シーン0:

「最近の学生は、海とか船に興味がないのかねぇ」
学生名簿を手に増家研究室所属のジェレミー・ホーキンスは、ボールペンをくわえながら頬杖をついていた。
「興味はあるし、好きなのにその興味も削いでしまうくらいの勉強を大学がさせてるせいじゃないの?」
コーヒーの注がれたカップを両手に潮 美月が部屋に入ってきた。
「あたしらの時代には、調査船が出ますっていったらそれはすごい倍率だったのよ。実習単位はいらないから乗せてくれって言うのもいたし」
「あたしらの時代っていったって、5年くらい前の話じゃないの?」
「今日び2年一昔よ。大体、なんでアタシが海洋事故調査団の班長やってるんだか、教授会の連中もよく分からないわ」
ジェレミーは美月からカップを受け取ると一口飲んでため息を付いた。
「それに、みてよ今回の同乗学生名簿」
美月は手渡された紙一枚を受け取る。
「うわー、こんだけしか今回乗らないの?」
「しかもよ、実際に調査同行は7人だけで見学が5人。新入生が6人もいるしあったまいたいわよー」
「ご愁傷様」
美月は笑顔で紙をジェレミーに返すと、書類の束を渡す。
「何これ?」
「今回積み込んだ実験機材、調査機材の目録。明日までに確認してハンコ頂戴ね」
「あいよ〜」
「あ、そうだ」
「いい話ししか聞かないわよ」
すっかりモチベーションの低いジェレミーはすでに机に突っ伏してた。
「なんでも増家教授が外町教授に頼んで5年生を実習扱いで船に乗せるそうよ」
「はぁ? なんでウチの旦那はこんなに心配性なのかねぇ。有り難い話ではあるけど」
「ずいぶんと愛されてるじゃない、ウチのチーフにもそのくらいの心遣いが欲しいわ」
「まぁ、いいわさ。行って帰ってくればいいだけのモンだし。今回のだって本格的にやりたいならあたしじゃなくて名誉あるご老体が班長だったろうし。よーするにこの船を動かしたいだけなのよね」
海洋調査船かいおうはその計画からして大議論が行われた、いわくつきの船だった。
完成して間もなくの処女航海では調査ではなく、日本各地の港をぐるっと名誉あるご老体を乗せて一周してきただけだ。設計段階から完成まで全てがこのトライデントUNで行われた海上の最新鋭大型調査船、ようするに老い先短い人間が自分が生きていた証という墓標を作ったに過ぎない、とジェレミーは思っている。
「気を付けて行ってきてね」
「あたしはね、死ぬときはノースダコタのおばあちゃんの家って決めてるんだ。何もないさ、必ず帰ってくるんだからさ」
出航まであと50時間を切っていた。

シーン1:

海洋調査船『かいおう』。
正式名称は、トライデントUN国際海洋大学所属、外洋調査研究船『海凰』。
世界初のグランドクラスの調査船であり、一度の補給で地球を3周する能力を持つ。
とはいえこの時代、ブラウン運動板がある限り無限にまわっていることは可能であるため、この比喩は乗った人間の耐久度ということになる。
普通に作られる調査船が3000〜4500トンであることを考えれば、ひとまわり以上大きい6800トンの海凰の大きさがよく分かる。
「えっと、きみが掲示板の人?」
時間は午前9時40分、最終点検をしている海凰の目の前だ。
話しかけたのは黄色いパーカーを着た男性である。
「あ、はい。有明です、えっと立花さんですか?」
「立花 世良だ。今日はよろしく」
「あ、はい。有明 晴海ですよろしくお願いします」
大柄な晴海は深々とお辞儀をする。
「えっと、かいおうの見学はこちらかしら?」
次に現れたのは青い瞳の女性と白衣に眼鏡の女性だった。
「環境コースの月島よ、立花くんに有明くん?」
「環境コースの矢川、矢川 谷保」
4人そろったところで、お互いに簡単な自己紹介をする。
ただの見学であって、4人はそれぞれ身軽な格好だった。
「待たせたな、かいおうの見学の人たちだろ? 要石だ」
最後に現れたのは長身で痩せた男だった。
他の見学者に比べて、やや多めの荷物を持っていた。
「さて、人数もそろったし。これ事務局から交付された見学用のパスですので」
といいながら晴海は人数分のパスを配ると、5人は警備員にパスを見せて海凰に乗り込んだ。

