フェイズシーケンス3-1:トライデントUN大学内菱垣技術研究室(の手前)

コリーンと雅美が博物館を出たとき、すでに辺りは暗くなり始めていた。
二人は菱垣の指示通りに大学の研究室へ向かう。
「おねーちゃん、大学ってどこにあるの?」
「ココだよ」
コリーンは地面を指さす。
「ここが大学??」
今いる周りには定食屋だの文房具屋だの画材店だの書店だの、学校の近くにある店が多くならんではいるが学校の建物はちっともない。
「トライデントUN国際海洋大学って言ってもね、この街自体が大学なの」
雅美は返答に困っていた。
「うんとね、教室のほとんどは私たちが歩いている下にあって、上にあるのは事務局とか学生生協とかお店やさんとかでね、教室も上にあるものもあるけど講堂が1つと3教室だけなのよ。分かりやすく言うとここは大学の屋上になるわね」
雅美は納得した顔をした。
「氷山と同じ?」
「正解、下に建物を多くすることで浮力を維持してるわ。それに専門課程なんかでもいちいち港にいくよりも、気密室から直接海中へ行くことも出来るしね」
「でも人、少ないね」
「見た目はね。でも全生徒が集まると4000人くらいになるのかな。毎年の希望者も増加の一途だし。センター平均で得点率83.9%だから下手な医学部より高い数値ね。それと教授とか博士とか博士課程の人とか職員合わせると6000人にはなるかも」
コリーンが立ち止まると地面から円筒形の柱が出てくる。2メートルほど突き出た柱が2重のドアを開きコリーンはその中へ入っていった。エレベーターの様だ。
「学生の人はモノレール乗り場からエレウォークつかって学校にはいるんだけど、職員はエレベーターが普通ね。これだと目的地まで一直線で降りられるから」
「お姉ちゃんは学生じゃないんだ?」
雅美がコリーンのIDプレートをみると、そこにはプロフェッサーとドクターの文字が入っている。
「教授に博士??」
「っていっても、ペーペーのだけどね」
それでも14歳で取得できるのは恐るべき才能といったところか。
「ねね、おねーちゃん」
「?」
「あたしもこの大学に来れる??」
雅美は目をきらきらさせながらコリーンを見つめる。
「出来ないことはないけど、ちょっと難しいよ。まずスキップ試験うけて合格したらトライデントUN特別枠で試験を受けて、合格したら今度は一般学生と一緒に入学試験受けなきゃいけないし。それにここ2年はそんな生徒いないし……」
「え〜、そんなに難しいの」
「18歳になれば1回本試験受ければいいだけだから、それまできっちり勉強したほうが良いと思う」
2048年現在、スキップ制度は普及していた。
しかし通常のスキップは付属初等科校での優秀者が、同じ大学付属高校へのスキップであり、普通高校から大学へのスキップもあるが雅美の年齢、つまるところ13歳が18歳と同じ位置までスキップするのは未だに例がない。
「そっか、そんなに難しいのか」
「雅美ちゃんは成績どのくらいなの」
「全然、今は初等科の7年生だけど学校行ってないし勉強も得意じゃないからなぁ」
「みんな勉強しに大学来るのよ」
コリーンはクスクスわらった。
「だって、あんな簡単な計算とか、歴史の4ケタの数字とか……なんでみんなあんなに一生懸命覚えるのかわかんないよ」
コリーンはその言葉がとんでもない内容であることに気がついた。
もしかしたらと考えたがその前にエレベーターが目的地に到着した。

フェイズシーケンス3-2:トライデントUN大学内菱垣技術研究室(のちょっと手前)

