらすと、後ろに寄りかかり右手に酒のつがれたコップを持つと一気にあおった。
「なんだ、いけるクチか?」
「いい酒だな」
「わかるか?」
「家にいた頃はアペリティフとワインはいつも飲んでいた」
「ほうほう、日本酒は平気なのか?」
「ああ、蒸留酒系は少し抵抗あるが発酵酒は大丈夫だ」
「じゃあ、どんどん行ってくれ。この酒なウチの家で作った酒なんだ」
「いい家族なんだろうな、酒を造る人間の性格は酒に良く出てくる」
「そうでも、ないさ」
蓼島の目の印象が一瞬変わる、クリスティーナは気づかない振りをした。
「今日何で制服着てきたんだ?」
蓼島の表情は元に戻っていた。
「いや講義の後に訓練と電算室で色々と調べ物をしていたら時間になっていた。興ざめさせたか?すまんな」
「いや、1年次からそんなに頑張る奴に悪い奴はいない。判ってる奴は判ってるさ、確かな目標を持った奴は強い」
「蓼島は目標は無いのか?」
「ある、世界一の美味い魚を食べることだ」
蓼島の握り拳と本気の表情にクリスティーナが大笑いをする。
「そんなにわらうこったぁないだろ、人が本気でいってるのに」
宴会が始まってからしばらくの間、仏頂面だったクリスティーナの笑顔に蓼島は安堵した。これで参加者全員が義務を果たせた事になるからだ。
「キミの家族は本国?」
「ああ、そうだ。ウチは代々海軍の家系なんだが女系の家でな。家督は私が継ぐことになる、21世紀も半ばに来てまだそんな家もあるんだ、笑える話だろう?でも私はそんな家が嫌いだ。義務なんて……まぁここに来たおかげで自分の好きなことが出来るし、羽目もはずせる、本当の自分でいられる所だ……6年の期限付きではあるがな……」
クリスティーナの口調が怪しくなる、まぶたも重そうだ。
「……」
しばらくするとクリスティーナは寝息を立て始める。
授業が終わっての訓練と一口に言っても内容は濃い。
シミュレーションカッター漕ぎにスカッシュをハードにこなし、身体的疲労がたまっている状態で宴会に参加し、緊張感もアルコールの力でとぎれ脳と身体が休息を要求した。

シーン4:

キューーン
船の外から音がする。
「やべ」
蓼島は立ち上がると屋形船の壊れた障子を懸命に開けて、屋根に置いてあったひも付きのバケツを海の中に投げ込む。
『そこの小型船、夜間航行の許可範囲からでてるぞ!』
「よりによって鬼オカチーか……」
『何をしてる?』
海上バギーからのスピーカー音が響く。
「夜間の灯光下の集光性プランクトンの採取中です!」
「蓼島か?夜間実験もいいが許可範囲をはみ出るな」
「あ、了解です(顔覚えられてるよ……)」
「それと、去年みたいに『水神祭』で全員海の中ってことは無いようにな」
「やだなぁ、本当に研究ですって(バレてるな、あのときメッチャクチャ怒られたしな)」
「ならいい、次の巡回を2時間後にするから、それまでに終わらせろよ」
「わっかりましたー(とっとと行きやがれ鬼オカチー)」
蓼島はめいっぱいの笑顔と手を振り、バギーの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「警備部部長自ら巡回することはないだろうに、さぞかし人手不足なんだな」
蓼島はバケツを回収すると海水を捨てて屋根にまた乗せなおした。

シーン5:

「羽毛田、そろそろ船うごかすぞ」
「ういっす」
蓼島が魚偏の後輩メンバーに声をかける。
ため息を付きながら座り直す。
コツン。
蓼島の右肩に寄りかかってきたのはクリスティーナだった。
コップの中に入った酒をひとくち飲むと。
「羽毛田」
「なんっすか?」
「ゆっくり行ってくれ、寝てる連中を起こさないようにな」
「了解っす」
実験船『寒梅』は無音航行でゆっくりと港へ向かった。
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