シーン2:

「やばいッス、やばいッス!」
ひたすら大型船用の埠頭を走っていたのはエルヴィン・オスト、その人だった。
時計の針はあと12回まわったところで午前10時30分になるところだ。
出航は午前11時だったので時間は十分にあったが、オリエンテーションの時間が10時30分からだったため、慌てることになる。

家を出たときは時間は十分だった。
道中、朝食をたべてこられるほどに。
「すみません、ちょっといいですか?」
埠頭の老警備員に道を尋ねたときだ。
「『かいよう』があるのはどこですか?」
それを聞いて老警備員は指を差した。
「ありがとうッス!」
頭を丁寧に下げると、エルヴィン・オストは半没水型双胴船の海洋調査船『かいよう』博物室へ向かった。
間違いに気が付くのはそれから40分後。

そして荷物を持ちながら、走る羽目になったのだ。

「……」
エルヴィンが走っている前を、一人の女の子がいた。
やたらと大きな荷物を台車に載せて一生懸命に押している。
「えっと、きみもかいおうにのるッスか?」
「あ、ええ、はい」
「台車、持つッス、きみもいそぐッスよ」
「あ、はい」
とはいえ荷物は大型台車、でかい機械類であることはすぐに判った。
「なんッスか、これ?」
一生懸命2人で台車を押しながらエルヴィンが尋ねる。
「えっと、……、地質、……、調査、……、機とか、……」
「地質調査機ッスか?」
「は……い、あ……初めまして……私は工口姫……子っていいます」
「エルヴィン・オストいいまッス。よろしくッス」
10時28分、なんとか二人は船に乗り込んだ。
あせをかきながら息を切らせて改めて二人は握手をした。

シーン3:

「スミマセン、おくれたッス」
「工口です、すみませんでした」
エルヴィン・オストと工口姫子が部屋に駆け込んだとき、すでに人はそろっていた。
時間は丁度10時30分。
「席に着いてくれ」
ジェレミーの言葉に、頭を軽く下げながら二人は席につく。
「それではこれからオリエンテーションを始める」
ジェレミーが眼鏡を外すと、咳払いをして説明をはじめた。
「おはよう、先ずは紹介させて貰おう。こちらがこの海凰の船長である環宇宙(たまき・ひろし)船長」
「よろしく」
紹介されたのは初老の男性だった。
身長は低めながらも、顔つきは凛としていて髭はない、着こなした白い制服は海軍の将校を連想させた。
「海凰へようこそ、今回の事故調査の事に関しては他人事で済まされる問題ではない、それは当たり前のことだ。私には君たちのような知識はないが操船に関しては自信がある、どうか安心して調査を行って貰いたい。そして船は船だけでは動かない、船を動かすには人間の力が必要だ、必要なときは君たちの力を借りることもあるだろう、その時は協力をお願いしたい」
「ありがとうございました。そして私が今回の調査の班長であるジェレミー・ホーキンスだ、調査研究班の責任者をやらせて貰う。この船には君たち以外の研究者が13名乗船している。君たちを含めた研究者を管轄するのが私の役目であり、今回の海洋事故の原因、あるいはそのデーターを収集する責任者である。この船に乗る以上、船員の指示、船長の指示、そして私の指示には必ず従って欲しい。私からはそんなところだ」
ジェレミーが手を挙げると、話を聞いていた学生の1人が立ち上がる。
「もう一人紹介する、君たち学生のリーダーとなる」
「初めまして、海洋大船舶工学科5年の遠野秋桜です、これから皆さんのリーダーとなりますのでよろしくお願い致します」
「それじゃあ、あとは遠野にオリエンテーションを任せた」
「はい、有り難うございました」
秋桜が頭を下げると、船長とジェレミーが部屋を退室した。
「おはようございます」
改めて秋桜が頭を全員に下げた。
「時間がないので要点だけ説明します、冊子の4ページを開けてください」
全員が冊子を開けたことを確認すると説明が始まる。
「まずは、この海凰で事故調査で乗り込んだ方。この海凰での実習単位はボランティア単位Aに相当します、これは5年次の必修実習単位である予行実習A・Bのどちらかと対等交換できますので、単位振り分け希望の人は実習終了後学生課で行ってください。見学で乗り込んだ方は、ボランティア単位Cに相当します、これは実習前学科Dに対等で割り振ることができますので、希望の人は学生課にいってくださいね。それと見学の方は出航後の翌日に到着予定の中ノ鳥島にて下船して頂きます。船内の各種部屋については冊子を参照してください。尚Aブロックと書かれている船の操船に関連する場所へは立ち入り禁止ですのでよろしく。部屋も割り振ってあるから間違えないでね、部屋にはいるためにはカードキーが必要ですのでオリエンテーション終了後にお渡しします、ラウンジにある荷物は各自自室へ保管してください、食事の時間は冊子に有るとおりですので遅れないように。ああ、事故調査で来た人たちには少し雑務をやって貰いますので班分けは9ページにあるとおりです。その他、諸注意については冊子どおりね。年に1人か2人、朝になるといなくなってる人もいるので気を付けてください、ああ……宗教上の理由で食べられないものとかある人は言ってくださいね」
秋桜は冊子も見ずに説明をしていく。
「じゃあ、質問のある人?」
手を挙げた学生がいる。
「えっと、要石くん」
「かいおうでバイトは募集してませんか?」
あまりの真剣な口調と表情に、失笑も無く辺りが静まりかえる。
「ああ、募集してないなら、見学希望だったんですが調査に同伴させてほしいのですが」
「いいんじゃない?」
秋桜は笑顔で答える。
「まぁ、ジェレミー先生に聞かなきゃいけないんだろうけど、仲間が増えるに嬉しいことはないわ」
「ありがとうございます」
「質問は以上かな? それでは男子だけ解散。カードキーを受け取って荷物を部屋に運んでください」
秋桜が次々と男子学生にカードキーを渡していく、ミーティングルームには女子7名が残った。
「なんで女子だけなんですか?」
蓮見 鈴の質問に秋桜は少し困ったような笑顔で。
「せまーい空間に長い時間、男女いると色々面倒がおおくてねぇ」
秋桜はそう言いながら紙を配りはじめた。

シーン4:

午前11時02分。
調査船かいおう操舵室。
「レイズアンカー」
「アイ」
「トラクターワイヤー解除」
「解除よろし」
「抑制電流100%維持」
「100%、維持中確認完了」
「ナビゲーター、港湾内航法順路設定準備」
「設定準備了解」
「プル依頼、宜しく」
「こちら、調査船かいおう。タグボートへ、プル開始宜候」
『了解、これよりプル作業開始します』
3分ほどでかいおうは大型船専用の岸壁から40mほど離れた。
工事用大型船舶専用の岸壁であるため、あまり親切には作られておらず、まだ工事中のため過密になっていることから海凰クラスの船でも広めの場所へタグボートに引っ張って貰わなければならない。
「プル作業完了」
「これより港湾内を航行、船長より機関室へ」
『こちら機関室』
「電動コイル始動準備」
『始動準備よろし』
『こちらUN国際港、離岸を確認。巡航速度で方位2-5-3より出航してください』
「こちらかいおう、了解」
『了解』
「ナビゲーター、港湾内航路設定2-5-3」
「2-5-3了解」