エレベーターを降りるとそこは普通の校内だった。少し違うのは強化アクリルプラスチックの窓の外には海中が広がり、海洋牧場の中はライトで照らされ魚が群遊している所だ。
「ここが学校の地下6階、教室とかの下の階で研究室とかある所ね」
廊下は広くドアも大きい。バリアフリーという概念はすでにこの時代にはない、すでにそれが当たり前である為だ。階段は必要最低限に非常口などにある程度で、車椅子使用者などは非常用に専用の圧縮空気カタパルトが廊下の随所にある。
「ここには研究室が55あってさらに地下には同じ数の研究室、全部で350の研究室と教室や会議室とか休憩室とか娯楽室、散髪屋から美容室に図書館も。私もまだ全部行ったことないけどね」
「なんか、見た目より広いんだねぇ」
「上は小さいけど、下は横に広いし。さっきの博物館の下も教室があるんだよ」
「迷子になりそうな気がする……それにそんなに広いのにエレウォークもないんだね」
「研究者……だけじゃないけど、運動不足対策みたい、歩け歩けってね」
「車椅子の人とかどうするの?」
雅美がたずねるとコリーンは廊下の端に行きパネルを押すと壁から取っ手が出てくる。
「車椅子の人はこれを握ってボタンを押せば、取っ手が引っ張っていってくれるの。目の不自由な人もこれが目的地まで連れて行ってくれるってわけね」
海の中というのは健常者と障害者の差が出にくい世界といわれる。
海は全ての者を受け入れ、その幅は広くそして深い。
トライデントUNも基本設計の中に『海』の要素を幅広く受け入れ、海の一部になろうという理念が存在する。
「後は学生なんかは校則で禁止されているけどローラーブレードとか、ライトウォークとか。3年生の西梅田君はこの前トラックタイヤの一輪車だったわ」
コリーンは苦笑する。
「よぉ、コリーンこの前はサンキューな。また頼むわ」
「Hi、コリーン。たまにはウチの研究室に遊びに来なさいよ、ティントレットも会いたがってるわ」
ティントレットは鯉塚教室のジャンボハムスターの名前。
通り過ぎる人のほとんどがコリーンに声をかけていく、人気があるらしい。おじいちゃん教授なんかは飴玉をくれたりする。コリーンはその声をかけてくれた人たちに明るい笑顔で応対していた。
5分ほど歩くと目的の菱垣研究室へと到着する。
しかし、中からは喧噪怒号が聞こえて来る。
いつものコトだから、とコリーンは笑いながらドアを開けた。

フェイズシーケンス3-3:トライデントUN大学内菱垣技術研究室

『ばっかやろぃ!! おじゃましまーす』
菱垣とコリーンの声が丁度重なった。
「大陸棚設定を間違えたって、てめぇオレんとこ来て何年になる!!! そんな基礎の『き』もしらねぇと、間宮のジジィは何の講義してたんでぃ!!!」
実習に来ていた学生に向かって菱垣が怒鳴っている所だった。
「何年って、まだその子来て2ヶ月ですよ、菱垣チーフ」
「わかってらい、黙ってろ美月!」
菱垣は帽子をかぶり直すと自分の椅子に戻っていった。怒鳴られた学生は涙目になっている。
その学生のフォローをしているのは褐色の肌をした女性だった。
「雅美ちゃんは菱垣チーフはしってるでしょ、あそこにいるのがここのサブチーフの潮 美月さん。カッコイイでしょ、みんなからは『姐さん』って言われてるんだ」
コリーンは雅美に耳打ちした。
健康的な褐色の肌、後ろで縛られた濡れ烏羽色のロングヘアー、グラマラスなプロポーションに気風の良さ。もし彼女に合う役を与えるのなら海賊の女船長かもしれない。
「菱垣チーフ、雅美さんをお連れしました」
「あ、あああ。ずいぶん時間がかかったな、まぁ有り難うコリーン」
「いいえ、私も楽しかったですし」
その言葉が嘘でないことは笑顔を見れば分かる。
「雅美ちゃん、すまんが今夜は美月のトコに泊まってくれ」
「私も一緒に泊まりたいデース」
コリーンが手をあげる。
「美月〜、1人増えたけど大丈夫か?」
学生フォローの終わった美月は振り向くとウィンクを一つする。
「いいそうだ。まぁ同世代同士だから話すことも沢山あるだろうしな」
菱垣は図面の一つを見つめると可の印を押した、さきほど怒鳴っていた学生の提出したレポートらしい。そしてアカペンで修正部分を添削して学生に渡しに行った。
「なんだかんだいっても、学生がかわいいのよ。でも厳しくしないと彼らが海へ出たときに甘やかしたせいで命を落としかねない、それが分かってる人なのよ。こんばんは始めましてね雅美ちゃんでいいかしら?」
美月が雅美に握手を求め、雅美は握り返す。
「コリーン、申し訳ないけど仕事が終わるのちょっと遅れそうなんだわ。ウチの部屋に先に行ってお米とお風呂の準備だけ先にやってて貰える? 雅美ちゃんにはここの説明と帰りがてら街の説明して行くから。冷蔵庫の中の物勝手に使ってエエからね」
「わかりましたー、雅美ちゃんまたあとでね」
コリーンは笑顔で手を振り出ていった。
「さてと、可愛いお客さんが来てるんやからとっととおわらせな」
美月は笑顔でコンパネに向かった。
雅美も色々とあった装置をいじっている。
「美月さんこれ何?」
雅美はヘッドフォンをかぶる。
「ああ、それはね海の中の音ひろってるんだわ。海洋牧場のカウボーイ達との連絡用なんだけどね、まだまだ彼らの言葉は未翻訳で、もっぱら高性能の海音調査機ってとこね」
「……」
海の中の音は結構騒々しい、魚の泳ぐ際の鱗の擦れる音や時々来る大音量の『コン!』という音は雅美も知ってる音紋であり、入港の際の合図である。水中翼船の滑走音、トライデントにぶつかる波の音。
「」
雅美はその音の中に奇妙な音を感じた。
小さい。
本当に小さい声で、唄が水の中に流れている。
その声に合わせるように、周りの音は小さくなりそして唄だけが耳の中に入ってくる。
静かに雅美が目を閉じると、雅美は海の中にいた。