「エンゲージ」

環の声を受けると低いうなり声を上げながら、海凰のスクリューが回り始めた。
「ポイントNIV通過」
『こちらUN国際港、ポイントNIV通過確認。港湾外通常航行を許可します』
「こちら海凰、許可に感謝します」
10数分後、ゆっくりとかいおうは外洋へ出た。
「進路を中ノ鳥島へ設定」
「設定完了」
「通常航行より、ブラウン運動版へ変更。タイミングは航海長に委任」
「アイ、抑制電流85%へダウン」
「抑制電流85%へ設定完了」
「切り替え4秒前」
「3、2、1、切り替え完了」
かいおうは電動コイルでのスクリュー航行を終了し、しずかに滑走をはじめた。
「航海長より船長へ報告、切り替え完了しました」
「切り替え完了ご苦労、船内放送へ切り替え」
「どうぞ」
『乗船員に連絡、かいおうはこれより補給予定ポイント中ノ鳥島へ航行する。船内シフトをCへ移行する、以上』
放送を終わった環は椅子に座ると、安堵の息をついた。

シーン5:

「きゃあ」
「おっと」
狭い通路でぶつかった。
「大丈夫?」
「大丈夫です、ごめんなさい」
「あ、えっとあんた確かオリエンテーションにおったな」
「はい、ボクは蓮見 鈴です」
「ウチは神無月夕香里や、陰暦の十月のかんなづきゆーねん。よろしくな」
「はい、どうもごめんなさいでした」
「いいって、よそ見してたウチもわるいんやから」
そういうと夕香里は手を差し出して鈴の身体を引き起こした。
「うんじゃ、ウチは船内探検やっとるからまたあとでな」
「船内探検やってるんですか?」
「ああ、こういうデッカイ調査船に乗るのって、もしかしたらこれっきりかもしれないし。後学のためにも色々みてまわらなあかんやろ?」
「ボクも丁度探検中だったんです、乗り物とか大好きなんで」
「なんや、同じ目的か。だったら一緒に探検せぇへん?」
「はい、ぜひ」
「あ、そや」
「?」
夕香里はウェストポーチから紙を一枚出すと鈴に手渡す。
「ウチな、バイトでここではたらいてんねん。もしよかったら何時でもつこうてね」
「ドルフィン便ですか?」
「せや、手紙から引っ越しなんでも運ぶから宜しくな」
「その時はお世話になります」
「ええなキミ、その年で礼儀正しゅうするんなんか、なかなかできることやないで。おねえちゃんな鈴ちゃん気に入ったわ、割引券もあげちゃおう」

シーン6:

演算室では3人の学生がモニターとにらめっこをしていた。
普段は研究者が多数いるのだが、今回の航海では最終海難事故海域まで調査することもなく誰もいなかった。
海洋大学のホストコンピューターをサテライトEOラインで結んでいるの事から、大学の演算室同様の検索もできる。この船に乗り込んだ研究者が研究を円滑にするために入れてある固有データーも見ることは一部であるが可能だった。
「(一連の事件に関連性があるなら、きっとどこかに共通の何かがあるはずだ)」
立花世良は今まであった事故を全て呼び出す。
事故現場を地図に全部で12ある事故を並べていく。
一直線に見えるが、4番目の事故と7番目の事故はあらぬ方向へ移動している。事故の規模としては殆どが沈没であり、深くて海流も激しい海域にあり事故船の引き上げも無駄だろう。沈没を免れた船は皆無で潜水調査でも外壁には付着物と言える物もなく、何がぶつかったのかは判らなかった。次に軍事のデーターに潜り込もうとしてアラートと共に回線を切られてしまう。人員のミスについてのレポートも読む、その他考えられる限りのデーターを呼び出しそれらを繋げようとする。
「(共通点が無い、むずかしいよなぁ)」
世良が背もたれに寄りかかりのびをする。
その後ろでは月島蒼がキーボードを叩いていた。
「(昔のように化石エネルギーを使ってないとはいえ、海のゴミになることは間違いないのよね)」
沈没した船の形式、会社名を並べていく。船の形式によって汚染範囲の計算が出来るからだ。
ニュースでもやっていたが、正確な沈没深度など無かったため、深くシミュレートできなかった。
1:(株)豊橋海産 P755『灘潮』
2:大江戸高橋 SL25『レモングラス』
3:元谷礼子 SL22b『元谷丸』
4:大石商事 P255『第3大石』
5:有限会社時無 Si20A『第4時無』
6:ウェストハードinc『ノースライト』
7:大石商事 P255『第1大石』
8:金屋秀幸 SL22b『戸隠』
9:パトリック・ヘッド CBR『ストーンコールド』
10:(株)イーストマリンフーズ P655『第6海山』
11:土方海洋調査株式会社 潜水艇LL21『潜211』
12:花加勢等 SL24R『一丸』
「(個人向けの船はいいとして、何よこのP255なんて海洋環境法制定前の旧式船じゃない。汚染のランクを1段階上げて置かなきゃいけないわね)」
『ジェレミーより全学生へ、至急ミーティングルームへ』
館内放送が響く。
「ああ、もう」
蒼は今まで出したデーターをプリントアウトする。
20数枚になった紙資料を慌てて掴むと部屋を出た。
立花もご丁寧に今まで調べた物を自分のアドレスに転送すると、部屋の室内灯を消した。
「?」
床に紙が一枚落ちている、月島が落とした物だろう。
いままで沈没した船の名前と、水深のデータだった。立花の姿もない為ひとまずミーティングルームヘ向かった。

シーン7:

「これで全員か? これから重要な話がある。いいか? 21分前にエマージェンシーコールを受信した。これから海凰は中ノ鳥島への進路を変更し、当該水域へ向かう。見学で乗った学生には気の毒だが、実習扱いにするのでそのつもりで。なお、見学者の必要物品はこちらの配給品を使用して貰う。以上、質問は?」
ジェレミーが辺りを見渡す。
「よろしい。秋桜、あとを頼む」
「はい」

「月島さん」
「ん?」
「これ、さっき落としたでしょ」
「ああ、ありがとう」
「でもなんか無差別に沈没してますよね」
「そうよね、人死にが出なければ沈没するのはかまわないんだけど海が汚れるのは勘弁だわ」「これ、書き間違えですか?」
「違うわよ、ここの会社だけ2回沈没してるの。不幸な会社もあったものね」
「……」
「どうしたの?」
「だれか、もう一人。船舶工学のやつがいないかな」
「いるわよ、さっき一緒に演算室にいたじゃない」
「あの外人さん?」
「そうよ、ブラウ!」
月島の声かけに金髪碧眼の男性が振り向く。
「蒼、どうした?」
「うんと紹介するわね、こちらが工学科のウルリッヒ・ブラウ君、うんでもってこっちが立花世良君ね」
「よろしく」
二人とも握手をする。
「さっそくだけどボクの考えを聞いて欲しい」
三人は近くの椅子に座ると、世良の説明を聞き始めた。
「……まさかぁ」
「……でも蒼、可能性しかないときは最も簡潔な意見を採用するのが科学です」
「まだ情報は少ないけど、ようやく見えてきたな、だとしたら次はどこだ?」
「じゃあ、わたしはその2つを消してみるわ」

シーン8:

1時間後。
「こちらトライデントUN国際海洋大学所属海洋調査船かいおうです、エマージェンシーを聞きました海難法に基づき協力します」
『助かった、乗員は無事に救助したが、船体引き上げ可能か調査して欲しい』
「了解しました、まず船の地図とそちらのプランを提示してください」
『了解した』
「秋桜、聞いたとおりだ。調査目的だけだったから海中作業員は用意していない、だが衝突した船を回収できるチャンスかもしれん、学生に任せる仕事ではないことは承知しているが……」
「判ってます、緊急事態ですから」
「人選は任せる、必要なら機材はなんでももっていっていい。自律潜での結果次第だが30分後には潜れるようにしてほしい」
「了解しました」
秋桜は船内放送マイクを握る。
『トライデントUNの学生に連絡、海難船の調査を行います。神無月さんとエルヴィン君、海中作業艇前にダイブスーツで集合。2分以内に集まることいいわね』
「プランはすぐに送る」
「はい」