フェイズシーケンス3-4α:She in the sea

海の中
あなただれ?
樹の船
アナタの船?
ただいま
おかえり?

アナタの唄?
求めるもの
時?
わたしは
静かな世界
まだ
その時じゃない?
長くから
まっててね
我が友よ

フェーズシーケンス3-4β:菱垣研究室

「雅美ちゃん!?」
雅美に声をかけたのは美月だった、突然静かになり音に聞き入ってるのかと思っていた。そして疲れているのか寝ているのかと思ったが、唇はわずか動いていた。しかし呼吸をしてなかった為にチアノーゼ症状が出ていたのだ。時間にして10数秒。
「へ? あ、あれ〜??」
気がついた雅美はさっぱりだった、記憶もさっぱりない。
美月は後日この現象を海の持つリズム、過1/α波による一時的な離脱症状。交感神経過抑制によるものと報告したが、憶測の域を出なかった。

フェイズシーケンス3-5:トライデントUN大学内電子演算室

デジタルはDNAとよく似ている。グアニンとシトシン、アデニンとチミンの2組の塩基しか無く0と1の2組しかないデジタルとDNAは似ている。
DNAの狂いは人間の設計図に変化をもたらす。
機械にとっての0と1の狂いはわずかであってもすぐに修正が効く。精密図形になればなるほどわずかなミスは見つかりにくいのに比べれば、単純なプログラムミスは発見されやすい。
機械が高度であり、また自らのミスをFIXし、修正する機能があると人間はそれを知覚する事が出来ない。そう言う風に作られたからだ。しかしその歪みは今現在は小さくとも……・。


フェイズシーケンス4-1:星砂荘(潮 美月の部屋)