シーン9-a:

「何でボクなんッスか?」
「リストにアンダーウォーターの実習経験ありって書いてあったから」
「実習ったって、海水プールッス」
「じゃあ、今回で慣れてね」
「エアジャッキーいれときまっか?」
「エアジャッキよりオイルジャッキの方が便利だよ」
「ほな、エルヴィン君の船につんどきまっせ」
「じゃあ、神無月さんはエルヴィン君と組んでね」
「ウチの事は夕香里でええで」
「じゃあアタシは秋桜でいいわ」
「できましたよ〜」
秋桜の長い髪の毛を三つ編みにしていた鈴が手を挙げる。
「ありがとう」
プシュー
秋桜は手袋の密閉シールを押す。
「いい、ダメだと思ったらすぐに浮上して。海中作業はイージーミスが死に繋がりやすいって事を忘れないでね」
「了解」
「わかったッス」

シーン10-b:

「ホーキンス先生、すみませんが」
海凰の中では一番大きい研究室、その中央の椅子に様々な指示をだすジェレミーがいた。
「今は忙しい、後にしてくれ」
「耳に入れておくべき情報だとおもいますよ」
世良は手に持った書類をジェレミーに差し出した。
「大石商事の個人メールスタンプとポップのコピーか、ってこれが今現状より大切なことか?」
「かいつまんで説明します」
世良が前に出る。
「事故の発生した時間帯と、海域と関連性がないか調べました」
「そんなのはだれでもやってる、関連性は見つからなかった」
「そうでした、でも大石商事の船が2隻も事故にあっているのはご存じですか?」
「知っている」
「その書類の内容を説明します、大石商事は船の保険金と船の廃棄の為に今回の事故を利用したに他なりません」
「なんだって?」
「ですから、海難事故ファイルの4番目と7番目は自作自演の事故なんです。指示からなにからスタンプサーバーに残っていました、今回の海難事故からこの2つを除きます。そうすると……」
蒼が持っていた小型ディスプレイを渡すとリターンキーを押した。
「君たちの結論を聞こう」
画面を見ていたジェレミーが眼鏡を外すと、ため息をついて尋ねた。
「海難事故の原因となった何かは南下しています、確実に。そしてその先にあるのは……」
「ロスジャルディン島か……」
「はい」
「研究員に通達、当該水域の調査を急げ。3DD(3Dドップラーレーダー)での水中調査が第一優先、それと平行して自律潜での調査を継続、救助作業も継続しなさい」
「了解」
「一応その件は保留にしておきましょう、そのレポートの提出は私になるけど、連名で書いておく?」
「お断りします」
「私もパス」
「俺もだ」
関連性を見つけたことは評価されるだろうが、大石商事のメールスタンプを覗いたことは犯罪行為だった。有名になる以上にリスクがあることが判っていた。

シーン11-a1:

『ジェレミーより秋桜』
「こちら秋桜です」
『周囲2キロ以内には何もない、自律潜からのデーターを送る』
「了解」
『今回の目的は衝突部位の調査と、引き揚げの可能性の調査だ』
「了解、遠野秋桜 HAL3エントリー開始」
『エルヴィン・オストいっきまーす!』
『神無月夕香里、ドルフィンカーゴ、エントリー開始』
名前の後に付けているのはコールネームだ、学生の任意で付けられる。
付けないときはそのまま名前がコールネームになる。
3隻の小型潜航艇が海面に沈む。
「いい? 海中でワイヤーをリリースしたら速やかに船から20m離れてね。波と潮の関係で船に衝突しないように……だれかな地質調査ブイなんか垂らしてるの、海水調査してるのもいるわね……。絡まないように気を付けてね(あとで注意してあげなきゃなぁ)」
『了解、コンパスを目的地に固定、ドルフィンカーゴ生命維持関連シグナルグリーン。目的地まで自動潜行開始』
『こちらエルヴィンッス、生命維持関連NP、自動潜行開始ッス』
小型潜行艇はカウチに寝そべる形で乗る。
目視する窓は耐久性向上のために無い、海中の様子はヘッドバイザーからの画像に頼ることになる。首と目の移動が外部に取り付けられたメインカメラの映像とリンクする形だ。右足のペダルが潜行・浮上、左足が左右への平行移動、右手と左手にはトリガーのついた操縦桿があり、戦車の要領で船体を自由な角度に動かすことが出来る。そして左右のトリガーの内側にはグローブがあり、これで船外のマニピュレーターを動かす。
「HAL3より、エルヴィン、ドルフィンカーゴへ。記録用撮影開始」

徐々に3隻の小型潜行艇が深度を深めていく。
カメラのレンズの向こうには、その模様をみつめるジェレミー達の姿があった。
「こちらHAL3、目標船発見しました、潮流はそれほど早くありません。これから衝突部位の調査を行います」
数分後。
エルヴィンがマニピュレーターで衝突部位にあった奇妙な物を採取する。
『こちらドルフィンカーゴ、潮の流れが変わったで。船体が毎秒4センチずつ流されてる』
「こちらHAL3了解、周囲探索終了」
『ジェレミーよりHAL3へ、探索完了確認した船に発信器をつけて帰投してくれ』
「HAL3了解、HAL3よりエルヴィン・ドルフィンカーゴへ。帰投準備」
『了解ッス』
『ドルフィンカーゴ了解』

シーン11-b1:

同時刻、海凰コマンドルーム。
「帰投ラインに乗りました、回収まで15分」
ピーー!
室内にアラームが鳴り響く。
「なんだ!?」
「海中を高速移動物体が接近中です!」
「海凰と交錯します、12秒後!」
「ばかな、普通の早さじゃありません!」
「全艦内に報告、全員対ショックに備えろ!」

シーン11-c1:

同時刻、甲板。
矢川谷保は甲板で海水を汲んでいた、もちろん調査用だ。
先ほど秋桜達が潜る際に見たものの1つがこれである。
ナンセン式転倒採水機は、採水部のほか転倒温度計、さらにメッセンジャーが付属している。メッセンジャーがワイヤーを伝って採水器に当たると採水器のワイヤー取付け用締め金具を中心に転倒し採水器の弁がしまる。そしてメッセンジャーは最後に採水器にセットされていたメッセンジャーをはずして止まる。これが連続して落下していき各深度での海水採取と温度を測定することが出来るという2050年現在でも使用されている観測方法である。
谷保はその回収作業中だった。
『全艦内に報告、全員対ショックに備えろ!』
その放送を聞いてすぐだった。
ガン!
その何かが海凰と衝突した。
谷保は採水機を手放すか一瞬躊躇した、大きく谷保の身体がバランスを崩す。
「きゃあ!」
悲鳴と水しぶきが上がるのはほぼ同時だった。
「!?」
その音を聞いたのは鈴木香津美である。
「今、だれか海に落ちた!」
そう乗務員に伝えると自分は靴を脱ぎ捨て、ワーヤー付きの輪浮きを掴むとサングラスを投げ捨て、手すりを蹴り込み頭から海に飛び込んだ。谷保の方は救命ジャケットが海水に触れて大きく膨らみ、海面に浮いていたが、何かが通り過ぎた後の大波に飲まれた。
「ハッ!」
競泳ならインターハイにも出たことのある香津美だったが、服を着たままのしかも外洋を泳ぐのは初めての経験であったため、多少手こずっていたが谷保の後ろ側まで泳ぎ切った。潮に流されないように二人でロープをしっかりと握り、数分後甲板に引き上げられた。
「ありがとう、たすかった」
海水を飲み込み、少々むせ込んでいた谷保が香津美に礼を言う。
「いいの、いいの。あのヨットスクールに比べたらまだマシだし……、考えなしに飛び込んじゃったからあとで怒られるかも」
あとで二人そろってジェレミーに大目玉を食らうことになるだろうが、今は危機を乗り切った達成感に満たされていた。

シーン11-b2:

艦内に衝撃が走った。
大きく船が揺らぐ。
「被害状況を報告、それと3人の状態を至急確認!」
「損傷軽微、3人とも無事です。回収ワイヤーストレス軽微!」
『機関室より報告、浸水報告無し。その他航行機器に異常なし!』
「1名、学生が海に投げ出されたそうです」
「救助急げ、生徒達が怪我でもしたら一生恨んでやるぞ!!」
「アンノウン、転進! 再度こちらに向かってきます!!!」
「救助・回収が済むまで回避行動不許可! 作業急げ!」
「再衝突まであと13秒!」
「救助完了まであと4分、回収終了まであと11分!」
「(耐えろよ、海凰。あんたは世界一の調査船なんだから!)」
「衝突まで3秒!」
「全員対ショック!」
ジェレミーが叫ぶ。
しかし、いつまでたっても衝撃は来なかった。
「どうした!?」
「アンノウン、潜りました! 深度30、60、100潜行速度実測……」
「(見逃された!? 何故だ??)」
眼鏡を直すジェレミーの手が震えていた、そして頬にうっすらとかいた汗を感じる。
「アンノウン、海凰より離れていきます。あと30秒で測定範囲外、深度400」

シーン11-a2:

夕香里にはそれが笑っているように見えた。
目が見えた訳じゃない、海面から差し込む日の光が逆光になり正しい姿を見たわけではない。想像を超えた物との遭遇で解像度を上げたカメラの光量調整も忘れていた。でも、その何かはあざ笑っているように見えたのだ。
『……カーゴ! 応答しなさい!!』
そうしてようやく、耳元に自分のコールネームを呼ぶ声に気が付いた。
「こちら……ドルフィンカーゴ」
『生きてるならちゃんと返事して、早く回収ラインに乗りなさい!』
「あ、はい」
秋桜の声に自分を取り戻す。
自然と、無意識ではあったが夕香里は映像データーのコピーをはじめていた。

シーン12:

ジェレミーと船長は協議の上、海凰の通信設備の一部閉鎖を行った。
常識から外れた物は、どの時代でもオカルトだからだ。
回収された海面下での映像データーも研究員に押さえられたが、コピーは夕香里の手元にあった。エルヴィンと秋桜も同じ事を考えていたらしく、彼らも別方向からのデーターを持っていた。
それぞれの学生が、様々な形でその模様を見ていた。
そしてあれは事実として『いた』事を誰もが認識していた。
海の中を自由に泳ぎ回る巨大な影、細長い巨大なそれは魚の姿では無かった。
ジェレミーは教授会に報告する、出来る限り持ち得たデーターを加工せずそのまま送る。
数時間後出た教授会の結論は。
『当該水域で調査を続行せよ』だった。
ジェレミーは舌打ちをして、その報告を聞いていた。

シーン13:

「ここの水域を調査続行だとさ」
ジェレミーの連絡を聞いた秋桜が、学生全員に伝えた後、学生全員が食堂に集まっていた。
「あのさ、採取した物ってどうした?」
「ああ、そうだ。誰が潜行艇入れるときに採水機とか地質調査機なんて投げてたの!?」
「水中からの映像受けられるのは第一研究室だけだよな、映像どっかにねーかなぁ」
「今日の夕食はなんなん? 納豆とフナムシだけはかんべんしてやぁ」
「要石、どう思う?」
「たぶん、研究者のデーターは見せて貰えないだろう。でもみんなが持ってるデーターを……」
「は〜い、みんな御夕飯だよ。夏姫特製カツカレー!」
大皿に夏姫がカレーを盛ると、晴海が皿を運んだ。
「うわ、めちゃうまいやん」
「有明さんって、すっごーい料理上手いんだよ。私も頑張ったんだ」
晴海は恐縮そうに頭を下げる、夏姫はみんなが美味しそうにたべる姿をみてにこやかに笑っていた。
「そう言えば、鈴木と矢川は?」
「今、先生に怒られてるトコだと思います。あとでお食事届けておきますね」

こうして海凰の長い1日が終わった。

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