「たっだいまー」
美月の部屋はトライデントUNの職員寮からはかなり離れた繁華街の中にあった。
「おかえりなさい」
コリーンが白い割烹着をつけて出てきた、ジャーからは湯気が出ており鍋がコトコト音を鳴らしている。畳敷きの6畳間が2つと台所といった平均的な部屋だ、最低限の物はそろっていた。居間にはちゃぶ台が置いてあり、木目調家具テレビがあった。雰囲気は1970年代の日本の一般家庭を思わせる、が隣室にあるPCだけは最新モデルでコリーンがもっぱら羨ましがった。
繁華街の中のため通りの人々の声や、居酒屋からの騒ぎ声など聞こえてくるが、元々にぎやかなミナミの街で育っただけあって、美月はその方が落ち着くといった。
「おねえちゃん、そのカッコなんか似合う」
雅美が嬉しそうに言うとコリーンが照れる。
「お姉ちゃんって?」
24時間営業のスーパーで買い物してきた美月達は荷物を下ろす。
トライデントでの生鮮食品の物価は高い、特に野菜類である。研究者を始めほとんどの人間がビタミンサプリメントでバランスを取ることを考えれば、生野菜等は特別な時に食べるくらいだ。菱垣達のような古参の人間は割とサプリメントの受け入れが悪く、肉だの野菜だの食べたがる。だからデブなんだと美月は笑った。
「で、さっきのお姉ちゃんって?」
作業服を脱ぎ黒のショートスパッツと菱垣研究所のティーシャツを来ているときに、コリーンと雅美に尋ねその話を聞いた。コンタクトを外しフレームレスのチタン眼鏡をかけた美月が話を聞きながら笑顔で頷いている。
「(チーフの狙いがこうもスパッとはまると、ちょっと考えちゃうわねぇ)」
美月は菱垣の考えをしってただけに、菱垣の人を見る目に改めて感心する。
菱垣はコリーンの心の隙間を知っていた、その隙間を埋める事は自分には出来ない。同世代の子供とは違う人生を送ってきたコリーンにとって、本当に心から話せる友人は皆無であったからだ。源三郎から連絡を受けたとき、菱垣の中では様々な考えが頭をよぎった。そして雅美とコリーンを会わせることにした、コリーンが雅美と共に美月の部屋に泊まりたいというのを、反対とか渋ることなく即決したのもこの考えによる。
「さて、夕飯にしよっか」
美月が膝をポンっと叩くと立ち上がる。
夕飯はご飯にコリーンの作った肉じゃがに、美月の作った水炊き。
普段の研究の話しだけになる食事と違い、にぎやかな笑いの多い食卓となった。
具の無くなった水炊きに美月がうどんを入れているところ、コリーンが立ち上がりあわててPCの前に座った。
「ごめん、美月さんPC借りるね。すぐ終わるから」
コリーンは海水温度データーを呼び出すと自分のPCへ転送した。横から雅美が覗いている。
衛星から入ってくる海水温度データーは衛星映像ではなく、数値データーとして画面を流れる。100平方メートル毎のデーターであるため数字だけがドカドカと流れていく。本来ならすぐにこれを映像に作り直し海水温度分布表を作るのだが、季節柄さほど海水温度の動きはないし同様の作業を行っている人間は学校内に20人はいる。急いで作図する必要もないが、データー転送自体は時間が決まっているためこれは今の時間でなければならない。
「おっしまい、ごめんね」
「あれがおねえちゃんの仕事?」
「仕事というか、私の研究の一つでね。ああ、ほら早く行かないと美月さんひとりでウドンたべちゃうよ」
「あ〜、ホントだ」
「美味しい物は早いもんがちよ、それが兄弟ってものね」
8人兄弟の大家族の中で育った末娘の美月の言葉には重みがあった。

フェイズシーケンス4-2:星砂荘(潮 美月の部屋)

「たべたぁ〜」
雅美は行儀悪く後ろに仰向けになる、源三郎のクセだ。
「ほんとうだね、3日分食べた気分」
コリーンもため息をつく。
その一方で美月はまだ食べていた。
「二人とも少食ねぇ」
といいながら美月はうどん2玉を鍋に入れた、まだ食べる気らしい。雅美とコリーンが食べた量も、同世代からすれば多めの量だったのにも関わらず、その3倍の量を美月は食べていた。
「食べられるときに食べる、寝られるときに寝る。研究者の初歩よ」
美月が食べ終わったのはそれから15分後の事だった。
食器を流しに並べ、洗い片づけると3人はちゃぶ台を囲んでお茶をすする。
「じゃあ、ウチは食後の運動してくるから二人先にお風呂はいっちゃって」
「食後の運動?」
「美月さんは毎日ロードワークしてるんだって」
そう言っている間に美月はティーシャツの上にパーカーを羽織ると玄関へ向かう。
「あんなに食べたのに、運動して大丈夫なんですか?」
雅美は唖然とした表情で見送る。
「食べたから運動してカロリー消費しなきゃ、じゃなきゃこの体型維持できなくてね」
美月はそういいながら、ジェルソールのスニーカーを履き込むと勢いよく部屋を飛び出していった。
「美月さんって、プロポーションいいよねぇ」
雅美がぽそりとつぶやく。
「そうだよね」
二人は自分の胸を見つめた。
「まぁ、人それぞれってことで」
「そうですわね、お姉さま」
しばらーくなんとも静かな空気が流れる。
『Hey lady! The coast is clear.』
「へ? なに??」
雅美が辺りを見渡す。
『Oh,you are bath seem to going to pot.』
「Stop,close your mouth.」
コリーンが壁に付けてある小型のインターホンに向けて命令すると、風呂のマークのついた赤色ダイオードが消える。
「ほとんどの家ってわけじゃないけど、簡単な事ならオートメーション化されてるの」
「すご〜い、あたしのウチにはこんなのないよ〜」
美月の部屋は畳敷き8畳が2間あるだけの、見た目普通の10階建てマンションだ。美月の部屋は元の内装を無許可にリフォームし、植物系の素材を多く取り入れている。内装に畳や木材を使うのが最近の人気。
「さっきのはお風呂のお湯が溜まったってお知らせ、もちろん使う人の設定でいろんなメッセージが出てくるの」
「へ〜〜」
雅美は立ち上がるとインターホンを見つめた。普通の壁掛け液晶電話にしか見えないが雅美は見るのが初めてだった。ちなみに日本全国で普及率は97%を越えている『普通の家電』だ。
「雅美ちゃんちってどんな家なの?」
「ふ、ふつうの家だよ」
雅美が焦っている。
「それじゃあわかんないじゃない、詳しく教えて」
雅美が渋々口を開く。
「茅葺き屋根ってしってる? 大黒柱ってのがあって……」
「もしかして……」
茅葺き屋根の家というのはこの時代の民家園にもない。
「あ〜……やっぱ恥ずかしいよ」
「すごい! なんて素敵なところに住んでるの!? うらやまし〜」
「へ?」
「すごいわよ、この時代に総植物性素材で出来た家なんて!!」
確かに。
森林伐採に厳しい規則が作られたこの時代、木材の家は高価で『畳』なんかは今主流の冷暖房フローリングに取って代わり若者に人気があるのは先ほどの通りだ。
「そうなの? 中ノ鳥島じゃあウチだけなもんだから、なんというか……」
「今度遊びに行ってもいい?」
コリーンの目は本気だ。
「お姉ちゃんならいつでもいいよ」
雅美はにっこり微笑んで答えた。

フェイズシーケンス5:トライデントUN住宅街

美月は歓楽街のビルの谷間を抜け、住宅街を走り抜けて開発中の近くの公園へ走り込んだ。
美月の家からの直線距離は7キロ少し、汗を流したまま自動販売機でミネラルウォーターを購入する。キャップを噛むと栓は外れ、それをペッっと吐き捨てる。辺りに人気の無い公園だった、ベンチに腰掛けて一気に水を飲み干す。口の端からこぼれた水が頬を伝い、運動によって紅潮した耳下から細く長い首を流れ、浮き出た鎖骨の窪に一旦足を止めて双丘目指して下る。
「わぎね?」
闇から浮かび出てくる人影。
「すぺあるなびしっちゃ、わんのうちかみってるちゃね」
「だれば、そうせいでんばいかんよ」
「ちゃ、それはあやまるっち。ゆんのはなしばせんね」
「とうとぁわぎあしたっちゃ、ばつぁぱふぇくわぎあしやねいけんな」
「なんでね」
「しょっつたぁむわぎあしちゃ、ぶれあんえれあと」
「わずなぁやぁ」
「ふぇあくてぃあんぬんよ」
「だれば、なんもないといっしょだがねっちょ」
「なぁ」
人影は煙草をくわえると火をつける、男のようだ。
「客って誰さ?」
「すぺしあるなびしっちゃ、ゆんのあんぬんひとじゃがねっちょ」
「研究所の人間か、まぁいいやオレの範囲じゃないしな」
男は振り返ると闇の中へ消えていく。
「たまには仕事抜きで、食事なんかどうだい?」
「やよ、前の男とまた寝る趣味はないの。生まれ変わって出直してらっしゃいな」
「相変わらずきっついなぁ」
男の気配が完全に消えると、美月は立ち上がりもと来た道を走り戻り始めた。


フェイズシーケンス4-3:星砂荘(潮 美月の部屋)

朝。
まず最初に起きたのはコリーンだった。見渡すと寝相の悪い雅美と美月がパジャマもはだけあられもない格好で寝ている。
そっとコリーンは雅美と美月の間をぬってパソコンの前に座る。
「おねーちゃんオハヨー」
雅美は目をこすりながら枕を抱いて起きあがる、頭にはピョコっと寝癖がついている。
「ごめん、起きちゃった?」
「大丈夫〜、また昨日の?」
「ごめんね、この時間にもデーター来るのよ」
コリーンは大きな音を立てないように静かにキーボードを打ち始める。
昨日同様、100平方メートル毎のデーターが流れる。
雅美がコリーンの横に来る。
「ねぇ、おねーちゃん」
「ん?」
「こっちが座標で、こっちふぁ海水温度だよね」
寝起きで雅美の声がかすれる。
「うん」
数字はすさまじい勢いで流れている。
「海水温度が2度あがるってことある?」
「……!」
海水の温度は太陽光線にさらされても極端に変わることはない。それ故に海水温度が1度や2度あがるエルニーニョなどは恐ろしいまでの環境変化を生み出すのだ。
「えっとね、座標が5F85B3の04823Cのとこ、昨日おねえちゃんがみてた時の数字より温度が2度ちがったの」
雅美にはこの言葉のどこに問題があるか判らなかった。
「美月さん、起きて!!」
コリーンが大声をだすと、雅美が一歩引いた。
「電話、菱研!!」
コリーンの声に自動的に電話がかかる。
「どうしたの?」
美月がゆっくりと起き出す。
「DSかもしれない」
コリーンの声に美月の表情が変わる。
『はい、菱垣研究室の竹田です』
「竹田君? あさっぱらからゴメン。コリーンですけど、至急で座標5F85B3の04823Cの比較とデコイ射出急いで!」
『了解、菱垣先生いますけど替わりますか?』
「おねがい」
『なんじゃ、あさっぱらから』
「先生、美月です。先ほどの座標で海水温度の異常がありました。調査ブイの射出お願いします、もしかしたら死海現象がでるかもしれません。船の道からは外れてますが、潜水艦の道と交差しているかもしれませんので、至急でお願いします」
『判った、5L-Peeksでやらせる』
「お願いします、通話終了」
コリーンは昨日のデーターの呼び出しにかかった、図面にはしていないため数値データーのみだ。
「すごいわね、よくこんなのがわかったわねコリーン」
「私じゃなくて雅美ちゃんです」
「…………」
美月が後ろを向くと、雅美はきょとんとした顔をしている。
自分がどれだけすごいことをしたのか判っていない表情だ。
「(フラッシュ? 超短期記銘力? 違うわね、たぶんこの子はコリーンと同じかも)」
美月が雅美を見つめながらそう考えていたとき。
「雅美ちゃんビンゴ、美月さん、3度チェックしましたけど上がってます」
「完全な出し抜きね」
「出し抜き?」
コリーンはパジャマを脱いでキャミソールを頭からかぶりながら説明した。
活海底火山や新島発見の場合、最初に発見した人間が研究や調査の最優先権を得る。
「研究室へ急ぎましょう」
「雅美ちゃん、今日は観光施設の案内できそうにないわね。ゴメン一緒に来てくれる?」
美月は顔の前で手を合わせる。
「???????」
雅美はこの状況がちっとも判らない、判ったのは『なんか大変そうだ』くらいである。
海に生きる知恵はあっても海の科学という知識は全くない13歳の女の子なら当然だ。
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